バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

ビッグバンド・ジャズ

ニューヨークはマンハッタン。ハーレムにあった高級クラブ、コットン・クラブのステージはラジオの電波に乗って世界に流されていた。1927年にクラブと契約し出演していたデューク・エリントンはラジオにより名声を得、1933年にはロンドンに渡りコンサートをおこなっている。

1931年に作曲した『ムード・インディゴ』は、レコーディングした夜にコットン・クラブで演奏した。
“何日か後にその新曲について大騒ぎした郵便物がたくさん送られてきた。しかし何十年もたったいまでも、母が夕食の支度をしている間につくった曲に印税が入ってくる”(『MUSIC IS MISTRESS』Duke Ellingtonより)

まさにRADIO AGE。ラジオは彼にとって、幸運を呼ぶプラスティック・ボックスだった。

1920年代後半から40年代前半にかけてのアメリカのラジオ製造会社は、「一部屋に一台のラジオを!」というフレーズをスローガンにしていた。1931年にシカゴ・モルデッド・プロダクツ社がラジオにはじめてプラスティックのキャビネットを採用する。そこから大量生産がはじまる。プラスティック製の最初の消費材はラジオだ、という人もいるほどだ。

1933年に禁酒法を撤廃したフランクリン・ルーズベルト大統領の就任式の模様をラジオは伝え、そして1945年の彼の死もラジオが伝えた。


1929年の大恐慌によって金ピカの20年代の幕が下り、人々は慎ましやかになっていった。黙々と働き、地道な生き方を選ぶようになった。

そしてルーズベルトの禁酒法撤廃やニューディール政策の実施により、新しい時代が生まれようとしていた。

少しずつ社会に明るさが戻りはじめた。そのとき音楽もまた新しい時代を創造しはじめている。

デューク・エリントン、フレッチャー・ヘンダーソン、キャブ・キャロウェイ、クロード・ホプキンス、ドーシー・ブラザーズなど、ビッグバンド・ジャズの確立に躍起になっていた。市民もまたそれに応えようとした。

それまでスウィート音楽が主流だったが、少々食傷気味になってきていたからだ。陽気に心地よくスウィングするビッグバンド・ジャズが、人々に喜びと安らぎを与えるようになった。

酒場はもはやスピークィージーではない。堂々とカウンターの前に立ち、ラジオから流れ出るジャズ・ミュージックに酔いしれることができた。さらにはビッグバンドのスウィング・ジャズから社交ダンスが栄え、ジャズは徐々に大衆化していった。

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