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ウイスキーとミステリーの世界

『アリゾナ無宿』

(2002 日本) ; 作/逢坂剛; 出版/文藝春秋

アリゾナ無宿

(ストーリー)
一八七五年、アメリカとメキシコが国境を接するアリゾナ州は、ベンスンの町の出来事。天涯孤独の少女、ジェニファ・チペンデイルは、買出しのために訪ねたベンスンの町で、二人の不思議な男たちと知り合った。一人はトム・B・ストーン。続けて綴れば《墓石》(Tombstone)となる名前は偽名に違いない。お尋ね者を狩って歩く賞金稼ぎが、彼の生業だ。もう一人は黒衣の謎の男、サグワロ(スペイン語でサボテンの意味)。革鞘の不思議な刀を操る剣士で、自分にかかわる一切の記憶を無くしているが、一八六九年にニッポンという国のハコダテという港からやって来たことだけは確かだ。自分の住んでいた牧場にからんだ事件に巻き込まれたジェニファは、住む家を失い、ストーンたちと行動をともにすることを決意した。少女賞金稼ぎの誕生だ。こうして二人の男と一人の少女の奇妙な道中が始まった。ミステリーと西部劇をこよなく愛する作家・逢坂剛が贈る豪華西部劇小説。


十九世紀の後半、太平洋の両側にある二つの国で大きな内乱があった。一つは日本の明治維新、もう一つはアメリカの南北戦争である。この二つの事件が密接に関連していることはよく知られている。たとえば、明治維新に使われた銃の多くは、南北戦争で未使用に終わったものだ(武器商人グラバーは、銃と引き換えに日本の嬉野茶を大量に買いつけた)。

鎖国をしていた日本が開国するきっかけをもたらしたのはアメリカのペリー総督だが、彼が二度目に来航した一八五四年には、日本の役人をウイスキーのホット・タディ(シロップとお湯で割ったもの)でもてなしたことが知られている。横浜が居留地となったのち、一八六〇年に江戸で刊行された横浜の観光案内書にはウイスキーのボトルが描かれているので、そのころまでにウイスキーが持ちこまれていたことは確実だ。

ペリーは東インド艦隊司令長官だったので、彼の艦に積まれていたのはアメリカ産ではなくイギリス産の、おそらくはスコッチ・ウイスキーだったろう。日本人が国内で最初に飲んだウイスキーはスコッチということになる。十九世紀のアメリカではバーボン・ウイスキーの製造法が確立され、製造量が飛躍的に高まっていた。だが、海外に持ち出すほどの製造量であったかは疑問である。

時は大開拓時代で、人々が北米大陸を西へ、西へと突き進んでいたころだが、正規の手続きによって作られたウイスキーだけでは需要に追いつかず、西部では粗悪な密造ウイスキーがかなり出回っていたくらいだからだ。西部劇によく出てくるサルーン(saloon。salonが間違って綴られた語)で供されていたのは、こうした密造ウイスキーだった。だがそんな粗悪な酒であっても文句を言う客などはいなかった。サルーンに集まる客は、一攫千金を夢見て西部に流れてきた荒くれ者揃い。密造ウイスキーの喉を焼く味だって、ひりひりする日常の刺激の延長にすぎないと思っていたはずである。

『アリゾナ無宿』には、そのサルーンの場面が登場する。

テーブルには、だれも手をつけていないグラスが三つ残っていた。

ストーンは酒を飲まないと言ったし、わたし(ジェニファ)も飲んだことがない。

サグワロが、自分のグラスを取り上げる。

まるでシロップでも飲むように、中身をぽいと口の中にほうり込んだ。

「あなたは、お酒を飲むの」

わたしがあっけにとられて聞くと、サグワロはまじめな顔で応じた。

「サルーンの二階に、泊まらないときにはな」

ストーンがくすくすと笑い、わたしはサグワロのブーツを蹴りつけた。

サルーンは酒を供するだけではなく、旅をしてきた男を客にするサルーンガールたちの商売どころでもあるのだ。サグワロはそのことをほのめかし、年下のジェニファをからかっている。飲む、打つ、買う、男たちのすべての欲望を満たす場所がサルーンなのだった。いやいや荒っぽいことである。

そのころの日本ではウイスキーがどう飲まれていたのかというと、一八六二年の『横浜開港見聞誌』では、木の実の汁を絞って飲むのが美味、と紹介されている。つまりはカクテルである。かたや密造ウイスキーのストレート、かたやスコッチ(たぶん)のカクテル。ずいぶんタフさに違いがあるものだ。サグワロは日本人らしいが、どこでそんなにウイスキーに強くなったのだろうか。ほんの二、三杯で酔い潰れてしまう弱い酒飲みとしては、ぜひ教えを乞いたいものである。


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