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ウイスキーとミステリーの世界

『無伴奏』

(1990 日本) ; 作/小池真理子; 出版/集英社文庫

無伴奏

(ストーリー)
誰もが肩肘をつっぱって生きていた一九六九年、杜の都仙台で一つの出逢いがあった。野間響子、十七歳。地元女子高では学生運動の委員長にまつりあげられてはいるが、本当は群れること、自分の子供っぽさに嫌悪感を抱いている少女。堂本渉、二十一歳。老舗菓子屋に生まれた東北大学生だが、なぜか実家を嫌って友人の関祐之介と共同生活を送っている。無伴奏という名の名曲喫茶で二人は出逢い、たちまち惹きつけられあった。年下の恋人を無情にもてあそぶ祐之介に対する不信感や、渉の姉・勢津子に対するいわれのない嫉妬に苦しめられながらも、響子は渉に対する想いを募らせていく。だが、そうした日々の背後で崩壊の芽は徐々に育まれていたのだった。ある吹雪の夜、響子が遭遇した出来事がすべての幸せな思い出をかき消してしまう。作者自身の青春時代をモデルに描く恋愛サスペンス。直木賞受賞作となった『恋』の原型はこの作品の中にある。切なく哀しい物語。


今手元にカクテルのレシピブックがある。八百種類ものカクテルの名前が並び、名前順でも、ベースとなるスピリッツの種類でも検索ができる整った事典である。

だがしかし、ない。

八百種類の中にコークハイという名前が出てこないのである。せめて違う名前でも、と思ったが、ウイスキーを炭酸水で割るハイボールはあっても、炭酸水をコーラに置き換えたコークハイという名前は出てこなかった。

ロングヘアの若い女が、気取った足取りで注文を聞きに来た。私は少しためらった後で、「コークハイを」と言った。女はきょとんとした顔で私を見下ろした。私は勢津子を意識しながら、もう一度声を張り上げた。「コークハイをください」

コークハイというのが、どんな飲み物か知らなかったせいなのか、それともコーラがあったかどうか、確かめるつもりだったのか、女は困惑した顔をしてカウンターにいる勢津子を振り返った。

二〇年ぶりに仙台の街を訪れた野間響子が、堂本勢津子の経営するバーを訪れて再会を果たす冒頭の場面である。カウンターの女性がうろたえるのも当然だろう。ドリンク・メニューにコークハイを挙げている店など、当節なかなかない。また、店に置いてあるウイスキーがよいものであればあるだけ、ウイスキーのコーラ割りなどという飲み方には拒絶反応を示すに違いない。あの芳香とふくよかな味わいを、コーラの甘味で潰すなんて!

だが響子はそれを承知で頼んでいるのだ。コークハイは単なる飲み物ではなく、響子たちの世代のシンボルでもある。コークハイは、六〇年台から七〇年代の熱い時期にかけてはやった飲み物だ。その前の世代にとってウイスキーはなじみの薄い酒だった。六〇年代にウイスキーにたどり着いた若者は、この大人の飲み物を口にしてややたじろぎ、そしてコーラで割るという折衷案の飲み方を発見したのだった。まだカクテルなど一般的ではなかった時代の産物である。最近はフランスでも若い世代にウイスキーがはやっているらしく、ワイン離れも少しずつ進んでいるという。おもしろいことに、フランスの若者も飲みにくいウイスキーはコーラで割って飲むようだ(ヴィルジニ・デパント『バカな奴らは皆殺し』草思社など参照)。そのへんの事情は国が変わっても同じなのだろう。

実は、ミステリー作家によるオリジナル・ブレンド競作で、小池真理子の作品が選ばれ、「謎2001」として発売されたとき、どのようなウイスキーになったのか興味津々だったのである。どちらかといえばワインのイメージがある小池が、どのようなブレンドを選んだのか。評価によれば、「バニラや蜂蜜のような甘さ、女性的な成熟感のある味を追求したウイスキー」だという。熟成されたウイスキー特有のこくみを生かし、野趣や渋みをとりはらってひたすらに官能的な味を求めたというのは、いかにも『無伴奏』の作者らしいブレンドであると思う。普段私が飲むウイスキーは、酔いとともにもたらされる心地よい浮遊感とともに、どこか頭の底を冷え冷えと貫くものを与えてくれる。飲めば飲むほどに、どこかに怜悧に研ぎ澄まされていく自分を感じるというか。「謎2001」は、それと対照的なウイスキーなのだろうと直観した。おそらく蜜のような甘さに身をゆだねているうちに、どこかに連れ去られていってしまうに違いない。コークハイよりもさらに甘く、抵抗できない甘美な没薬。


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