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ウイスキーとミステリーの世界

『友と別れた冬』
Nick's Trip

(1993 アメリカ) ; 作/ジョージ・P・ペレケーノス; 訳/松浦雅之; 出版/ハヤカワミステリ文庫

友と別れた冬

(ストーリー)
ワシントンDCの新米私立探偵ニック・ステファノスは、安酒場のバーテンダーを副業としながら細々と営業を続けている。ある日、そのニックの店に思いがけない客が現れた。ビリー・グッドリッチ、十五年間も音信不通状態にあった、大学生時代のニックの旧友だ。二人でボロ車に乗ってアメリカ縦断の旅に出た体験は、ニックの貴重な思い出になっている。そのビリーの依頼は、失踪した妻のエイプリルを捜すことだった。彼女の浮気相手を訪問したニックは、彼女が二十万ドルもの金を持ち逃げしたらしいことをつきとめる。
バーボン・ウイスキーの壜を片手に車に乗り込み、ビリーとともにエイプリルを追ったニックは、かつての狂乱の道中を再現するような旅路の果てにある田舎町にたどり着くが……。謎の失踪事件に、ニックの友人の新聞記者が惨殺された事件が絡み、事態は意外な方向へと転がり始める。ワシントンDCを舞台にし、街角派の詩人作家が描く犯罪小説連作。


バーでいちばん嬉しいことは、経験豊かなバーテンダーに迎えられることである。老舗のバーの居心地よさは、何ものにも換えがたい。それにつぐ楽しみは、バーテンダーとともに成長することだろう。どんなバーテンダーも新米の時はある。定番のカクテルだって、何杯も何杯も繰り返して作らなければ自分のものとすることはできないのだ。その勉強の過程を目の当たりにするのは、酒飲みの喜びでもある。深夜の店内で、バーテンダーと二人して、次はこのカクテルに挑戦しようか、などと相談するのはなかなか楽しいものだ。

『友と別れた冬』の主人公、ニック・ステファノスは変わった経歴の持ち主だ。元は家電小売店の広告マンだったが、ある事件が元で私立探偵に転身。しかしそれだけではなかなか食うのも難しいため、今は<スポット>という店でバーテンダーを務めている。

<スポット>は、ワシントンDCのサウスイースト地区の八番通りとGストリートの交差点の北西角にある。ペンキの塗られたシンダーブロックと四十ワットの電球からなる掩蔽壕。人がぼんやりと自分を忘れ、タバコを根元まで吸い、ウイスキーを呷りながらビールを飲める近所の安酒場など、ワシントンDCからは絶滅されたと考えられていたが、<スポット>こそがその生き残りだったのである。新米バーテンダーはレシピ・ブックをアンチョコに、カクテル作りの修業を積むのだが――。

――ある日の午後、わたしがマンハッタンを出した直後に、彼は口いっぱいにふくんだその酒をカウンター越しに吐き散らした。わたしは彼のほうを見た。

「おれが頼んだのはマンハッタンだぜ」彼は大声でぼやいた。

言い訳はたったひとつしか思いつかなかった。「すみません。スィート・ヴェルモットの代わりにドライ・ヴェルモットを使うべきでした」

「いいか」彼は獰猛な目つきでこっちを睨み、一日六十本のチェスターフィールドにやられた声で言った。「おれがマンハッタンを注文したときは、どんな種類のヴェルモットもいらない、聞いてるか? マティーニ・グラスにバーボンを一オンス注いで、そこにくそったれチェリーを落とすんだ。わかったか?」

ご存じのとおり、マンハッタンにはスイート・ヴェルモットとビターズがつきものであるから、この客の注文は無茶な物言いである。しかし、こうしたわがままにも対応してこそ居付きのバーテンダーというもの。ご無理ごもっともと注文を聞きながら、バーテンダーは成長していく。しかし、あなたはこんな意地悪は言わないように。

老婆心ながら、バーテンダーに目当てのカクテルを作らせたいときは、手に入りにくい材料は持参することをお勧めする。筆者がここ一年通っているバーでは、これまで一度もミント・ジュレップを作ってくれたことがない。ミント・ジュレップは、コリンズ・グラスにミントの葉と砂糖、水を入れ、ミントの葉をつぶした上にクラシュド・アイスとウイスキーを注いでステアしたカクテルである。この香りを楽しみたいと思っているのだが、行くたびにミントの葉が無くて飲み損ねている。その度にバーテンダーと顔を見合わせて、次は私が持ってくる、いや僕が持参します、と口約束だけは交わしているのだが。


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