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第5回 山崎 勇躍編

 

シングルモルトウイスキーにすっかり目覚めてしまったシーナは、昨年、スコットランドのスペイサイドとアイラ島を訪ね、至福の蒸溜酒と夢のような景色、心温まる出会いに酔いしれた。帰国後、シーナはさらに、“もっともっと飲みたい”状態に陥ってしまった。しかし、日本にも歴史と清流の里に、素晴らしいシングルモルトがあることを耳にする。そして勇躍、西は京都郊外、天王山麓の山崎峡を目指して突き進んでいくのだった。

樽は輪木積みと呼ばれる貯蔵方法で、貯蔵庫に眠る。庫内のひんやりとした空気が旅の心をくすぐる

“天下分け目の大合戦”天王山の麓、山崎峡に立つ

山崎蒸留所

山崎についた。駅から1分も歩かない所に西国街道が横たわっている。空はやや雨模様だが空気がきりと引き締まって冷たい。東京では早々と桜が満開となった。山崎峡の桜はどんな具合か予想もつかなかったのだが、街道沿いにある桜の花の開き具合から見るとまだせいぜい三分咲きといったところだった。

西国街道の曲がり角に小さな川がある。幅1メートルもないが澄んだ水が流れていてじつに美しい。その傍らに「これより東山城国」の石碑が建っていた。この小さな川が山城と摂津、つまり今の京都府と大阪府を分ける府境となっているのだ。大阪府と京都府を跨いで、目の前にある安藤新聞本舗の古ぼけた看板を眺めると『毎日グラフ』とか『カメラ毎日』など今はない雑誌名が書かれている。
西国街道は別名山崎道とも呼ばれ、京都の東寺を起点に今の大山崎町、高槻市、茨木市、箕面市、伊丹市の5つの宿場を通って西宮市まで結ぶ64キロの街道だ。

三笑亭のご主人と西国街道の絵地図

ぜひ寄っていくといいですよと勧められた天麩羅屋『三笑亭』は、京都と大阪を跨いだまま右横を向いたところにあった。創業百余年。お隣の離宮八幡宮は油の神様で、ここで初めて荏ゴマを絞って油を製造したそうだ。店に入る前に油の神様にお参りした。日清製油や豊年製油などいろんなメーカーの油が缶ごと奉納されている。油の神様の隣の天麩羅屋さんであるからこれは普通の天麩羅屋さんとはちょっと格が違いそうだ。揚げたての天麩羅が出てきた。まずはモルツで乾杯し、コロモ厚めの絶妙な海老天麩羅をいただく。
律儀そうな四代目の主人が、この店の宝物のような西国街道の絵地図を見せてくれた。
「このあたり、道の位置が昔と殆ど変わっていないんですよ」と街道筋の絵をなぞりながら丁寧に説明してくれた。

外に出ると雨は上がり少し視界が開けていた。このあたりの地形をもっとよく見るために、車でかなり上までいけるという山崎の対岸の男山に登ってみることにした。住宅地にもなっていてかなり家が建て込んでいる。頂上の展望台まで上がると広い川原がそっくり見渡せた。

天王山中腹から見た三川合流

京都の北側から流れる桂川と、琵琶湖を源流に流れてくる宇治川、加茂のあたりを経由して南側を流れてくる木津川がこの山崎峡で合流し、淀川となって40キロほど先の大阪湾に流れていくのだ。温度差のある水が合流するので川面から常に霧が発生する。この霧がもたらす湿潤な気候がウイスキーの熟成にいいのだという。
向かい側に標高270メートルの天王山が見える。本能寺で織田信長を討った明智光秀と、豊臣秀吉が天下分け目の戦いを繰り広げた所である。その麓あたりに特徴あるキルン(乾燥塔)のような角を2本尖らせた、サントリー山崎蒸溜所がある。ここまで来たなら天王山にも登ってみることにした。

天王山には若干の恨みがある。といってもかつての我が家系の主君がこの戦で討ち取られたなどというたいそうなことではなく、5年ほど前だったかこの山の下を貫く天王山トンネルに閉じ込められたことがあったのだ。奈良で仕事を終え、夜半に京都に帰る途中だった。気持は冷たいビールにすっかり向かっているのに、トンネル出口で玉突き炎上事故が起こりビールどころではなくなってしまったのだ。排気ガスに包まれたままの数時間の呼吸の苦しさを思い出しながら山頂のいい空気を沢山吸ってみたい。

登山道の竹林

登山道は素晴らしい竹林の中を行く。太くて長い孟宗竹だ。日本は竹の北限らしいと何かの本で読んだ記憶がある。また筍を工夫して料理し食するのは日本だけらしい。そういえば先程の男山には山頂にエジソンの記念碑があり、何故ここに?と驚いた。発明王エジソンが電球のフィラメントの材料にこのあたりの竹を用いたのを記念した石碑であった。山崎峡は昔から豊富な竹林に覆われて、これが良質の水を蓄えていた。その湧水がうまいウイスキーのもとになる。

発明王エジソンの記念碑。電球があるのもここの竹のおかげ?