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『猟犬探偵』

(1994 日本) ; 作/稲見一良; 出版/新潮社;

猟犬探偵

(ストーリー)
兵庫県と大阪府の県境に近い山奥に、その建物はある。電信柱を積み上げて作った無骨な丸太小屋。アメリカ西部の辺境にでもあったら、頑丈な要塞にでもなりそうな造りだ。住人の名は竜門卓。遺産としてこの土地を相続し、今は世捨て人のような生活を送る男だ。同居者は猟犬のジョーのみ。ペットではない、一本の缶ビールも分け合って飲む、真のパートナーなのだ。
この地で狩猟をしながら日々を過ごす竜門だが、実は「探偵」というもう一つの顔も持っていた。小屋に掲げられた看板は、<竜門猟犬探偵舎>。盗まれたり、迷子になったりで、行方不明になった犬を探すことだけが、この風変わりな探偵の仕事なのだ。今日も今日とて、愛犬と生き別れになった飼い主たちが、竜門の小屋の扉を叩きにやって来る。『ダック・コール』で山本周五郎賞を受賞した稲見一良は、持病のため惜しまれつつ早世した。これはその遺作であり、猟犬探偵・竜門卓を主人公にした連作短篇集だ。


稲見一良は、男たちの物語をこよなく愛した人だった。西部劇や冒険小説に登場する銃器にこだわったり、偽りの多い人間の語る物語を許さない、生一本なところのある作家だった。だから、こよなく愛した自然とのふれあいを描くとき、生き生きと筆は走り、この上ない幸せに浸っているように感じられた。稲見の小説の正しい読み方は、大自然の中で読むことである。焚火の周りで、生のままのウイスキーを呷りながら読むといいだろう。

アウトドアにウイスキーを持参する方法でいちばんいいのは、ミニボトルをいくつも持っていくことだ、と書いていたのは、たしかカヌーイストの野田知祐氏のはずだ。西部劇の登場人物が持っているようなヒップフラスクは確かに見栄えはいいけど、そう量は入らない。実をとる本当の酒飲みなら、飲みたいだけのミニボトルを持参するべきなのだ。それと、稲見一良の小説。それだけで、後は何も要らないはずだ。

また、稲見一良は、火のような本当の美女を書ける人だった。『猟犬探偵』でも、そんな女が描かれている。金桂花、「セント・メリーのリボン」(同題の短篇集に所収)で初登場し、竜門にある犬の捜索を依頼した女性だ。憎いことに稲見は二人の出会いをバーボンとともに描いている。

――俺は立って行って、部屋の隅のキャビネットから、バーボンの瓶を出した。二つのグラスに、指二本くらいのバーボンを注ぎ、一つを黙って女の前に置いた。

女はグラスを掴んで、一息に飲みほした。瞳に小さな灯がついた。ひたと見つめられるとたじろぐ思いをする。桂花は男物のような太軸のモンブランで小切手にサインをする女だ。そんな女に、ちまちまとした飲みかたはたしかに似合わないだろう。再会のときも、二人はバーボンを飲む。

――「バーボンを飲むには、いい時間ね」

俺は立っていって、グラスに指三本分のバーボンを注ぎ、別のグラスに谷の涌き水を入れて出してやった。桂花はグラスをかかげ、琥珀色の液を覗いて呟いた。

「指一本分、愛想がよくなった」

今日は酒をゆっくりと含み、舌の上で転がして飲んだ。

現実には、あなたがこんな会話を交わすことはないかもしれない。指何本分のウイスキーがグラスに入っているか把握している女性は稀だし、それを一息に飲み干すような女性はもっと稀だからだ。だが、もしそんな女性にめぐり合ったらご用心。生のままのウイスキーが火の酒であるように、その女性もきっと火のような女性のはずだからだ。


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