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ウイスキーとミステリーの世界

『漂泊の街角』

(1992 日本) ; 作/大沢在昌; 出版/角川文庫

漂泊の街角

(ストーリー)
早川法律事務所には二つの調査課がある。一つは証拠集めを主とする調査一課、もう一つは失踪人捜しを行う調査二課だ。佐久間公はその調査二課に属する私立探偵。まだ二十代の若さだが、次々ともちかけられる依頼を引き受ける中で、これまでいろいろと危険な目にもあってきた。歯を折られ、腕を折られ、肩の骨を折った。ライフルの台尻で殴られ、爆弾を投げ付けられ、拳銃で撃たれ――。だが、探偵として、公は今日も街を駆け続ける。
突如姿を消した草野球チームのヒーロー投手を捜索する公の行く手に現れる、またしても危険な男たちの影――「ヒーロー」や、引退したスター女優の妹がいかがわしい写真集にモデルとして出演しているらしい謎を追う「スターダスト」、瀕死の重傷を負った公の危機を描く「悪い夢」など、失踪調査のプロ・佐久間公の六つの事件記録を収めた、シリーズ第2短篇集。ハードボイルド作家大沢在昌の原点を示す作品集だ。


――階段を降りていくと、「クライ・ミー・ア・リヴァー」が聞こえた。僕が生まれた年か、その少し後に流行った曲だ。

――木の扉があって、手をかけた途端に曲が終わった。扉は、勿体をつけるように軋みをたてて開いた。暗いビルの、暗い階段だったが、中はもっと暗かった。

――小さな酒場だった。英語の低い喋りが狭い空間を満たしている。鏡を正面にすえたカウンターに、こちらに背を向けるようにして長身の男がひとりすわっていた。

時間は午前3時。こんな時間に、しかも見知らぬ酒場で、初対面の相手と会うなんて馬鹿げた話だ。しかも相手が百戦錬磨の傭兵稼業を経験してきた相手だとすれば、なおさら。

その相手、ダックは、カウンターからテネシーウイスキーの壜を取り出し、グラスにストレートを満たした。ひと息で空けろといわれれば、躊躇するほどの量だ。

「友だちに乾杯して下さい。ガイという名の男です。彼の魂が安らからんことを――」

グラスに一杯のウイスキーをあおる。当然喉が焼ける。その熱さこそが誓約の証しだ。今まさに、ダックは生命を賭けた依頼について、佐久間公に話そうとしているところ。そんな場面に会う酒はやはり力強い、ウイスキーでなければならないだろう。

ところで、テネシーウイスキーはいわゆるバーボンの一種である。現行の連邦アルコール法によれば、テネシーウイスキーの条件は2つ。一つは、テネシー州で造られなければならない、ということ。もう一つの条件は、すなわち蒸留した原酒を樽熟成する前に、テネシー州産のサトウカエデを燃やしてできた木炭で濾過すること、チャコールメロウイングをしなければならないというものだ。

ちなみに、バーボンの歴史はウイスキー税に対する反乱の歴史だ。すなわち、酒税徴収に反対する人々が、西へ南へと辺境に逃れ、特に南へ逃れた人々が密造酒を作り始めたののがきっかけとなってバーボンが生まれたのである。最初の産地はケンタッキー州、そしてさらに南部の奥地に逃げ延びた人々によってテネシーウイスキーが生みだされたのだ。アメリカは、東から西へ、北から南への大開拓に沿って出来あがっていった国だが、バーボンというウイスキーもその大きな潮流の中で誕生したものだといえる。

小説の世界でいえば、開拓者を読者に想定した冒険小説がまず生まれ、そこを母体としてさまざまなヒーロー小説が派生してきたという経緯がある。たとえばフェニモア・クーパーの『モヒカン族の最後』(ハヤカワ文庫)のような小説が、幾度となく再映画化されるのは、そこにすべての原点があるからなのである。もちろん、ハードボイルド小説もそう。初期の多くのハードボイルド作家が、開拓小説やウェスタン小説の作者でもあったことからもわかるように、その起源はやはり開拓者の冒険精神の中にある。そういった意味では、バーボンもハードボイルドも、開拓精神の申し子だということができるだろう。現代に生きるハードボイルド探偵の末裔、佐久間公がバーボンを呷るのは、文学の歴史にふさわしい行為、なのである。そこには、未踏の地を目指した男たちの熱い冒険魂が刻まれている。


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