11月11日。“伝統と革新”を誓う日。
蒸溜所の特別な一日。
今年も11月11日がやってきます。
96年前のこの日、山崎の地に日本最古のモルトウイスキー蒸溜所が操業を開始しました。
以来、毎年11月11日は特別な日として、職人はじめ関係者が蒸溜所隣の椎尾神社に参詣し、蒸溜所主催で秋の例大祭を執り行ってきました。
-
-
椎尾神社での過去の祭礼の様子
今年は、新型コロナの影響で規模を縮小して行いますが、
蒸溜所の職人たちが心をひとつにして、ウイスキーづくりができることに感謝し、
支えていただいているすべての方々に感謝申し上げる、大切な行事であることに変わりはありません。
-
鳥井信治郎が奉納した神社幕 -
社殿には、山崎、響、ローヤルが奉納されています
信治郎の夢の結晶。
サントリー創業者・鳥井信治郎がウイスキーづくりを志した時、周囲は猛反対しました。
「日本でウイスキーづくりなどできる訳がない」、「仕込んでから売り物になるまで5年も10年もかかるんだぞ」。
社内の役員はもちろん、親交の深かった財界人まで、ウイスキー事業を思いとどまるよう、熱心に説得したと言います。
しかし、信治郎は反対する人々を一人一人説き伏せ、志を貫きます。
「やってみんことにはわかりませんやろ」
しかし、蒸溜所の建設はピンチの連続でした。
なにせ東洋初の試み。ウイスキーの蒸溜所など建てたことのある人間がひとりもいないため、
工事は何度も壁にぶつかりました。

なかでも巨大な蒸溜釜の運搬は困難を極めました。
直径約3.4m、高さ約5.1m、重さ約2tの蒸溜釜を、大阪で製作。
蒸気船に乗せて淀川を遡り、陸地に揚げた後はコロを敷いて少しずつ運ぶのですが、東海道線の踏切が最大の難関でした。
どれほど時間がかかるか誰にもわからないため、列車の通らない深夜にソロリソロリと、
線路の凸凹でガタつくたびに傾く蒸溜釜に肝を冷やしながら、なんとか渡り切ったといいます。
-
-
操業開始当時の山崎蒸溜所
1924年11月11日11時11分、ついに蒸溜釜に最初の火が入りました。
山崎蒸溜所が産声を上げた瞬間です。
後日、信治郎は、自分を支え続けてくれた母に自分の夢の結晶を見せたいと、
山崎駅から蒸溜所までの道のりを、足の悪い母を背負って歩いたといいます。
「国産ウイスキーを醸造するということは多年の夢であり、
ようやく実現の第一歩を踏み出した山崎工場に、母親を背負って行き、隈なく工場を案内したので、
母親も非常に悦んでくれたことは、終生忘れえない感激であった」(当時の社内報より)
-
-
操業開始当時の山崎蒸溜所
心新たに、“伝統と革新”を誓う。
今では世界的に高い評価をいただいているジャパニーズウイスキーですが、
その初めの一歩は、他でもない、信治郎の不屈の精神が切り拓いたものなのです。
11月11日。この日は、蒸溜所の職人たちをはじめ、ウイスキーづくりに関わるすべての人間が、
信治郎の初志に想いを馳せ、それを大切に受け継ぐことを誓う。
一方その歴史を礎に、時代とともに勇気をもって変えることも恐れない。
まさに“伝統と革新”の想いを、改めて心に刻む日なのです。

山崎の特別なイベントや会員限定のプレゼント情報等を
メールマガジンでお届けします。