WHiSKY on the Web ウイスキーミュージアムウイスキーと文化ウイスキーとミステリーの世界ダンディズム編 > マイク・ハマーに伝言

ウイスキーとミステリーの世界

『マイク・ハマーに伝言』

(1978 日本) ; 作/矢作俊彦; 出版/角川文庫

マイク・ハマーに伝言

(ストーリー)
ポルシェ911sタルガは落ちていった。首都高速線横浜・羽田線のほぼ真中、大きく弧を描いたカーブから宙へ飛び出して。その車に乗っていた若者・松本茂樹は、マイク・ハマーに奇妙な伝言を残した。フランス語で「闘牛の額のような愚劣さ」。これはいったい何を意味するのか? また、他の謎も残った。抜群の運転センスを持っていたはずの松本が、なぜそんなつまらない事故で逝ったのか?
TV局に就職を決めたマイク・ハマーは疑問を持ち、調べるうちに、松本がスピード違反を犯し、覆面パトカーとカーチェイスを繰り広げた末に、死のカーブに追いこまれたことを知る。一計を案じ、この一件を告発して、大々的なドキュメント番組に仕立てようとするマイク・ハマー。彼の友人たちもそれぞれの役割を演じて準備を進め、今首都高速線を舞台に、盛大なパーティがぶちかまされようとしていた。日本ハードボイルド小説の歴史に残る傑作。


男の感傷を表現するのはとても難しい。男泣き、という言葉があるが、あまり男が人前で泣くことは歓迎されないからだ。もちろん、泣き上戸なんてもってのほか。正しい男の泣き方というのは、顔で笑って心で泣いて、というやつ。『マイク・ハマーに伝言』は、その正しい泣き方を書いた小説だ。友人の四十九日に集まった男たちだが、結局法要には出席せず、自分たちの「パーティ」で友人を悼むことを選ぶ。愛した女の死の思い出も、わざと明るく語る。そんな痩せ我慢がかっこよかった時代の小説なのである。

泣くときは、こっそり。握りしめたウイスキー・グラスの底に涙を落として。マイク・ハマーの友人・克哉が、そんな泣き方をする場面が登場する。場所は、横浜山下埠頭にある、船員相手のホテルのロビー奥にあるバア。カウンターだけの小さな店だが、その片隅にあるTVが目当てなのだ。その夜は、プロ野球のある花形選手の引退試合がある日。その中継を見るために、この店にやって来た。バアの中にはバーテンと、先客の男が一人。男は、その花形選手と対戦したことがある、元プロ野球の投手だった。ウイスキー・グラスを、まるで硬球のように握り締める。例えば、こんな風に

――巨きな掌が克哉のグラスを逆シングルでつかみ、自分のグラスと一緒にバーテンの方にトスした。

心得のない人間がグラスを放るのは危険だが、ウイスキー・グラスは確かにこんな風に掌の上でもてあそぶのに適した形にできている。それは程よい量のウイスキーを注ぐためでもあり、同時に男たちが秘めた思いを掌に託し、溶かしていくためでもあるのだろう。オンザロックの氷に体温を伝えて次第にウイスキーが薄まっていく過程は、胸の中の固い心が溶けていく過程でもあるのだ。

そういえばバーテンダーは氷を球形に削る。あれは客に技術を見せつけるためだけではなく、ちょうど握り締めやすい形という意味があるのに違いない。掌の上で球形の氷を転がし、軽やかな音を聴くのは心地よい行為だ。よいバアを選ぶコツとして、いい氷の削り方をするバーテンダーのいる店を選ぶのはいい知恵かもしれない。

そういえば、上の克哉が不覚にも涙をこぼしてしまうのはなぜか。実はその日引退する花形選手の引き際に対する涙なのである。それは背番号3を背負った男。そう、2001年の夏が終わった日にも、おなじ後楽園の地で盛大な退任セレモニーを飾った、ミスター・プロ野球だ。本当の男は本当の男を知る。そんな時にはいくら男だって涙をこぼしてもかまわない。


【漂泊の街角】目次へ【葬列の朝】