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ウイスキーとミステリーの世界

『帰りなん、いざ』

(1992 日本) ; 作/志水辰夫; 出版/講談社文庫

帰りなん、いざ

(ストーリー)
稲葉雅行はラテン語の翻訳家。山梨と長野の県境にほど近い、浅茅に越して来た。浅茅は秩父山地に連なる奥深い集落。他の過疎村と同様、若者の都会への流出が深刻な問題となり、集落には数十人の老人たちが残っているだけだ。だが地元の素封家の一人娘・氏家紀美子は、蕎麦栽培と手打ち蕎麦店 <浅茅が原> の経営会社を運営し、再興のために尽力し続けていた。その魅力にひきつけられる稲葉だったが、紀美子の父・礼次郎は、彼の滞在に冷たい態度をとった。数年前からこの地には開発業者が入りこみ、しつこい地上げを行っていたため、礼次郎もよそ者を排斥しようとしていたのだ。やがて稲葉は、浅茅に漂うおかしな空気に気付き始める。荒っぽい仕事をするために浅茅にやって来た二人組が行方不明になったのはなぜか。裏山の廃鉱を探索するうちに、稲葉は驚くべき発見をする――。現代エンターテインメント界で最高の文章家といえば志水辰夫。香気溢れる文章に酔う。


『帰りなん、いざ』という題名は、陶淵明の詩『帰去来辞』からとられている。望郷の念を謳ったこの詩は、その後の詩人に大きな影響を与えた。しかし、現代の世情においては、帰るべき土地があり、ふるさとの田園風景を思い浮かべられる人の方が少数派だろう。本書の主人公・稲葉雅行も世を捨てて浅茅にやって来たが、必ずしも当地に同化することが目的ではない。その証拠に、この地にあっても稲葉が愛飲するのは、慣れ親しんだウイスキーなのである。まるで陶淵明か李白か、というようにこんなことを言っている。

――翌日さっそく釣りに出かけた。(中略)飲み物を持って来なかった愚かさに喉を掻きむしって悔しがった。このつぎは絶対スキットルにバーボンを忍ばせて来よう。釣り上げたイワナを肴に祝宴が張れたら人生これにまさる快楽はないだろう、なんて。

もちろん浅茅の人々だって、稲葉の思うほどに鄙暮らしに浸っているわけではない。稲葉が最初に引越しの挨拶をした、隣家の大前老人などは――。

――わたしは手土産だといってバーボンを差し出した。日本酒のほうがベターだろうと思うがあえて自分の流儀を押し通すつもりでいる。どっちみちここの住人と等間隔のつき合いはできそうもないのだった。
「おう、これ、くれるのか(中略)こいつはいい酒だよ。なかなかうまい」
「そうですか。ごぞんじでなによりでした」
「ああ。前に十二年ものもらったことがあるんだ」

しらけてしまった。そりゃ八年ものより十二年ものがうまいに決まっている。しかしそういうことは八年ものをくれた相手に言うべきことじゃない。

稲葉の憮然とした顔が眼に浮かぶようだが、これは大前老人に分があるようだ。今の日本に純然たる田舎などあるわけがない。陶淵明は「田園将ニ蕪レナントス」と嘆じたが、すでにその「田園」風景そのものがないのである。ここは逆に、「嗚呼、今や日本全国どこに行ってもウイスキーが楽しめる。誠に拓けたよい世の中になったなあ」と喜ぶべきなのではないだろうか。陶淵明に対抗して、誰かこの気持ちを詩にしてみないかしら?

さて、稲葉と浅茅の運命については措いて(関心を持った人は小説を読むこと)、蛇足を少々。浅茅の名産は蕎麦。蕎麦に合う酒といえば日本酒というのが常識だが、ウイスキーでも美味しく飲む工夫がある。例えば蕎麦がきを練ってひらべったく伸ばし、蕎麦つゆに使う「かえし」と味醂を合わせたタレを塗って香ばしく焼いたものなどはいかがだろう。蕎麦がきの表面にしわを刻み、裏に海苔を張ってから生地焼きにすれば、「蒲焼もどき」の風情である。また甘いタレは困るという人には、「生蕎麦の油揚げ」がお勧め。打った生蕎麦を短く切って油で揚げただけの、簡単つまみだ。塩を振ってどうぞ。ウイスキーに塩豆は定番だが、これもなかなか合う。浅茅の名物料理にしたらいいんじゃなかろうか。


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