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ウイスキーとミステリーの世界

『死の記憶』

(1993 アメリカ); 作/トマス・H・クック; 出版/文春文庫

死の記憶

(ストーリー)
スティーヴ・ファリスの家庭は、彼が九歳のときに消滅した。1959年11月19日、彼の父ウィリアムは、母トッティと兄ジェイミー、姉ローラの三名を猟銃で射殺し、逃亡。偶然外出していたスティーヴだけが難を逃れたのだった。以来ウィリアムの姿を見た者はいない。そぼつく雨の降る日の出来事だった。それから35年、スティーヴに面談を申し出た作家のレベッカは、彼に事件の話をするよう依頼した。彼女は、家族を殺害した父親たちに関するノンフィクションを執筆していたのだ。事件後はじめて記憶をたどるスティーヴだったが、その過程では平凡に見えたファリス家の隠された真実が立ち上ってきた。無力な母、屈折した性格の兄、奔放な姉。そして実直な父は、その間で何を考えていたのか。家族を殺害しようという意志はいつ芽生えたのか。それはなにゆえだったのか……。やがて現在のスティーヴの上にも災難が襲いかかってきた。重厚なタッチの犯罪小説。


かつて、食器棚の最下段は父親の縄張りだった。そこには備前焼の茶碗や、ミントンのティーセットなどといった器の代わりに、父親のウイスキーのボトルが鎮座ましましているのが当たり前の光景だったのだ。サントリー・オールド、いわゆるダルマのラベルに、父親の面影を重ね合わせて育った人も少なくないだろう。父親の方も、スクリューキャップの口を切りながら幼子をながめ、この子が大きくなったら一緒に酒を酌み交わそう、そんなことを思っていたのである。でも親子って難しい。特に父親と息子、母親と娘という同性の間柄では。予想に反して、なかなか親子で酒酌み交わす機会は訪れないものである。

『死の記憶』は、ある不幸な事件のためにこの世から消えてしまった家族の記憶についての物語である。主人公のスティーヴ・ファリスは、父親・ウィリアムがなぜ家族を捨てたのか、その疑問に悩まされながら大人になる。もちろん答えはなかなか出ないが、物語の前半部にちょっとそのヒントになるようなくだりがある。気の迷いから妻以外の女性を愛し、家庭を崩壊させてしまったマーティという友人と、スティーヴが語り合う場面だ。

――マーティはひとりで奥のブースにすわり、煙草をすいながら、片手でスコッチのグラスを握りしめていた。(中略)「おれたちみたいな男の困ったところはどこだかわかるかい、スティーヴ?」と、彼はいった。「それは、どんなことでも自分の力で処理できると信じているところさ」と、身をのりだして私の顔をしげしげと眺めた。「でも、力は存在する」急に強い語調であとを続けた。「誰にもコントロールできない力というものがあるんだよ」

その力が何であるのか、私は尋ねなかった。やがて彼はグラスを空け、煙草を一服深々とすうと立ちあがり、同志に対するように私の腕をぎゅっとつかんでから店を出ていった。

彼のいう力、それが何をさすのかはわからない。でもそれを正しい方向へ向かわせる方法ならわかるような気がする。男の困った点は、自分が孤独な戦士だと考えたがる点である。そんな男たちが疲れた羽根を休められる場所は、酒場の止まり木以外にないことも確かである。でも、本当にそうなのだろうか。男には、本来帰れる場所があったはずなのでは? どうしようもなく疲れたら、一度家に帰ろう。帰って棚からウイスキーを出し、妻と語らいながら水割りを飲もう。子供が学校で体験した話に耳を傾け、この子と将来酒を酌み交わせたら、と思いにふけろう。帰れる港がある人が幸いである。そこで思いきり羽根を休めるべきなのだ。ウイリアム・ファリスが家庭を捨てた理由を、作者はちゃんと結末に書いている。でもここではこう言いきってしまおう。彼が家を捨ててしまったのは、家でウイスキーを飲むことをしなかったからなのだ、と。


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