バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

シカゴ・マシーン

1893年にはコロンブスの新大陸発見400周年を記念したシカゴ万国博覧会が開かれ、その最先端の街並とともに文化都市としての充実ぶりを披露し、国際的にもシカゴの名は高まっていく。1900年には人口170万人。ニューヨークに次ぐアメリカ第2の都市としてより栄えるようになる。


さて、歴史の中で進歩主義と呼ばれる時代があった。社会の既成制度や思想が抱えた矛盾や不合理を変革して、前進しようとする動きを指すらしい。

アメリカの進歩主義は1890年代から1920年代にかけて顕著だったといわれている。シカゴ・カブスが108年前にワールドシリーズで優勝したときは進歩主義時代の真っただなかにあった。

繁栄のぶんだけ利権集団が生まれた。当時、シカゴはもちろんボストン、クリーブランド、ニューヨーク、フィラデルフィアといった大都市には利権に依存するマシーン(machine)と呼ばれる組織が形成されていた。シカゴのクック郡民主党組織はその典型として名高い。都市としての発展をみれば、当時のシカゴにはマシーンが育まれる土壌にあったと、十分に理解できる。

はじめは19世紀に移民たちの便宜をはかるために生まれたものだった。やがてマシーンのボスが、政治家たちを操るようになる。移民たちは政治家への票を請け合うことで仕事にありつくことができ、また役所や役人からのまっとうな扱いを保証された。加えて公共事業をはじめとした利権がからみ、ボスのもとに人々が集結するようになる。

実は、このマシーンの存在が禁酒の法制化へとつながってしまう。禁酒運動のもともとは福音主義プロテスタントによる宗教的思想から起こったものだが、進歩主義が台頭するとマシーンが標的になった。マシーンのボスの多くが酒場経営者だったからだ。これはシカゴに限らず他の都市も同様だった。酒場からコミュニティが誕生する図式は、国家としてまだ若かった時代の側面を象徴しているともいえる。

進歩主義者たちは、酒場をベースとするマシーンの弱体化をはかり、地方ボスの政治力を削ぎ、腐敗から脱しようと考えた。そこから禁酒法制化へと傾倒し、禁酒運動がより激しさを増すことになる。

やがてさまざまな州でそれぞれの禁酒法が施行されようになり、1920年にはついにアメリカ全体が禁酒の国となった。これにより、たしかに多くのボスの政治力を弱めることにはつながったかもしれないが、カポネに象徴される裏社会を制するギャングという都市型犯罪組織の出現を招いてしまう。

進歩とは皮肉なものでもあった。イリノイ州は19世紀から蒸溜業でも知られた。本拠地はピオリア。ここは単一地域としては全米で最もアルコール税を納めていた町だった。ところが禁酒法時代に突入すると、たちまちにして密造の大拠点となった。

最後に、イリノイ州から生まれた大統領を記す。リンカーン、グラント、オバマ。ただし3人とも生誕地ではない。レーガンはイリノイ州生まれではあるが、カリフォルニア州知事を経た後に大統領となっている。

(第47回了)

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