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ウイスキーとミステリーの世界

『幸福と報復』

(2001 アメリカ); 作/ダグラス・ケネディ; 訳/中川聖 ; 出版/新潮文庫

幸福と報復

(ストーリー)
コピーライターのケイトは、母の葬儀で見かけた老婦人サラにある原稿を手渡される。それは、彼女の父ジャックとサラとの物語だった。第二次世界大戦終了直後のニューヨーク。雑誌社で働くサラは、新聞記者のジャックと出会い、恋に落ちる。だがヨーロッパへの赴任が決まったジャックは去り、音信も途絶えた。悲嘆にくれるサラは、経験を昇華するために小説を書く。その作品は雑誌に掲載され、彼女にジャーナリストへの途を拓いた。コメディ作家の兄エリックとともに文壇の寵児となるサラだったが、突如その前にジャックが現れる。彼は他の女性と結婚し、男の子までもうけていたのだ。彼への愛が捨てられず、サラは愚かしくも不倫の関係を結んでしまう。危うい均衡のもとに、新しい生活スタイルを立て直した彼女だったが、すぐそこに崩壊の声が迫っていた。かつて共産党に所属したことのある兄に、FBIが捜査の手を伸ばしてきていたのだ。壮大なロマン小説。


およそ考え得るすべての理由において、ニューヨークは世界の中心である。そして、マンハッタンこそが、その中枢に当たる。そのマンハッタンのとあるクラブで、産み出されたのがウイスキーベースのカクテル、マンハッタンだ。一説によれば、それは1867年の大統領選応援パーティーでのことであったという。ウイスキーとスイート・ベルモット、アロマティック・ビターズをステアして、カクテル・グラスに注ぐ。レモン・ピールをかけるのは日本流だと聞いたことがあるが、カクテル・ピンに刺したレッド・チェリーは、視覚的にも欠かせない要素だろう。これほどまでに完成されたカクテルは少ない。街の名前がついたカクテルなら、例えば同じウイスキーベースのロサンジェルスなどがあるが(なんと生卵を1個そのまま使うのだ)。洗練度においてマンハッタンには遠く及ばない。

サラ・スミスが、ニューヨークではじめて受けた洗礼が、このマンハッタンだった。

――(前略)そこのマンハッタンを二杯飲んだあと、私は麻酔でも打たれたような気分になったのだから。時にはそんな気分も悪くないと、認めなければならないが、エリックが三杯めを飲まそうとしても、頑として聞かずにジンジャーエールを言い張った。

マンハッタンこそ躍動する都会の味だ。良家に育ったサラには、さぞかし衝撃が強かったことだろう。しかし、彼女が籍を置くジャーナリズムの世界は、その衝撃を友としてはじめて生き残れる世界。ある編集者いわく「昼時にマンハッタンを三杯飲んでもなお、職務を果たす方法」が分かってこそ一人前だという。マンハッタンの酒精こそ、命の水か。

この小説は1940年代のアメリカの繁栄と、1950年代の魔女狩り、すなわち冷戦の影響を受け、反米活動家の徹底的な摘発が行われた暗黒の時代の双方を描いている。マンハッタンは前者の繁栄の象徴といえるだろう。そして、暗黒の時代には、優雅にカクテルを楽しむ余裕は失われていく。サラの兄エリックも、共産主義者のレッテルを貼られて失脚してしまうのだ。そんなときには生のウイスキーの助けでも借りなければ、心が折られてしまう。バーボン・ウイスキーを幾分かの苦渋の味とともに飲み干すのだ。

しかし、時代のうねりは高く、サラは敗北して隠遁を余儀なくされる。そのときもウイスキーの火照りが心の支えになるのだ。淋しい隠れ家に、旧い友人からスコッチ・ウイスキーが届けられる。

――「(前略)夜はまだ身を切るような寒さだから、スコッチのボトルは温まるのに役立つと思って……。とりわけ毎晩、火をたきつけるのにうんざりした場合はね」

日々のうねりはさまざまだが、常にウイスキーの加護のもとに。


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