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『聖なる酒場の挽歌』
When The Sacred Ginmill Closes

(1986 アメリカ) ; 作/ローレンス・ブロック; 訳/田口俊樹; 出版/二見文庫

聖なる酒場の挽歌

(ストーリー)
マット・スカダーは元ニューヨーク市警の警官だ。ある強盗を撃った弾がそれて関係のない少女を死なせてしまい、それを期に職を辞した。特に私立探偵の看板を掲げているわけではないが、元警官の彼が何かを見、何かを聞き、何かを嗅ぎつけるのではないかと期待する人々が、スカダーに様々な相談を持ちかけてくる。
1975年の夏、そのマットの周辺で二つの出来事が起きた。行きつけの酒場、アームストロングの店でよく顔を合わせるトミー・ティアリーという男の妻が殺され、ティアリーが殺人容疑に問われた。また、キティの店という酒場から脱税用の裏帳簿が盗まれ、共同経営者の一人スキップがマットに、それを取り返すための手伝いを依頼してきた。ティアリーとスキップ、その手助けに乗り出すスカダーだが、事件の根はそう浅くはなかった……。酒場から酒場へ、孤独な魂を抱えて放浪するスカダーが見たものとは一体?


ニューヨーク生まれの作家、ローレンス・ブロックが書きつづけている、マット・スカダー・シリーズは現代ハードボイルド小説の一つの到達点とも言える、大人の読物である。

一つには主人公マット・スカダーの人物造型に負うところが大きいだろう。シリーズの初期では無免許の私立探偵として登場した。当然税金は支払わないが、収入があれば、その10分の1を教会に寄付することを決めていて、お燈明を灯しにいく。証拠がなく、法廷では裁けそうにない悪事についても、自分なりの断をくだし、なんらかの決着をつける。そんな風に自分自身のルールを持ち得た人物というのが魅力的なことは確かだろう。

そしてもう一つには、ブロックが描く、ニューヨークの夜の魅力がある。特に惹かれるのは『聖なる酒場の挽歌』に登場する、スカダーの行きつけのバー、アームストロングの店。スカダーにとってここがとても居心地のいい場所であることは確かなようだ。

店の中に入ると、右手に長いバーがあり、左手にテーブル。テーブルにはチェックのクロスがかかっていて、壁は黒っぽい木のパネル張りになっているという。奥の壁には鹿の頭が飾ってあって、スカダーのお気に入りのテーブルは、その鹿の頭のすぐ下。そこだと、それを見なくてもすむからだ。ここはスカダーの家同然なのだ。彼を捜しにくる者が、家よりはまずアームストロングの店を当たってくるほどに。そんなスカダーの飲み方は、

「私はほろ酔い加減でいるのが好きだった。深く酔いたくはなかった、ときにはそういうこともあったけれども。たいていコーヒーにバーボンをたらしたものから始め、夜が更けるにつれてストレイトで飲んだ」

コーヒーにバーボンを垂らしたもの。スカダーに痺れた読者は、誰もが一度は試してみたくなる飲み物だ。実際にやってみると、温かい中にウイスキーの香りが立ちこめ、なかなかに乙な感じがする。『聖なる酒場の挽歌』では、スカダーの友人がこの飲み物のことをケンタッキー・コーヒーなんて呼び方をしていた。

ケンタッキーはいわずとしれたバーボンの故郷。カクテルの教科書をひもといてみると、なるほど、アイリッシュ・コーヒーというカクテルがある。アイルランドの空港のバーで、体を温めるために考案されたということだが、バーボンではなくてアイリッシュ・ウィスキーを使うところが違っている。そういえばスカダーは元ニューヨーク市警で、アイルランド系と思われる(警官には多いのだ)。おそらくアイリッシュ・コーヒーからこの飲み方を思いついたのだろうね。


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