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ブランド 2017年10月12日

山崎入門 vol.10
“山崎蒸溜所には怪物が棲んでいた?”

シングルモルトウイスキー山崎に関する基礎知識をご紹介する「山崎入門」。
10回目の今回は、山崎蒸溜所操業開始当時のエピソードをお届けします。

山崎蒸溜所に棲む“ウスケ”

「日本人の手で、世界に誇るウイスキーをつくりたい」
サントリー創業者・鳥井信治郎は大志を抱きました。
スコットランド以外で本格的なウイスキーづくりは不可能と言われた時代です。
周囲は猛烈に反対しました。

サントリー創業者・鳥井信治郎

「やってみんことにはわかりませんやろ」
信治郎は猛反対をものともせず、1923年、日本初のモルトウイスキー蒸溜所・山崎蒸溜所の建設に着手。
翌年11月11日、山崎蒸溜所はめでたく竣工を迎え、蒸溜釜に最初の火が入りました。
ジャパニーズ・ウイスキーの歴史が動き出した瞬間です。

操業開始当時の山崎蒸溜所

しかし、その後の歩みは決して平坦なものではありませんでした。
ウイスキーは、熟成して製品になるまでに永い年月が必要です。
丁寧に手間をかけながら、ひたすらその時を待つしかありません。

蒸溜所に日々大量の大麦が運び込まれるのに、
キルン(乾燥塔)からはただ煙がたちのぼるばかりで、
ウイスキーらしきものは一向に出てこない。
村の人たちはそんな様子を見て、
「あの建物では、“ウスケ”とか“ウイスケ”とかいう怪物を飼っとるらしい。
大麦は“ウスケ”の餌らしい。」と噂したと言います。

ウイスキーの熟成に何年もの歳月がかかることなど、誰も知らなかった時代です。
そういう噂も、一概に笑い飛ばせない真実味があったことでしょう。

操業開始当時の山崎蒸溜所のキルン(乾燥塔)

日本にウイスキー文化を創造

信治郎と蒸溜所の職人たちは、日本初の本格国産ウイスキーの完成を目指し、
日々試行錯誤を繰り返しました。
そして1929年、ついに「白札」を発売。
しかし、苦労の甲斐もむなしく、当時の日本人にはあまり受け入れられませんでした。

それでも、信治郎は諦めませんでした。
さらに改良を重ね、1937年に「角瓶」を発売。これが大人気となり、
その後も「オールド」、「ローヤル」などを次々と発売。
日本にウイスキー文化を花開かせていったのです。

発売当時の「サントリーウイスキー白札」(左)、「角瓶」(右)

やがて信治郎の次男である佐治敬三が、二代目マスターブレンダーを引き継ぎました。
「日本を代表するシングルモルトをつくる」
父が築いた礎の上に、新たなジャパニーズ・ウイスキーの一歩をしるすべく、
敬三はそう決意しました。
高度成長期がピークを迎えつつある1980年代。
時代が大きく舵を切るただ中で誕生させたのが「シングルモルトウイスキー山崎」だったのです。

発売当時の「山崎」

ジャパニーズ・ウイスキーのふるさと、山崎蒸溜所

幾多の歴史がその地に刻み込まれている、山崎蒸溜所。
訪れれば、今なお連綿と引き継がれる信治郎と敬三の情熱を、
そこここに感じることができるかもしれません。

「山崎ウイスキー館」(無料・要予約)では、
信治郎が夢の実現に向けて歩みはじめた時代から今日までのサントリーウイスキーの歴史や、
ウイスキーづくりのこだわりを、
豊富な展示物や映像プレゼンテーションを通じてご体感いただけます。

また、希少なウイスキー原酒などをご試飲いただけるテイスティングカウンター(有料)や、
オリジナル商品を取り揃えたギフトショップもお愉しみいただけます。

※ウイスキー館の入場には予約が必要です。ご予約はこちらから

今や世界中で高い評価をいただいている、ジャパニーズ・ウイスキー。
山崎蒸溜所は、まさにその原点の場所なのです。

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