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ジャパニーズウイスキー物語 水薫る

第五話 モルト原酒新時代

高度成長期に生まれた国際品

佐治敬三が二代目マスターブレンダーに就任した頃からウイスキーの需要は凄まじい勢いで拡大する。時代の要請に応えるかのように敬三は新製品を生み出していく。さまざまな価格帯に個性あふれるテイストのウイスキーを充実させる。
主な製品に、1964年(昭和39)『レッド』。同じ年、当時の最高級品『インペリアル』。1969年(昭和44)『リザーブ』を発売した。


国際品を謳った『リザーブ』の
発売広告

『リザーブ』は創業70周年記念作品だった。広告コピーは“国産品と呼ばずに国際品と呼んでください”。高度経済成長をつづける中、新しい価値基準が求められる時代の到来を暗示していた。
1968年から国際収支は大幅な黒字となり、欧米では日本のビジネスマンのことを“エコノミック・アニマル”と皮肉って語りはじめる。『リザーブ』を発売した年にはGNP世界第二位へと躍進する。1971年(昭和46)はドル・ショックによる世界経済大波乱に見舞われた。そしてスコッチウイスキーの輸入自由化となった年でもあった。
1973年、1ドル=360円の固定時代が幕を閉じ、円、変動相場制に移行する。確実に日本人の生活は多様化しようとしていた。


和食とウイスキーの
”懐石サントリー”
シリーズ写真

70年代は豊かさを実感できる時代となった。かつて高嶺の花だった『オールド』は手の届く酒となり、驚異的な人気を誇りはじめる。また生活の多様化とともに和食とウイスキーの水割りが愉しまれるようになる。和風店で飲まれはじめたことが需要拡大の要因のひとつでもあった。
鳥井信治郎はスモーキーフレーバーを抑えた日本人の味覚に合ったウイスキーづくりを目指した。敬三もまた和食の淡麗な風味に合うウイスキーを創造した。それが結実したともいえる。


一世を風靡した開高健のシリーズ広告

「消費者が待ちかまえていた」と言われたほど、『オールド』の時代は加速する。これに対して敬三は70年代後半に社内に警鐘を鳴らした。
豊かさを享受する世の中にあって、ブランドがあまりにもエスタブリッシュされた場合には必ず反動が起こる、というものだった。だが敬三の危惧をよそに『オールド』ブームはさらに膨張する。80年代前半までウイスキー史上空前のNo.1ブランドの地位を保ちつづけた。
敬三はその様子を眺めながらも、鋭く未来を見据えていた。
さらに日本は豊かになっていくだろう。人々のライフスタイルがより多様化しながら成熟していった時、どんなウイスキーが求められるだろうか。もっと付加価値のあるものではないか。それは何か。

プレミアムウイスキーの先駆者


日本のウイスキーの故郷、
山崎蒸溜所

その間、つくりの現場も大きく変貌している。
山崎蒸溜所は1968年にポットスチルを12基に増設。生産体制 を強化していたが、山崎に次ぐ第二の蒸溜所建設が不可欠となっていた。それは需要を満たすためのモルト原酒の確保に加えて、未来への新しい香味づくりの創造のために異なるタイプのモルト原酒を豊富に揃える必要があったからだ。
山崎蒸溜所着工から50年。1973年(昭和48)、山梨県北巨摩郡(現北杜市)の広大な森の中に白州蒸溜所が建設された。これはかつてのチーフブレンダーで山崎工場長も経験した大西為雄が、良質でウイスキーの仕込みに最適な水を求めて全国を調査した中から敬三が決定した場所だった。


世界でも稀な、広大な森の中に
佇む白州蒸溜所

鳥井信治郎がそうであったように敬三も水にこだわった。良質な水、やがて美しく薫る水でなければ、人々に愛されるウイスキーは生まれない。
白州の水は南アルプス、甲斐駒ヶ岳の花崗岩層をくぐり抜けてきた見事なものだった。山崎の研究室での実験によって、白州の水は軽快で穏やかなモルト原酒として薫ることがわかった。
山崎の竹林に湧く水は白州の水より硬度が高く、モルト原酒は重厚に華麗に薫る。山崎と白州、ふたつの蒸溜所の水と立地環境の違いが、タイプの大きく異なるモルト原酒を育むことになる。

またポットスチルの形状も山崎と白州では異なった。さらには熟成樽。山崎はシェリー樽やホワイトオーク、ミズナラといった材からつくられたパンチョン樽が主流だった。容量約480リットルの大形で長期熟成型の樽が山崎では使われていた。標高が高く、気候が冷涼な白州は小形で容量約230リットルのホッグスヘッド樽を主流にした。バーボンの空き樽を組み直してつくられた樽だった。
ポットスチルの大きさや形状の違い、樽の材質、形状や内面焼きの違い、そして熟成環境の違いなどさまざまな要素が掛け合わさって多様なモルト原酒が生まれることになる。
こうしてサントリーはモルト原酒新時代を迎える準備を着々と進めていく。これがやがて訪れる長期熟成ウイスキーの時代の土台となる。


昭和59年に発売された
『山崎12年』

80年代となり、未来を見据えていた敬三がひとつの答えを出す。それは日本初のモルト原酒100%ウイスキーであった。
1984年(昭和59)、シングルモルトウイスキー『山崎12年』発売。そのころシングルモルトは、世界でも限られた好事家が嗜む酒でしかなかった。水や気候風土。職人のウイスキーづくりへの姿勢。これら蒸溜所の持つ特性がダイレクトに伝わる酒がシングルモルトで、ブレンデッド主流の時代に冒険ともいえる一瓶だった。
チーフブレンダー佐藤乾が山崎の風土が磨き上げた長期熟成モルト原酒を真摯に選び抜く。敬三の「スコッチのシングルモルトとは異なる、日本的な上品なテイストに仕上げたい」との願いに応えた。
『山崎』という史上初の和名を冠したウイスキーのラベルは敬三の書となった。彼は飽くほどに何度も何度も『山崎』と書く。最も力強く、しかも端正な文字が最終的には選ばれた。
80年代半ば、肥大化した『オールド』ブームは鎮静化する。その中、『山崎12年』はゆっくりじっくりとウイスキー通の舌を捉えていく。
長期熟成のプレミアムウイスキーの時代が幕を開けようとしていた。

[第5話 了]

  • 第一話 本格国産への挑戦
  • 第二話 研鑽が生んだ傑作
  • 第三話 激動の中での熟成
  • 第四話 大衆が認めた香味
  • 第五話 モルト原酒新時代
  • 第六話 香りの花束の継承
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