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ウイスキーとミステリーの世界

『酔いどれの誇り』
The Wrong Case

(1975 アメリカ) ; 作/ジェイムズ・クラムリー; 訳/小泉喜美子; 出版/ハヤカワ・ミステリ文庫

酔いどれの誇り

(ストーリー)
「おれの名前はミルトン・チェスター・ミロドラゴヴィッチ三世。職業は酔っぱらい。神様も公認さ」
愛称ミロ。今の職業は私立探偵だ。モンタナ州の小都市メリウェザーの没落した名家の出身。五十三歳の誕生日に手に入るはずの、祖父の遺した信託財産だけを頼りに、汚れ仕事で糊口をしのぐ毎日だ。十年前までは群保安官補だったが、その職を辞した後は離婚専門の私立探偵として過ごしてきた。だが、その職業ももうおしまい。モンタナ州の離婚法が改正になってしまったからだ。失意のミロは、ただ昼間から酔っ払うだけ。
そのミロの事務所のドアがノックされ、おずおずと女が入ってきた。依頼人だ。いかにも所在なげなその女は、気持ちを落ち着けるためか、こんなことを口走った。
「ウイスキー・サワー、いただけます?」――風変わりな「かわいい女」の依頼を受け、ミロの彷徨が始まる。詩人・ジェイムズ・クラムリーが送る情緒溢れる私立探偵小説。


『酔いどれの誇り』。よく出来た邦題である。本書は、ミロという気高い男を描くための小説だからだ。職業・酔っ払い。だが高貴な魂を持った男。その奇跡のようなとりあわせが、ミロという男の中では成立している。すべての酒飲みに捧げる小説というべきだろう。日常生活の中で大人の仮面をつけることに倦み、自分が本当はどんな顔で笑ったり、泣いたりするのかさえ忘れてしまったときには、この本を読むといい。ミロはウイスキーの涙を流す。心を清浄に保つためには、素直な涙でときどき洗ってやる必要があるからだ。

「おじさん、泣いてるのね」ミンディはやさしく、どこか幸せそうな口調でささやき、私をゆるした。

「酔っ払ってるだけさ」

「泣いてるわ」

「そうとも。だけど、悲しいわけじゃない」

ミロに薫陶を与えたのは亡き父だった。モンタナ州では子供が酒場に出入りすることが許されているため(もちろん飲酒はご法度)、幼きミロを聖なる遍歴に突き合わせたのだ。少しばかり変わった教育方法だが、「事の成り行きで起こってしまったことが、ちょっと肩をすくめて“なあに、やつは酔っぱらってただけさ”の一言でゆるされる世界を、子供たちに見せてやることができる」という。

すべてのことがモラルの定規で測れるわけではないことを、ミロに教えこんだわけだ。ミロの父親曰く、「酒を飲まない男を信じちゃいかん、酒を飲んでも酔いつぶれない連中も信じちやいかん」、「ときには便所でうずくまるような男なら、信用していいこともある」と。また、ミロとともに美しい夕日を眺めながら――。

「きれいな眺めだろう、どうだ?」

「うん」

「だが、それだけじゃだめなんだ」笑みを浮かべたままそういって、おやじは酒場に逆戻りした。大声をあげて笑い、ウイスキーと愛と笑いとを求めてわめきたてながら、澄んだ空気の中に私をふわっと置き去りにしていった。

世の中のすべてのものに明るい側面と、暗い側面がある。そのことを知ることができるのは、自分のような酔いどれだけなのだ。ミロの父親はそう言いたかったのかもしれない。

もしもあなたが息子を持つ(あるいは持つであろう)父親だったら、こんな酒の飲み方を教えてあげるのはいかがですか?もしかするとその子は父を上回る筋金入りの酒飲みに育つかもしれない。そして、気高く酒を飲む術だけは知る大人になるはずだ。


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