今回のレシピは、鶏肉と春キャベツと新玉ねぎのビネガー蒸しです。この冬はキャベツが高かったですね。キャベツはアブラナ科アブラナ属の多年草です。キャベツはケール、ブロッコリー、芽キャベツ、カリフラワーと非常に近い親戚です。英語ではCabbage、フランス語ではChouなのですが英語のCabbageは、フランス語で、「頭」を意味する「Caboche」が変化して出来たと言われています。「キャベツ」はラテン語では「Brassica」で、狭義では、もちろん「キャベツ」の事で、広義では「アブラナ属全体」を指しています。学名は、基本的にラテン語なので、「Brassica」がそのままアブラナ属を指し示す学名になっています。Brassicaが食べられている記録は紀元前1000年頃から存在します。大プリニウスも7つのアブラナ属の植物を細かく記述していますが、その文章を読んでいると結球したキャベツからは程遠く、ケールの様な姿が浮かびあがります。2009年に学習研究社が発行した「野菜だより」には、結球するキャベツは1150年頃のドイツで開発されたと記述されています。結球するキャベツが日本に、最初にきたのは江戸時代末頃ですが、上手く結球させることが出来ませんでした。明治時代になると再度結球するキャベツが持ち込まれ栽培されるようになりました。日本では、野菜を生で食べる習慣がありませんでしたから、キャベツの消費はなかなか増えませんでした。洋食の普及と共に、付け合わせとして刻んだキャベツを食べるようになり、栽培も広がっていき、今では日本の野菜で一番消費されるようにまでなりました。キャベツを漢字で書くと甘藍です。これは、キャベツが伝わった頃の中国での表記であると言われています。現在の中国では甘藍は、キャベツを指す場合も、有りはするのですが、どちらかと言うと葉牡丹を指していて、キャベツは卷心菜と呼ばれる事の方が多いです。キャベツは冷涼な気候を好む農産物です。農水省の令和5年統計を見ると、都道府県別の収穫量で1位は群馬、2位が愛知ですが、この2県は毎年激しいデッドヒートを繰り広げており順位が入れ替わります。この2県で全国の約4割を収穫します。その後は千葉、茨城、鹿児島、長野と続きます。先程キャベツは、冷涼な気候を好むと書きましたが、鹿児島が5位に食い込んでいる事でも判る通り、あちらこちらで栽培されているのです。日本で栽培されているキャベツを分類すると大きく4つの系統があります。メインとなるのは寒玉系と呼ばれる、葉と葉がぎっちりと密に重なり合って扁平な球を形成しているキャベツです。その他に春キャベツ系とグリーンボール系と紫キャベツ系の合計4系統があります。春キャベツ系とグリーンボール系は葉がふんわりと結球しており、背が高いのが特徴です。メインと申し上げた寒玉系ですが、寒玉と言っても冬が旬の品種ばかりではありません。群馬の高原キャベツは冷涼な嬬恋で栽培します。そうする事で競合の少ない7月から旬を迎える品種になりました。その特徴が評価されて、飛躍的に販売量を伸ばしました。寒玉系で、大阪で注目が高まっているのが泉州松波キャベツです。多くの有名お好み焼き店が「松波で作ると味が全然違う」と絶賛しています。この松波キャベツは1907年に創業した静岡の石井種苗場が開発した品種です。1907年と言うとサントリーにとって祖業とも言える赤玉ポートワインが発売された年です。とても親しみを覚えます。さて今回のレシピに使ったのは柔らかい春キャベツです。野菜のもう一つの主役は新玉ねぎです。タマネギは、ヒガンバナ科ネギ属の多年草です。春キャベツが別の系統なのに対して新玉ねぎは、どの品種の玉ねぎでも新たまねぎのタイミングがあります。通常の玉ねぎは、掘り起こしてから1ヶ月くらい乾燥させて保存性を高めてから出荷しますが、新玉ねぎは、その乾燥処理をしないものです。なので、新玉ねぎとして出荷しようと思えば、どの品種の、どの玉ねぎでも新玉ねぎになれるのです。新玉ねぎは12月くらいから出回り始め、玉ねぎ産地として有名な淡路島産では7月頃迄新玉ねぎがあります。
さて、肉の方の主役は鶏です。今回のマリアージュ実験では伊達鶏の骨付きぶつ切りを使いました。鶏肉には塩、こしょうを強めに振ります。鍋に鶏肉を並べ、ローズマリーも加えて全体に焼き色をしっかりとつけます。鶏肉は一度取り出して、同じ鍋にキャベツ、玉ねぎ、セロリを入れて炒めます。白ワインを加えて一度沸騰させ、鶏肉を戻しビネガーを加えて蓋をし、弱火で20分ほど蒸し煮して味を調えたら出来上がりです。
さて、今回の鶏肉と春キャベツと新玉ねぎのビネガー蒸しにテイスティングメンバーが選んだイチオシワインはサントリーフロムファーム 塩尻メルロでした。サントリーは日本国内には3か所にワイナリーを持っていて、山梨県の登美の丘ワイナリーと長野県の塩尻ワイナリー、それと新潟県の岩の原葡萄園です。以前、登美の丘ワイナリーと塩尻ワイナリーが同じ1936年に出来て、しかも塩尻ワイナリーの方が少し早いというお話をさせて頂きました。今回、岩の原葡萄園を含めて、その頃の時代背景や経緯を、もう少し詳しくお話させて頂きます。
サントリーの創業者の鳥井信治郎が大阪で「鳥井商店」を開業し、ぶどう酒の製造・販売を開始したのが1899年です。最初は本格的な辛口ワインを目指しましたが、当時の日本人の口には合わず、販売は順調ではありませんでした。試行錯誤を繰り返し、赤玉ポートワインの発売に漕ぎ着けたのが1907年です。
岩の原葡萄園は「日本のワイン用葡萄の父」と敬われている「川上善兵衛」が創業者です。川上善兵衛は、雪深い越後高田の大地主の子として1868年に生まれました。越後高田の駅から善兵衛の生家であった、現在の岩の原葡萄園までは車で20分ほどですが、家から越後高田の駅まで他人の土地を踏まず行けるほどの大地主だったそうです。慶應義塾に学び、勝海舟とも親交があった善兵衛の悩みは、冬になる度に小作人たちが出稼ぎから帰ってこない事でした。雪深いこの地に冬の仕事が無いからだ・・・・と考えた善兵衛は勝海舟に相談したところ「西洋にはぶどうからつくるワインという酒がある」事を教えられ、ワインだったら冬の仕事もあるに違いない!とワインづくりを志し、自宅の庭を潰して1890年に岩の原葡萄園を設立しました。最初はヨーロッパ系品種であるヴィティス・ヴィニフェラの栽培を目指しました。でも雪深く、湿度の高い越後高田の土地ではヴィティス・ヴィニフェラは育ちませんでした。次にアメリカ系のヴィティス・ラブラスカを育てました。すくすくと育ち、ぶどうが実ったのですが、ワインにすると美味しくありませんでした。メンデルの法則を知った善兵衛は「この地に適合するぶどうを自分の手でつくりあげるしかない!!」と私財を投げうち、生涯に1万311種もの交配葡萄を育種し、マスカット・ベーリーAを始めとする、数々の醸造用ぶどう品種を作り上げる事に成功しました。美味しいワインは出来たのですが、まだ、当時の日本人には本格的な辛口ワインは受け入れられなかったのです。そうして岩の原葡萄園は経営の危機に瀕していました。
一方赤玉ですが、第一次世界大戦で日本は戦勝国となり、経済も上向きで、赤玉の販売は順調に増えていきました。最初はスペインやポルトガルの赤ワインを輸入し日本で赤玉にブレンドして販売しておりました。1931年に満州事変、1932年には5・15事件が起こり、日本は軍事国家へと進んでいき、欧米の諸国は日本を押さえるべく経済制裁を課してきました。資源の無い国である日本は、徐々に石油や食料が枯渇してきました。赤玉の原料ワインも同様だったのです。1933年には日本は国際連盟を脱退します。赤玉の原料ワインの輸入の難易度が増してきて鳥井信治郎は大ピンチに陥りました。
川上善兵衛と鳥井信治郎とを結び付けてくれたのは坂口謹一郎です。坂口謹一郎は越後高田の生まれで東京帝国大学で醸造学を学び、発酵・醸造の世界的権威で「酒の博士」と呼ばれた人です。坂口は郷土の偉人であった川上善兵衛の真摯な研究を敬愛し、また、岩の原葡萄園の窮状に心を痛めていました。
一方鳥井は赤玉の原料ワインの調達が徐々に困難になっていく事態を何とか打開しようと必死でした。全く知り合いでもなんでも無かった坂口の研究室に飛び込み「坂口先生、どこぞに良いぶどうを供給してれる所は、ありまへんか?」と頼み込みました。坂口は、見ず知らずの鳥井を「無礼者!」と追い返しましたが、信治郎は、全く怯む事無く、毎日のように研究室を訪れました。坂口は信治郎の熱意に根負けし「これだけ熱い情熱を持った人なら岩の原葡萄園の窮状を救ってくれるかもしれない」と川上善兵衛を鳥井信治郎に紹介しました。信治郎は岩の原の赤字を全部引き継ぎ、とんとん拍子に経営の移転が行われました。1934年の事でした。でも、岩の原は小さな葡萄園でしたので、赤玉の原料の総ては、とても賄いきれません。赤玉の売り上げは順調に伸び続け、数量が、更に膨らんできていたのです。そこで鳥井は再び坂口を訪れ「赤玉には、もっとぶどうが要ります。他にもありませんか?」とお願いしたところ坂口から「甲府の北側に、わたしも関わった日本ブドウ酒株式会社(登美農園)が事実上の倒産状態です。南向きの素晴らしい斜面ですので可能性は充分です。3人で一緒に見に行きましょう」と提案がありました。
鳥井と坂口と川上は3人で登美農園に行きました。
鳥井信治郎が1899年の創業当時に、一番最初に取り組んだのは本格的な辛口ワインでした。その後赤玉を発売し、それこそ何十万回もブレンドを繰り返してきました。その経験のなかで、ブレンドで欠点を多少は補えるものの、本当に大事なのは「ワインそのものの美味しさ」だと言う事に気が付いていました。そしてそのワインの美味しさのほとんどを決めるのはぶどうではないか?と考えるようになっていました。いつかは自分が納得するワインをつくる!納得出来るワインになるぶどうを育てるんだ!!と思っていました。鳥井信治郎はすぐに登美農園を気に入り、3人で素晴らしいワイナリーしよう!と手と手を取り合い堅い握手をしました。
素晴らしい登美農園ですが、大きな問題がありました。数年間の倒産状態で生きている畑は2-3haしかなかったのです。鳥井は2人に相談しました。「登美農場には現時点では数haの葡萄しかありません。直ぐに植え始めてもぶどうが実るには4-5年掛かります。喫緊にワインが、もっともっと要るんです」
その窮地を救ったのは川上善兵衛でした。
「丁度、塩尻の葡萄販売部の林五一氏から『コンコード、ナイアガラが余っていて、買ってくれる先が無いか?』と相談されているところです。鳥井さんが乗り気なら引き合わせます」
これまた、とんとん拍子に話は進み、1936年7月24日に塩尻工場は竣工し、無事、その年の赤玉原料酒を仕込む事が出来たのです。そして登美の丘をサントリーが引き継ぎ、山梨農場となったのは、3か月遅れの1936年10月11日の事なのです。こういった経緯があるので、塩尻ワイナリーは今でも協力者さんや赤玉出荷組合の栽培農家さんのぶどうを中心に仕込む「ネゴシアン的ワイナリー」で、登美の丘はボルドーに於けるシャトーやブルゴーニュのドメーヌの様な「自分自身の手でぶどうを栽培・醸造するワイナリー」なのです。
マリアージュ実験で使ったサントリーフロムファーム 塩尻メルロは2021年です。2021年の7月は高温、晴天日が多く続き、メルロの果実は小粒になりました。8月の記録的な降雨と低温の影響を受け、べレゾンは1週間程度遅れました。9月中旬以降は晴天が続き、夜温も下がったお陰で、糖度も上昇し着色が促進され、概ね健全性な状態でぶどうの成熟を待つことが出来た年です。香りは、ラズベリーなどの赤系果実を思わせるアロマが中心で、信州の森を連想させる針葉樹のニュアンスもあります。樽由来のバニラなど甘さのある香りも程良く感じられます。果実由来の自然な甘さがあって、中盤からやわらかさ、なめらかさとの調和がとれた味わいです。フィニッシュには程良い渋味が感じられます。鶏肉と春キャベツと新玉ねぎのビネガー蒸しと合わせると、ローズマリーが絶妙に良い味わいを出しています。
「この料理は白ワインが上位にランクインする料理だ、と、思い込んでいました」
「スパークリングから合わせていって、どのワインもみんな美味しいのですが、この塩尻メルロと合わせた時に『あっ!』と思う位美味しかったです」
「鶏の皮に強く焼き目を入れていて、その香ばしい香りをメルロが優しく受け止めています」
「ローズマリーが効いていますね」
「日本のメルロ、特に塩尻エリアのメルロは針葉樹の雰囲気と小豆を煮る時の、ふわっと立ち昇るあの植物的なニュアンスをもっています。それがローズマリーと出会うと、里山の森に立ち入った時の様な、少し湿った、とても心地良い香りに感じられました」
「キャベツの清々しい野菜の香りと新玉ねぎの甘さが塩尻メルロの充実した果実味と見事に調和しています」
鶏と春キャベツと新玉ねぎの3つの素材が溶け合って、溶け込んだ、この季節ならではの蒸し物です。皆様も是非挑戦してみてください。そしてサントリーフロムファーム 塩尻メルロとの素晴らしいマリアージュを体感してみてください。



