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ウイスキーとミステリーの世界

『私が殺した少女』

(1989 日本) ; 作/原寮; 出版/ハヤカワ文庫

私が殺した少女

(ストーリー)
私立探偵の沢崎は、依頼電話を受け作家の真壁脩の家を訪れた。だが、応対に出た真壁は奇妙な態度をとる。そして突如現れた刑事たちに、沢崎はむりやり連行されてしまった。実は真壁家の長女清香が誘拐され、身代金六千万円が要求されていたのだ。犯人からの指示では、沢崎の所属する探偵事務所の者が身代金受け渡しのために真壁家を訪れることになっていた。巧妙な罠にはまりこんだことを悟る沢崎。しかし、少女のために車を運転し、身代金の運び屋を務めるしかない。身代金の入ったトランクとともに移動する沢崎は、犯人からの指示電話によって翻弄される。そして立ち寄った一軒のファミリーレストランで暴漢に襲われ、身代金を奪われてしまった。無情にも犯人から交渉打ち切りの連絡があり、数日後清香は無惨な死体となって発見された。沢崎と事件との縁は切れず、新たな依頼人により、さらにその渦中に巻き込まれていく運命にあった。叙情あふれる直木賞受賞作。


客がバーを選ぶのと同様、バーも客を選ぶ。これは男女の仲と同じである。相思相愛、それがベスト。そうでなければ、あまり長続きはしないだろう。バーに出かけていって、居心地の悪い思いをしたことはありませんか? グラスの上げ下げまでバーテンダーに監視されているような気がして、落ちついて飲めなかったことは? または、一人でしんねり飲みたいのに、常連客とバーテンダーのおしゃべりについていけなくていたたまれなくなったことは? それは別にあなたが悪いわけではないのです。もちろんバーが悪かったわけでもなく、相性が悪かったということ。だから人はバーをはしごするのである。これをbar-hoppingという。ぴょんぴょん回って好きになれるバーを探し歩こう。

でも、その夜の沢崎の気分に合ったバーを探すのは至難の技だったに違いない。何しろ、自分が身代金運びの役割を果たした少女の死体を発見してしまった夜だったのだ。辛く、重く、どんよりと淀んだ夜。手当たり次第にバーを替えて救いが来るのを待つしかない夜。

――(前略)そこのマスターが「ウイスキーは何になさいますか」と訊いたのは憶えている。「何がある?」と訊き返したのも憶えている。マスターが二十以上の銘柄を並べ立てたのも憶えている。「ツキを変えたいんで、七番目のやつを頼む」と答えたのも憶えている。当惑した表情のマスターが初めからもう一度ウイスキーの名前を数えているあたりから記憶が途切れていた。

そんな具合に新しい店を試しながら、沢崎はある店に辿りつく。だが――。

――私は二杯目のダブルのオン・ザ・ロックを一息であおった。カウンターの上の籐製のコースターに、コールマンひげを生やしたバーテンダーが気取った手つきでのせてくれたグラスだった。そして私はじっと待った――ウイスキーが身体中にまわり、店の中が靄がかかったようにぼんやりと見え、内装の調度品が違ったところへ移動したように見え、照明の光が野火か夏の稲妻のように見えるのを。酔いは訪れなかった。アルコールはただ脳の一部を刺激するだけで、終電の出たあとの駅のホームに立っているように何の徴候も現れなかった。

思うに、これはバーテンダーが悪かったんじゃないのかな。コールマンひげのバーテンダーは「テレビのニュース・キャスターでも離婚訴訟専門の弁護士でも楽に勤まりそうな男」だったという。こんな辛い夜に、そんな端正なお相手では酔えません。愛嬌があって、どこか人間としての隙があるようなバーテンダーでないと。

その日の気分によって心地よく酔えるバーは違う。でも最悪のときに、どうしても酔いたくなったときに相手に選べるバーテンダーというのは、決まっているものだ。もしもの保険のために、普段から探しておきましょう。ぴょんぴょんバーをはしごして。


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