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達人に訊く
~パイオニアスピリッツを味わうウイスキー~

Posted by mono

シングルモルトを他に先駆けて世界に広めたとされる「グレンフィディック」。人を惹きつけてやまないその魅力とは? 『ビジネスエリートが身につける教養 ウイスキーの愉しみ方(あさ出版)』などの著書でも知られるウイスキーの専門家、橋口孝司さんに話を訊いた。

グレンフィディックの魅力を伝えたい――
孤軍奮戦したあの頃

橋口氏のインタビューは銀座五丁目のバー「ザ・ライオンズデン」にて実施された。

ウイスキーにあまり詳しくない人でも“シングルモルト”なる響きには、聞き馴染みがあるだろう。元はといえば、スコットランド人が産地で嗜む地酒にすぎなかったシングルモルトウイスキーを、ブレンデッドウイスキー全盛の1963年に世界に向けて初めて販売したのが『グレンフィディック』にほかならない。

ホテルのバーテンダーとして、そのキャリアをスタートさせた橋口孝司さんが、グレンフィディックを取り扱い始めた1985年頃も、状況にさしたる違いはなかった。時代は相変わらずブレンデッドウイスキー1色。バーの利用客の中にシングルモルトを知る人など、ほとんどいなかった。しかし、グレンフィディックの豊かな味わい、そのこだわりを知れば知るほど、虜になっていったという橋口さん。なんとかその魅力を伝えたいと孤軍奮戦していた。

「お客様に対しても単にグレンフィディックを勧めるのではなく、魅力を説明して納得されてから飲んでいただく……そんな感じでしたね。説得の一助になればと苦労して情報を集めリーフレットを自作した覚えがあります。……グレンフィディックを飲むとがむしゃらだった当時を思い出しますね」

そんなグレンフィディックに宿るパイオニア“スピリッツ(蒸溜酒)”は、135年前のクリスマスに生まれた。

「最高の一杯をつくりたい」という想いで繋がれた挑戦心

地元ダフタウンの蒸溜所で修行を積んだ後、長年の夢を実現するために自身の蒸溜所を開いた創業者のウィリアム・グラント

――ハイランドのスペイサイド地域にある田舎町ダフタウンで、創業者ウィリアム・グラントは生涯の夢である「最高の一杯をつくる」を実現すべく一念発起。7人の息子と2人の娘、1人の石工職人と共に石をひとつひとつ積み上げながら、自らの手で蒸溜所を建設した。1887年12月25日のクリスマスの日、かくしてスピリットの最初の一滴が蒸溜器から滴り落ちたと言われている。グレンフィディック誕生の瞬間である。

その後にシングルモルトのカテゴリーで売上世界一、二を争うようになったグレンフィディック。誕生から100年を超えてなお愛され続けるこのウイスキーはどのようにつくられているのだろうか。

創業当時から135年変わらない頑固な職人魂

創業以来、受け継がれてきた方法で仕込みを行う糖化職人

グレンフィディックの職人たちには、作業内容は異なれど、皆共通するこだわりがみえる。創業以来、受け継がれてきた伝統の製法に忠実であることだ。実際、糖化と発酵を担当するマッシュマン(糖化職人)は、創業当時と変わらぬ仕込みを行なっているし、蒸溜を担当するスチルマン(蒸溜職人)は、先人が100年前に定めた蒸溜のレベルを寸分違わぬよう守り抜いている。

それだけではない。この蒸溜所には、他ではほぼ見ることのない職人がいる。銅器職人と樽職人である。グレンフィディック蒸溜所では創業当時と全く同じ形のポットスチルを使い続けているが、その手入れを行う銅器職人を1957年以来、常駐させているのだ。また、最高のウイスキーをつくる上で重要な樽を自社管理すべく、1959年に専用のクーパレッジ(製樽作業場)を所内に設置。その手入れにあたる樽職人も常駐しているのである。

世界の蒸溜所事情に精通する橋口さんをして「普通はいません。所外の専門業者に依頼するのが常識ですから」といわしめるほど、極めて希有な事例だ。この伝統を継承した蒸溜と熟成によって、グレンフィディックにしか出せない深みのある味わいをつくり出している。

銅製のポットスチルは柔らかく変形しやすい。常駐の銅器職人が手入れを行うことで保たれ、メンテナンスの知識も継承されていく

30年ほど前に一度、グレンフィディック蒸溜所を訪問している橋口さん。今でも記憶に残っているのが、蒸溜所を取り巻く環境だという。「草原が覆う丘陵地帯で、周囲に高い山もありませんでした。こんな田舎の自然の中でつくられているんだなと、しみじみ思いましたね」

豊かな自然がもたらす清らかで柔らかな湧水「ロビー・デューの泉」を水源にするグレンフィディック蒸溜所。ウイスキーづくりにおいて水源の確保が最も重要であることを早くから確信していたのが、創業者のウィリアム・グラントだ。彼は水源を守るために周囲全域に相当する1200エーカー(約490万㎡)もの土地を買い上げているのだ。

製法についても新たな取り組みを行っている。シェリー酒の熟成で用いられる製法「ソレラシステム」をシングルモルトに初めて応用したのである。若いウイスキーが入った樽から古いウイスキーの樽へと減った分だけ継ぎ足して後熟させるというやり方だ。うなぎの名店でいえば、継ぎ足してつくる秘伝のタレといったところか。

試行錯誤という“挑戦”をウイスキーというカタチにし、職人の手で変わらぬ品質で繋ぎ続けている。それがグレンフィディックのパイオニアスピリッツだ。「最高の一杯」にはグレンフィディックの豊かな自然と職人の技と先駆者たる “スピリッツ(魂)”が入っている。

時代性を採り入れた味わい
伝統の継承と新たなチャレンジ

グレンフィディック6代目モルトマスターのブライアン・キンズマン

天賦の才と弛まぬ努力で磨いた嗅覚と味覚を駆使しながら、時代性を取り入れつつも伝統に根差した味をつくり出すポジション、それがモルトマスターである。2009年に先代よりこの重責を引き継ぎ、6代目モルトマスターを務めているのがブライアン・キンズマンだ。

伝統を守り抜く一方で、新たな取り組みにも果敢に挑んでいく。そこにグレンフィディックの真骨頂があると橋口さんは言う。

「水源は変わっていないし、蒸溜器の形も昔と同じ。創業以来、どことも合併することなく、今も家族経営を堅持しています。こうした確固たる伝統を足場に、次々と新たな取り組みにチャレンジするのがグレンフィディックらしさ。しかも、その時代、その時代に即した味わいを見事に提案してきます。あまり知られていませんが、限定品などを含め、バリエーションも驚くほど豊富です」

レギュラー品の「グレンフィディック12年」でさえ昔と今とでは味が異なると橋口さんはいう。40年前に初めて口にした時とは、比べものにならないぐらい洗練度が増しているとも。

「40年前も好評を得ていましたが、今の『12年』はより洗練されたものになっていると思います。素晴らしく美味しくなっていますね」

最後にグレンフィディックのチャレンジングな取り組みがよく分かる2品を紹介したい。

ひとつは「グレンフィディックIPA」。実験的・試験的といった意味を冠するエクスペリメンタル・シリーズのひとつで、IPA(インディアン・ペールエール・ビール)を寝かせた樽で後熟したシングルモルトウイスキーである。

もうひとつは「グレンフィディック23年 グランクリュ」。こちらはアメリカンオーク樽とヨーロピアンオーク樽で23年以上熟成した原酒を、シャンパン製造に使われる一次発酵樽に詰め6カ月間後熟したシングルモルトウイスキーだ。

どちらも興味を惹かれる刺激的なシングルモルトであり6代目モルトマスター、ブライアン・キンズマンの面目躍如といったところだろうか。

左/グレンフィディックIPA 右/グレンフィディック23年 グランクリュ

グレンフィディック蒸溜所では温度などの記録をつけるのに、今も黒板を使っている。その理由を橋口さんは次のように推察してくれた。

「“人のため”という姿勢を、僕はとても感じます。先駆者であり、革新的でもありますが、根底にあるのは人を大切にしたいという想い。黒板もそれを使う人のためを思ってのことでしょう。昔ながらのやり方を踏襲している。なのに、生み出されるウイスキーは斬新。これこそがグレンフィディックの魅力だと思うんです」

まさにグレンフィディックはパイオニアとしての伝統と革新を併せ持つ稀有なウイスキーなのだ。――今宵はゆっくりとグラスを傾けながら、グレンフィディックの悠久の時を超えて未来を切り開く開拓者精神に想いを馳せたい。

文/飯島秀明 写真/熊谷義久

橋口孝司(Takashi Hashiguchi)
バー開業コンサルティング、ウイスキーバープロデュースをはじめ、国内外での講演・セミナー、執筆活動など、酒類の専門家として活躍。現在、「橋口孝司 燻製料理とお酒の教室」やウイスキーのテイスティングイベント「ザ・シークレットバー」を開催し、お酒の知識と愉しみ方を啓蒙している。
(株)ホスピタリティバンク代表取締役 https://www.hospitality-bank.com/

<撮影協力>
ザ・ライオンズデン
住所:東京都中央区銀座5-5-9オージオ銀座ビル7・8階
TEL:03-3571-9910
営業時間:PM6:00~AM3:00(月~金)/PM6:00~AM0:00(土)/定休(日)
http://www.heartman-ginza.jp/lions_den/index.html