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キャンペーン・イベント 2021年6月17日

「父へのメッセージ。2021」
入選作品を
発表いたします。

想いにあふれた入選全10 作品をご紹介いたします。

6 月20 日( 日) は父の日です。山崎倶楽部では、今年も「父へのメッセージ」を募集。
たくさんのご応募をいただき、誠にありがとうございました。

毎回のことながら、お父様への想いにあふれるメッセージばかりで選定は難航いたしましたが、
お一人おひとりのメッセージを拝見させていただき、最優秀賞3名様に「山崎× タケオキクチ クリスタルロックグラス」を、
優秀賞7名様には「山崎うすづくりタンブラー」を贈呈いたしました。

入選全10 作品をここに発表させていただきます。
まさに十人十色の想いやエピソードに触れれば、
きっとあなたのお父様のことも思い起こされるのではないでしょうか。
ぜひ山崎を一緒に味わいながら、今年も素敵な父の日をお過ごしください。

最優秀賞3名様

最優秀作品

千葉に住む息子より福岡の父へ さん

山崎蒸溜所 藤井敬久工場長 推薦作品

もうすぐ50歳になる私。父の日にプレゼントを毎年贈ってきたけど、シャイな父からは「ああ」の言葉だけで「ありがとう」の言葉を1回も聞けたことはない。

そんな中の去年のこと、「父さんは何しても喜ばないから何をあげたらいいのかわからんよ」と父の日のプレゼントを母さんに相談した際、母さんがこう言った。「20年位前プレゼントしたネクタイあるでしょ。あれから毎日そのネクタイばっかりだったのよ」。「5年前にジャンパーあげたよね。もう着すぎてボロボロなのよ」。「ありがとうが言えない人だけどわかるでしょ」と。
それを聞いたときの嬉しいやら恥ずかしいやらの感情は忘れられない。

あまり酒が強くない息子だけど、チビチビやるウイスキーなら好きな私。そんな私が実家を訪れる度に、とっておきの山崎を勧めてくる父さん。
無口だけど人一倍仕事が出来た父さん。尊敬できる父を持って私は幸せです。
コロナで全然帰れないけど、次帰ったら、もうあと何回も出来ないかもしれない親孝行をさせて下さい。そこで山崎の一杯を一緒に。

このメッセージを拝読し、10年前に亡くなった私の父もそうだったなぁと昔のことを思い起こしました。
「山崎」を片手に語り合う。はじめはお互いに気恥ずかしくてぎこちないかもしれませんが、最高の親孝行だと思います。
メッセージ有難うございました。

山崎蒸溜所工場長 藤井敬久

最優秀作品

うりぼう さん

私は美容師になりたくて、就職を機に上京した。私の家は父子家庭で、男手一つで私を育ててくれた父に、「お父さん、今までありがとう」その言葉が、小っ恥ずかしくて言えなくて、私は父の愛酒、山崎にそのメッセージを添えてテーブルに置いて実家を出た。新幹線の中で、父から届いたのが「今度一緒に飲もう」。私が、「そうだね。」と返信してから、親不孝を申し訳なく思いつつも、5年が経ってしまった。
久しぶりに長期の休みが取れて帰省した私に父が、これ飲もう、と言って台所から、未開封の山崎を持ってきた。消えかけてるが、マッキーでメッセージが書かれた跡が残っている。「今度一緒に飲もうと言っただろ?」そう頭を掻きながら話す父の頬は、お酒をまだ飲んでいないのに赤かった。5年目にしてようやっと開栓された山崎は、父のように少し渋くて、とても優しい味たっだ。気付いたら「お父さん、ありがとう。」と、私の口から出ていた。5年越しのその言葉は、山崎の力を借りて、私の口から伝えられることが出来た。

最優秀作品

わだくん さん

社会人テニスの県大会。俺はまた二位だった。これで三年連続。いつもそう。学業も、スポーツも、営業成績も二位ばかり。恐らくそれは名前のせい。俺の名は銀ニ。何だか二位になるため生まれてきたような名前だ。でも本当は悔しくて、一位になりたくて仕方がない。こんなことなら「金一」の方が良かった。

だけどこの前親父と飲んだ時だった。つい酔っ払った俺は「親父が変な名前つけたせいで俺は勝てないんだ」とイチャモンをつけた。すると親父は怒ることもなく、グラスを置いてこう言った。

「常に挑戦者のつもりで上を目指して欲しい。それだけだ」

そして最後に「どんなことがあってもお前は俺の一番だけどな」と笑った。それを聞くなり、俺はグラスのウイスキーを飲み干した。うれしくて、恥ずかしくて、でもありがたくて。最後は真っ赤な頬すらウイスキーのせいにした。

優秀賞7名様

優秀作品

だいち さん

親父の事は嫌いだった。田舎で体に不自由がありながらも肉体労働をしていた親父。母が家を出てからはより貧しくなり兄弟2人で手を取り合い生きてきた。大学も奨学金を借りバイトをして生計を立て、弟の高校も専門学校も自分が出した。こんな親になんて絶対になりたくない。恥ずかしい親だとずっと思ってきた。親父はお酒も滅多に飲まずテレビを観ていても笑いもしない、久しぶりに会っても多くを語らず『元気か』くらいの会話。朝早くから仕事に行って夜帰ってくるだけの単調な楽しみのない生活だった。
先日実家に帰った際いつも通り会話もさほどせずにいると机の手帳が目についた。そこには2人の名前と頑張れの一言。ただそれだけ毎日何年も書いていた。なんだこの日記は。なぜか目から涙がこぼれた。何かをしてもらえない事ばかりにとらわれ親父の思いに気づけてなかった事に私は初めて気がついた。その晩初めて親父に一緒にお酒を飲もうと誘った。親父は私が差し出したウイスキーをありがとうと小さい声で言い口に含みゆっくり飲み込みそして笑った。

優秀作品

浦和35年 さん

父は真面目で寡黙な人だった。

父は仕事のため私達が起きる前の朝早くに家を出て、そして私達家族が寝ている頃に帰宅していた。とても気難しい人で、とにかく曲がったことを嫌う人だった。父との二人の時間は緊張してろくに話ができなかった。事あるごとに兄と二人でよく怒られた記憶ばかり残っているのは、自分のせいなのだが…。

そして忘れもしない小学校3年生の冬、そんな父が私達の前で泣いた。単身赴任しなければならなくなり、家族と離れたくないと泣いていたことに、私はとても衝撃を受けた。父の家族への愛情を初めて実感した瞬間だった。

家族のために人生の何十年を捧げてくれていたことに、自分が親になって改めて感謝と尊敬の気持ちでいっぱいだ。本当に長生きしてほしいし、もっと親孝行させてほしい。コロナが落ち着いたら、今年生まれる孫を抱いてほしい。そして、今はあまり買えなくなってしまった、父が大好きなあの日本のウイスキーをゆっくりと一緒に飲みたい。心からそう思っている。

優秀作品

たいやき さん

父は亡くなっているのですが、手紙のように書いてみますね。

父さんへ

天国でお元気でしょうか。仕事ばかりで構ってあげられなかったと、高級アイスを退職してから買ってきてくれたこと、出張が多くあんまり家にいなかったけど、お酒をチビチビ飲んで(ウイスキーとか焼酎だったと思う)タバコをふかしてたのを思い出すよ。最後にいっしょに食べたのはラーメンだったね、本当に忙しかったので二人きりで食べたのが最初で最後になってしまったねぇ(笑)私の東京での暮らしの悩みをよく亡くなる直前まで電話で聞いてくれてありがとう。東京も長くなり、でもなんとか暮らしていってますよ。父さんのひざで泣いてたチビも軽口をきけるくらい大きくなりました。また電話したいなぁと、ふっと思うことがあるけどそういう時はウイスキー飲みながら父さんと交信できてる気がする。

天国でも大好きなお酒を飲んでいることでしょう。
もうすぐ父の日だから父さんのこと思い出すんだ。
辛いこともあるけど父さんの厳しさ優しさを困難があるたびにおもいだすよ。
ありがとう

優秀作品

むぎ さん

なんで僕のお父さんは、いつも作業着なんだろう。

小さい頃の記憶は定かではないけど、そんな記憶があります。お父さんは整備士をしており、油でシミ汚れになった作業着を着ていたね。そんな汚れた服を着て仕事をしていたお父さんの事がどこか好きになれず、友達のお父さん達のスーツ姿がかっこよく見えました。

俺大きくなったらスーツ着て働く仕事がしたい。
そんな会話もありましたね。

それから時は流れて僕も父親になりました。数年前結婚の報告の為、二人でちょっと高いバーにいったね。色々な昔話をしましたが、そこで呑んだお酒が山崎18年だったね。

スーツを着て働くはずが、就活をしながら昔を思い出し、お父さんと同じ道に進みました。今では俺もシミ汚れた作業着を着て働いています。

こないだ、息子の卒園式で将来の夢を発表していましたが、他の子達は、サッカー選手野球選手でしたが、じーちゃんの孫は、しっかり大きな声で整備士になりたいです!でした。これからも呑み過ぎず身体に気をつけてね!

優秀作品

出来の悪い息子 さん

親父へ

貴方は幼少期から家族に縁が薄く苦労の連続でしたね。
沢山の弊害を乗り越える為に、必死に働き周囲の人達に対して人一倍の感謝と気遣いをしながら私達子供には何一つ不自由をさせる事なく育て上げてくれましたね!
周囲はとっくに年金生活に入っていく中、仕事人間だった貴方は病気もして大好きだったお酒を呑めなくなっても老体に鞭を打ちながら子供達の為にと若い時同様に仕事を頑張ってくれていましたね…
私も子の親となり、親父の背中に感謝を出来る環境になった矢先貴方は突然ほんとうに突然貴方らしい大好きな仕事中に最後を迎えましたね。
もう目を覚ます事のない貴方と二人で最初で最後の乾杯を出棺前にしましたね、久しぶりのお酒は美味しかったですか?
一周忌には親父の大好きだった山崎を皆で呑ませてもらうね…
反発ばかりして素直な息子ではなかったね本当にごめんね、もっと早く貴方の偉大さと貴方の無償の愛に気付いてあげれてたら良かったね。
初めて言わせてもらうね、親父の息子で本当に幸せです。

優秀作品

boby さん

父は、私が踏み出す人生の一歩を、時に厳しく、時に優しく後押ししてくれました。中学・高校時代は顔を合わせる度に、「今が一番大切な時だ」と勉強の話をされ、窮屈な思い出ばかりが残っています。しかし、念願だった医療系の大学に進学すると、厳しい経済状況にも関わらず、好きだったタバコを止め、ウイスキーのグレードを落として仕送りを続けてくれました。就職の際には、地元に戻ってきてほしいと言う母を制し、「一度きりの人生だから、後悔のない選択をしろ。自分達のことは自分達で面倒を見る」と、背中を押してくれました。そして、仕事が上手くいかず、どうしようもなくなって電話した時には、「年をとって不自由なことが増えたから、戻ってきてほしい」と、地元に戻る理由を作ってくれました。やり甲斐のある仕事を見つけて再就職し、妻と子供たちに恵まれた今があるのは、人生の節目で背中を押してくれた父のおかげです。本当にありがとう。父の大好きな山崎を持って、今年も会いに行きます。

優秀作品

けん さん

小さい頃から、親父と遊んだという記憶はなかった。
十五歳で寮に入るため、新幹線を待つホームに親父の姿は無かった。
二十歳の時、成人式の為実家に帰った。その時、山崎のウイスキーを買っていったが目の前で開けられる事は無かった。
二十五歳の時、海外勤務の前に実家に寄った際、ウイスキーボトルの箱がテレビの横にあったが包装紙はそのままであった。
三十歳の時、結婚の報告で実家に帰った時、包装紙が取られた箱があったが、未開栓だった。
三十七歳の時、心臓の病気で親父が倒れた際、病院に行く前に、実家に立ち寄るとそれは無かった。
病気の為アルコールの少量は良いが、控えるように言われた親父は、それ以降ビールを飲むことは無くなった。
先日、母親にウイスキーの行方を聞いてみた。大事にタオルで包まれたそれは、神棚にある事を知った。
俺には言わないが開けてしまうと息子との思い出が無くなってしまうかもしれないと心配しているそうだった。
俺の方こそ、近づく事を遠慮していたのかも知れない。もう一本買って実家に帰ろうと思う。

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