The Scotch

第13章
MASTER BLENDER

マスターブレンダー

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Here's a bottle and an honest friend!
ここに一瓶の酒と、一人の真摯な友あり!
"A Bottle and a Friend" Robert Burns


経験

 ウイスキーづくりの全工程のなかで最も見ごたえのあるもののひとつは、マスターブレンダーが樽のウイスキーを検査する光景である。まるで聖体拝領を執行する司祭さながら、マスターブレンダーは傍に助手を従えて立ち止まり、渡されたグラスに鼻を突っ込む。匂いをさっと嗅ぎ、嗅ぎ終わるとグラスに残ったサンプルをオーク樽に振りまい て次の樽へと進む。助手はグラス、水、そして樽からウイスキーを採取するヴェリンチャー(ピペット)を手に素早く立ち回り、樽からサンプルをとると司祭に渡す。司祭はさっと香りを嗅ぎ、振りまき、次の樽へと向かう。貯蔵庫の中を滑るように移動していくふたりの沈黙の行進は、まるで厳かな儀式のようである。

 バランタインのマスターブレンダー、ロバート・ヒックスは1分間に十数丁、30分ほどで400丁もの樽を検査してしまう。ひと樽のためにわずか数秒間立ち止まるだけで、そのモルトウイスキーが期待どおりのものか、あるいは期待はずれのものかを判断していくのである。練達の芸術家の名人芸を見る思いがする。

 ロバートはウイスキーのアロマ4000種以上を記憶している。その膨大な記憶を自由自在に頭に浮かべ、引っぱり出してきて、検査中のサンプルと比較するのである。

 われわれが舌で感じる基本的な味が、甘さ、酸っぱさ、苦さ、しょっぱさのわずか4種類であることを考えれば、ブレンダーたちがほとんど鼻しか使わず、口に含むのは最後の手段にしていることも理解できる。むろん、それ以前の問題として、30分で400丁もの樽のウイスキー・サンプルを味見したら、最後の樽に行きつくまでに誰だってフラフラになってしまうだろう。

 「サンプル1つ1つについて、ヘザーや蜂蜜といったさまざまな香りをチェックしていくと、全体を検査し終わるのに2日もかかるよ」とわれらがマスターブレンダーは笑う。

 「われわれの仕事はモルトを感覚的に把握することなんだ。そのためには、本能と経験と直感を駆使して、ウイスキーが理想的な状態になっているか否かを調べていく」

 マスターブレンダーの役割は、単にブレンダーとしてモルト原酒間の正しいバランスをつきとめることではない。大麦の栽培からグラスに注がれるまでのウイスキーづくりの全工程において、その経験と知識が生かされるのである。香りと味に対する彼の感覚はきわめて鋭く、毎日、各蒸溜所から送られてくるモルトのサンプルをテストするときには、仕込み水のわずかな変化も見逃さない。

 確かに、日々の蒸溜作業はスチルマンの裁量に任されているが、ロバート・ヒックスのような経験豊富なマスターブレンダーになると、蒸溜中の溜液から、どのような割合でウイスキーとする中溜液を取り出すかということまで指示する。ロバートと助手のサンディーが、それぞれバランタイン傘下のモルト蒸溜所を1つ1つ訪れ、蒸溜担当者のために、適正な蒸溜時間を算出し、カットのタイミングを指定しているのだ。

 大麦の品質にも目配りを怠らない。各蒸溜所の所長たちも納入された大麦を検査しているが、ロバート・ヒックスにもサンプルが送られてくる。彼は、穀粒を手のひらで揉みしだいて匂いを嗅ぎ、正しいフレーバーをそなえているかどうか点検するのである。

 日常業務であるモルトウイスキー樽のサンプル・テストでは、ロバートはモルトウイスキー原酒の熟成ぶり、とりわけそれぞれのモルトウイスキーが熟成のピークに達する酒齢について、大いなる注意を払っている。モルトはタイプによって、他のモルトより熟成期間が早いものがある。ロバートは各タイプの熟成パターンに応じて、このモルトはまだ熟成が足りないとか、このモルトは<バランタイン17年>のブレンド用として最高の状態に達しているとかの判断を下すのである。また、たとえ酒齢が十分長期にわたっていようとも、樽材からの影響が出すぎた木香の強いモルトがあれば、これも不適格として排除してしまう。

 「そのモルトが、自分が頭に思い描いている水準の熟成に達しているかどうか、1つ1つの樽をテストしていくんだ」とロバート・ヒックスは説明する。

 「このやり方で、たまたま熟成が遅い樽などが見つかるわけだ。<バランタイン17年>にふさわしくない樽ということになるね」

 マスターブレンダーが、自分の管理するモルトやグレーンがバランタインに求められる高い水準に達したと納得するまで、こうした慎重な検査が繰り返される。

 味わうに足るウイスキーはシングルモルトだけという、通ぶった考えをもつ純粋主義者は、世界でも指折りのブレンデッド・ウイスキーを生み出す技術と才能のレベルの高さに気づいていない。

 スコットランド中のさまざまなシングルモルトやシングルグレーンを知り尽くした名ブレンダーが、最高の状態にある原酒のみを選び抜き、至高の組み合わせのもとに創造した<バランタイン17年>は、まさにブレンド技術の粋を集めたものと言うにふさわしい。古くはジョージ・バランタインその人にさかのぼる、名高いブレンダー王国の歴史が生み出した結晶なのである。こうした男たちが、自分たちの知識を人から人へと伝え、スコッチを世界中で愛される国際的な蒸溜酒へと育て上げてきたのである。

ロバート・ヒックス

 ロバート・ヒックスが働く姿には、歴史と伝統が息づいている。彼は仕事を通して自らの経験の幅を広げ、またその知識を助手のサンディーに伝えていく。

 検査するウイスキーのサンプルをアルコール度数20%前後まで水で薄め、モルトやグレーンのアロマを開かせるのがロバートの流儀である。

 「家で2つのグラスにウイスキーを注ぎ、一方に等量の水を加えてごらん。匂いを嗅ぐと、まるで別のウイスキーのように感じるはずだ」とロバートは説明する。

 「薄めずそのまま検査する人もいるが、わが社では普通の水でウイスキーを薄め、必ずアルコール度数を20%にして検査している」

 「どうして蒸溜水のような中和された水を使わないのかとよく聞かれる。理由は簡単さ。そういう水には、フレーバーも匂いもないからなんだ。ウイスキーを検査するというのは、フレーバーを調べることだろう。だから普通の飲料水のほうが、その土台としてぴったりなんだ」

 ガラス戸棚やフラスコが並ぶロバートのテイスティング・ルームは、実験室とジェントルマンズ・クラブの中間のような雰囲気だ。ダンバートンのキルマリッド工場の裏手にあるこの小さな部屋こそが、バランタイン社の業務活動の中枢である。ロバートはここで、さまざまなモルトウイスキーのオーケストラを指揮し、毎週毎週、各モルトが譜面どおりに演奏しているか、<バランタイン17年>の品質が一貫しているかをチェックしている。

 彼はまた、日々生まれてくるモルトウイスキー、グレーンウイスキーの新酒すべてをチェックしている。<バランタイン17年>や他のバランタイン社製品の原酒となるモルトウイスキーたちの香味の変化は、このときから追されているのだ。何しろ飲料水の石灰含有量の変化をPPM(100万分の1)の単位で嗅ぎ分ける男のことだ。その厳しい鼻を免れるものなどありはしない。

 加えて、テイスティング・ルームの戸棚には、これまでにウイスキー通の人気を博したアメリカ産、アイルランド産、日本産の多彩なウイスキーがぎっしり並んでいる。

 「自社製品の一貫性と品質を守るだけでなく、世界中のウイスキーを常に復習し、分析することもマスターブレンダーの仕事なんだよ」とロバートは説明する。

 どんな近代的技術やコンピューター科学の産物も、熟練したブレンダーの経験や磨き抜かれた判断力の代わりにはならない。また、科学者たちによってそれに近いものがつくられているが、人間の鼻と同じくらい繊細な感覚をもつ機械は今のところ発明されていない。

 ある雑誌が主催したワインの利き酒テストで、ガス・クロマトグラフィーや同種の機械が一部の専門家を凌駕した。だが今のところ、ウイスキーの複雑さの前ではハイテク機器も混乱してしまうようだ。

 「ガス・クロマトグラフィーではウイスキーの化学組成がわかる。どんな成分が、どんな割合で混在しているかを知ることができるんだ」と引退したマスターブレンダー、ジャック・ガウディーは言う。

 「だが、この機械にもできないことがひとつある。その組成が良質のウイスキーをつくるかどうかという判断だ」

 先端技術に強い関心を寄せるロバート・ヒックスは、開発された分析機器をいろいろと試してきた。

 「今は“電子鼻”を使っている。素晴らしい機械だ。こうした機械がどういう仕組みで動くのか、どんな機能をもつのかに関心がある。うまくいけば、道具として使えるかもしれない。不都合があれば捨てるまでだ。私は伝統主義者だが、現代科学にも健全な敬意を抱いている」と彼は言う。

ジャック・ガウディー

 単なる“電子鼻”ならともかく、ジャック・ガウディーやロバート・ヒックスに匹敵する“鼻”を開発するには、長い歳月が必要だろう。

 最近引退したジャックは、スコッチ・ウイスキー業界の重鎮のひとりである。妥協を知らず、ミスを見逃さない彼の自慢の鼻は、しばしば論争を巻き起こす。

 「あるとき、ジャックは<バランタイン17年>の原料モルトのひとつである<バルブレア>の生まれたてモルトをノージングしていた」とヘクター・マクレナンは回想する。

 「このウイスキーは1790年創業の蒸溜所でつくられていて、マジパン(アーモンド粉でつくる菓子)のような甘い香りにかすかな木の実の香りが加わった、素晴らしいウイスキーなんだ」

 「ジャックはこの蒸溜所の所長であるジム・イェーツに電話をした。そして、ウイスキーにかすかな異臭があると文句を言ったんだ。ジムは困惑した。バルブレア蒸溜所では、大幅な改造はあまり加えていなかったからだ。1872年に丘の上に数棟を建て増した。また1970年に新しいスチルを設置している。ジミーも初めはそれくらいしか、思いつかなかったのだが、ふと、スチル上部のネックがコンデンサーにつながる部分の銅製パイプを60センチほど交換したことを思い出したんだ。新しいパイプの銅がフレーバーにわずかに影響を与える可能性は十分あり得た」

 ジャックは1944年、雑用係としてウイスキー業界に入り、1950年に伝説的な<バランタイン17年>の産みの親、ジョージ・ロバートソンのもとでブレンダーとしての修業を始めた。ロバートソン自身は1959年に引退している。ジャックはロバートソンの間近で学び、バランタインのプレミアム・ブレンドの品質を半世紀にわたって守ってきた師の技術と経験を吸収していった。

 マスターブレンダーの理想的な条件とは、ウイスキー業界でなるべく幅広い経験をもつことだ。できれば複数の会社で、瓶詰めをはじめとする生産工程のさまざまな部門を経験し、幅広い知識を得たうえで、マスターブレンダーの修業を始めるのが望ましい。修業を通して身につけた知識がきわめて個人的かつ主観的なものであるということは、すべてのブレンダーが認めるところである。ブレンダー人生45年のジャック・ガウディーも、ウイスキーの香りや味わいは個人的な経験だと認めている。マスターブレンダーはみな、ウイスキーの香りが喚起する記憶は人によって異なると口を揃える。

 「われわれは、まったくとらえどころのないものを扱っている。他人がウイスキーにどんな匂いを感じるかなんて、まったく想像がつかない。それは個人的経験なんだ」と ジャック・ガウディーは説明する。

 マスターブレンダーの最大の関心事は品質である。それぞれの原料モルトやグレーンの個性の分析もさることながら、<バランタイン17年>の香りや味わいの“全体像”を常に念頭に置く。それぞれの原料ウイスキーのことは、参考として心の隅に置く程度である。

 「ブレンディングの要諦は、全体の調和を実現することにある」とジャックは信じている。

 「われわれブレンダーは、さまざまな楽器を調和させ演奏させる指揮者のようなものだ」と言うのである。

 65歳のジャックは今も月に一度は、バランタインの貴重なラベル展示室の非常勤司書兼学芸員として、大好きな蒸溜所で過ごしている。彼は「ウイスキーに関して経験が長いだけで、知識はまだまだ」と謙遜する。

 ウイスキーと同様、ブレンダーの鼻は歳月とともに成長していく。だが、オペラ歌手の声帯と同じように、ブレンダーの鼻も手入れが大変だ。できるかぎり汚染のない場所で過ごさなければならない。

 「葉巻はいけない」とジャックは力を込めて言う。

 「アフターシェーブローションも香料入りの石鹸もダメだ。カレーやニンニクも禁物。そして、とくに微妙な仕事は必ず昼食前にやること」

 どれもこれも、もっともな心掛けである。だが風邪をひいたらどうするのだろう。仕事はストップ、ということになるのだろうか。

 「不思議なことに、われわれはめったに風邪をひかないんだ。頭がボーッとすることなんかない。常にクリアなのは、きっとアルコールのおかげさ」とジャックは言う。

ブレンディング

 ブレンダーの技術は、目と鼻と舌を巧みに使って、自分のつくるウイスキーにバランスと一貫性をもたらすことにある。ブレンデッド・ウイスキーとは、15〜50種類のウイスキーを歴代のマスターブレンダーから後継者へと引き継がれた秘密の調合法で、ブレンドするものだ。しかも、それぞれの構成モルトは、白ワインのような淡い色から深みのある琥珀色まで、色合いもさまざまである。一貫した色調をつくりだすことも、ブレンダーの技の大切な部分となる。

 マスターブレンダーを夜中に目覚めさせる悪夢がある。それは“キャラクター・ドリフト character drift”だ。これはモルト原酒などの変化によって、ブレンデッド・ウイスキーが本来の個性を失っていくことを言う。

 24年間、ジャックのもとで働いてきたロバート・ヒックスは、自分の限られたキャリアのあいだにも、ウイスキーはさまざまな変化にさらされてきたと言う。燃料にピートを使う割合の変化、蒸溜所へのステンレススチールとガラスパイプの導入、ウォッシュ・バックの木製からステンレススチール製への転換、さらに原料穀物における新品種の登場などはみな、モルトウイスキーの性格を微妙に変化させてきた。ロバートをして、「こうした変化のあいだにもバランタイン社の製品は変わらなかったし、これからも変わらせない」と豪語せしめるのも、ブレンダーの技術の賜物に他ならない。

 個性の異なる人間同士がときに反りが合わないように、性格の異なるウイスキー同士もうまくブレンディングできないことがある。原料となるモルトウイスキーやグレーンウイスキーは、それぞれのフレーバーが相殺されることなく、むしろ強め合うよう慎重に選ばれる。

 <バランタイン17年>に使われるシングルモルトは貯蔵庫から搬入され、検査を受けたあと、ブレンディング用のヴァットに流し込まれる。攪拌したり圧縮空気を使ってフレーバーを“覚醒”したあと、樽に戻して数週間、あるいは何カ月にもわたって寝かされる。これを、“マリイング”という。モルトとグレーンの新婚旅行というわけだ。ブレンダーによっては、モルトウイスキーとグレーンウイスキーを別々に、長い場合で8カ月もヴァッティングし、瓶詰めの直前に混ぜ合わせる方法を好む人もいる。

 「わが社では、モルト原酒同士をひとつのヴァットで、またグレーン原酒同士を別のヴァットで混ぜ合わせる」とロバートは説明する。

 「ブレンディングの前に、600〜800丁のモルトとグレーンの樽を1つ1つ検査し、頭の中に描いた“全体像”に照らして、ふさわしい品質であるかどうか、微調整が必要かどうかを調べる」

 「樽は自然の産物だ。ある樽の樽板が別の樽の樽板と同じとは限らない。わが社には何百万丁もの樽があり、ひとつとして同じものはない。樽ごとに熟成のペースが微妙に異なるため、常に樽の中味を検査し、監視する必要がある」

 「<バランタイン17年>に使われているモルトウイスキーは熟成期間も長い高級品だから、マリイングは不要だと考えている。“覚醒”したあと1〜2週間寝かせて、均等に混ざり合うようにしている」

 ロバートはフレーバーの一貫性を保つために、モルト原酒やグレーン原酒を少量の“パーセル parcel”に1個口ずつ分けておき、ブレンディング用には大容量のヴァットを使っている。ちなみに<バランタイン17年>のブレンディング用ヴァットの容量は400樽分もある。これによって品質の均一化が図られている。

 ブレンダーの腕の見せどころは、個々の原料ウイスキーの繊細な個性を維持しつつ、その最良の部分を引き出すようにブレンドするところにある。しかも、一般に評価を得ている水準や品質から一歩もはずれることのない、個性的なブレンデッド・ウイスキーを生み出さなければならない。

 また<バランタイン17年>の場合には、世界中のどんな飲酒慣行にもなじむ国際性をそなえていることが必要だ。

 「ウイスキー、それもとくに<17年>のような高級ウイスキーは素直なため、簡単に“あざができる”んだ。ブランデーなどと違い、周囲にある食べ物の匂いを吸収しやすく、風味が微妙に損なわれてしまうんだ」とロバート・ヒックスは言う。

 「ウイスキー好きの人たちに大切に考えてほしいのは、そのウイスキーがどんな品質と個性をもっているかということだ。<バランタイン17年>には、傑出した名門の味わいがある。“ちびりちびり味わう”べきシッピング・ウイスキー sipping whisky だと言いたいね」


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