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第5回 山崎 勇躍編

いざ山崎蒸溜所へ 約八十年の伝統と歴史

創業当時の貯蔵樽を発見。1924年の刻印が

天王山を下って山崎蒸溜所に到着。松山工場長がやや無骨な顔をほころばせながら待っていてくれた。ここ山崎蒸溜所の操業開始は1924(大正13)年11月11日、日本初のウイスキー蒸溜所だ。2年後の2004年には80周年を迎える。

松山工場長。山崎に勤続30年。ウイスキーを語る眼差しは厳しい

このところシングルモルトに目覚めてしまった僕は、スコットランドのハイランド地方やアイラ島などのシングルモルトウイスキーの蒸溜所を続けて訪ねてきた。一日のうちに激しく変わる気象や、ツンと研ぎ澄まされたような空気、至る所から聞こえるせせらぎの音など、ウイスキー作りにいかにも適した場所としての共通性を山崎にも強く感じた。
「そうですね、三つの川が合流するので霧はしょっちゅう出るし、竹林の湧水がやはり醸造にうまく作用しているようですね」

創業者・鳥井信治郎の銅像。隣は「ウイスキー発祥の地」の石碑

「この場所を創業者の鳥井信治郎さんがみつけたというのはすごいことですね」
「当時は社内外の猛反対にあったようですよ。ウイスキーはまだ日本人に知られていない時代だったし、ウイスキーは出来上がるまで10年は必要でしたからね」
「慧眼だったんでしょうねえ」
「この場所を蒸溜所に選んでよかったことのひとつに、戦時中、京都は爆撃されなかったことがありますね。裏山に穴を掘って樽を隠し、原酒を守ることができたんです」

定年まで46年勤めたOBの藤井昌尚さん。朴訥と、しかし熱心に語る姿は現役そのもの

そんな話をきいているところに、戦時中の学徒動員からずっと、定年になるまで46年間勤め上げたという藤井昌尚さんが顔を出した。71歳。今でもこうして懐かしさをこめて時々顔を出すのだという。

「鳥井信治郎さんはものを大切にする人でした。よく本社から黙ってやって来たと思うといきなり現場に入ってくる。ある時、大麦を水に浸す作業中だったんですが、麦を少しこぼしてしまったんです。現場では何も言わない。あとで事務所の管理者にきっちり注意をしてゆかれました。現場には優しく、上には厳しい、そんな人でしたよ」