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ウイスキーとミステリーの世界

『僧正の積木唄』

(2002 日本) ; 作/山田正紀; 出版/文藝春秋

僧正の積木唄

(ストーリー)
一九二九年にニューヨーク市を震撼させた『僧正殺人事件』は、名探偵ファイロ・ヴァンスの手によって解決に導かれた。だが、それは真実の解決ではなかったのだ。自滅したかに思われた殺人鬼『僧正』は、法の網を逃れ、ひそかに次なる凶行の機会をうかがっていた。一九三×年、『僧正殺人事件』の関係者だったシガード・アーネッソン教授が殺されるという事件が起きた。爆弾が炸裂したかと思われる無残な死に様で、遺留品の状況からニューヨーク市警は、一人の日本人移民を犯人として捕らえた。ちょうど反日感情が高まった時期でもあり、日本人は手っ取り早い生贄だったのだ。圧倒的に不利な状況の被告を救うため、一人の男がサンフランシスコから招き寄せられた。男の名は金田一耕助。彼は事件の背景に大掛かりな陰謀があることを見抜き、無実の男を救うために全身で闘いを挑んでいく――。名探偵金田一耕助の語られざる前日譚を描く、本格ミステリー巨篇。


金田一耕助という名前は有名だが、彼にアメリカ留学の経験があることは、ミステリーファン以外にはあまり知られていないかもしれない。金田一耕助の初登場作品『本陣殺人事件』は一九三七年の出来事だが、一九三三年からの数年間、彼は日本にいなかったのである。産みの親である故・横溝正史はその時期の金田一については触れていないが、二〇〇二年になって横溝作品を敬愛する山田正紀がアメリカで起きた怪事件を解決する金田一を作品に登場させた。しかもそれが、やはりミステリ界の巨匠と呼ばれるヴァン・ダインの産んだ名探偵ファイロ・ヴァンスが解決しそこなった事件だというのがおもしろい。それが『僧正の積木唄』という作品の趣向である。

さて、金田一耕助が大酒している場面というのはあまり記憶にない。しかし産みの親である横溝正史はいける口で、しかもウイスキー党である。回顧録「しかし私は飲む」でも、五日に一瓶というペース(ただし気が緩むともっと過ごしてしまうらしい)でウイスキーを飲んでいる、と書いている。もともとは日本酒派だったそうだが、寝酒に飲むのにいちいち夫人に燗酒の手間をわずらわせるのが気の毒という引け目があり、かつ主治医の勧めもあって洋酒派に転じたのだそうだ。また横溝には乗物恐怖症の気があり、やむなく外出しなければならないときには、ウイスキーを入れたフラスコを必ず携えていたという。

その横溝が創造した金田一耕助なのだから、飲めないはずがないし、ウイスキー党だっただろう。『僧正の積木唄』では、いつもの着物に袴というスタイルを捨てスーツ姿まで披露してくれているのに、ウイスキーを飲む場面はないのである。そこがこの小説の唯一の不満といってもいいだろう。もっともアメリカには一九三三年まで禁酒法があってウイスキーは手に入りにくかったし、当時の日本人移民社会は反日感情のために圧迫されていて経済的にも困窮していただろうから、いいウイスキーを手にいれるのも難しかったのだろう。

唯一ウイスキーと関連するのは、『僧正』が犯行声明として送ってくるマザーグースの替え歌だ。この中にはウイスキーの原料であるモルトがちらりと出てくる。いわく――

これは日本人が建てた/家に置いてあった/モルトを食べた/ネズミを殺した/ネコをいじめた/イヌを放りあげた/ねじれた角の牝ウシの乳をしぼった/孤独な娘にキスをした/ボロをまとった男を結婚させたくりくり坊主の僧正だ。

しかし、ウイスキー党としてこれだけでは寂しいので、なにか『僧正の積木唄』にふさわしい飲み物を金田一耕助に捧げたい。となると思い出されるのは、《セント・アンドリュース》というカクテルである。セント・アンドリュースという地名は、世界的に有名なゴルフ場のある場所としてゴルフ・ファンにはおなじみだろう。人名としてのセント・アンドリュースは、スコットランドの守護聖人なのである(ただしアンドリュース自身はスコットランドに足を踏み入れたことはないらしい)。聖人すなわち『僧正』だ。したがって、《セント・アンドリュース》がスコッチ・ウイスキーを使ったカクテルであることは自明の理だろう。用意するものはスコッチ・ウイスキーとドランブイとオレンジ・ジュース。これをほぼ同量シェークして、カクテル・グラスに注ぐのである。甘口のカクテルであるだけに、心が疲れたときにはちょうどいい。事件を解決して緊張感から解放された金田一耕助が、このカクテルを飲む場面を読者はめいめいの胸の中で思い浮かべること。


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