FLIP THE SWITCH

    南谷真鈴

    冒険のその先へ

    過酷な冒険を通じて、
    自分自身の発見を見つめてきた
    若き旅人・南谷真鈴。
    21歳の彼女が見据える
    その先のビジョン、
    地球環境という壮大な夢

    PHOTOGRAPHY: ASAOKA EISUKE  TEXT: ARAI TOSHINORI

     二〇一六年五月、エベレスト登頂の日本人最年少記録が塗り替えられた。登頂を果たしたのはまだ十九歳の、しかも女子大生ということで世間の注目を浴び、南谷真鈴は私たちの前に彗星のごとく現れた。世間を驚かせたのは若さだけではなく、行動力とスピート感だった。短い登山歴をトレーニングで補い、遠征の資金は自身でスポンサーを募り、驚くべきスピードでエベレスト登頂までのステップを駆け上がっていった。二〇一五年のアコンカグア(アルゼンチン)を皮切りに、キリマンジャロ(タンザニア)、モンブラン(フランス)、マナスル(ネパール)、コジオスコ(オーストラリア)、ヴィンソン・マシフ(南極大陸)と南極点、カルステンツ・ピラミッド(インドネシア)、エルブルース(ロシア)などを征覇し、続くエベレスト登頂後にはその足で最後の七大陸最高峰デナリ(アメリカ)を登頂。セブンサミッツの日本人最年少記録まで塗り替えると、その翌年には最後の辺境の地、北極点を踏破。七大陸最高峰と北極点・南極点到達者に与えられる称号であるエクスプローラーズ・グランドスラムを二十歳で達成し、こちらも世界最年少記録を塗り替えた。
     現在、南谷は次のビジョンを見据えて南アフリカ共和国を拠点に活動している。今回の取材のために一時帰国をした彼女に、今の思いを訊いた。

    新たな挑戦の舞台
    南アフリカ共和国へ

    ――山に登るきっかけは何だったんですか?
    「中学二年生の頃、父の仕事の都合で香港のブリティッシュスクールに編入したんですけど、すべての学生がパソコンで授業や宿題をしていて。それまで黒板とノートで授業を受けていた私にとっては急激な変化だったし、ランチタイムには学校の別の階にいる友人とパソコンで会話しながらランチを食べるという、本当に面と向かった学生同士のやりとりがなかったんです。家に帰っても両親は仕事でいない。そういった背景もあって、自分という存在を考えるようになったと思っています。十三歳くらいの頃に学校行事で初めて香港の山に登りに行きました。その時に、他の学生たちと同じ目標を目指すチームワークの過程で、人間関係こそが私にとって最も大切であるということに気づき、家族や友情を重視した生き方をしていきたいと思うようになりました。その頃からどんどん山に足を運ぶようになりました。特に命の危険が伴う八千メートルを超える山だと、生と死を一緒にチームとして考える必要があります。短期間の時もあれば、二カ月程度の日数のなかで仲間と絆を深めて一緒に登る。そういう山に来る人のほとんどは一生の思いを持って来るわけじゃないですか。それを一緒になって叶えることが私にとっては大切だった。それは山以外でも言えることで、そういう信頼関係を今でも探っています。その十三歳の頃の体験が私の原点ですね。そして今の私があるのは、私の冒険をサポートしてくださった友人たちがいたからこそと思っています」

    ――次なる冒険はどこに向かっているのですか?
    「次のプロジェクトとしてセイリングでの世界一周を目標に掲げ、その勉強で昨年の六月末から南アフリカに行っていたんですけど、すっかり南アフリカの魅力の虜になってしまいました。今は、二十代の体が使える元気なうちに南アフリカでビジネスやらいろんなプロジェクトをやってみたいと思っています。もともとワインビジネスをやりたいと思っていて。ワインの輸出から始めて、ワインの勉強もしながら将来的には南アフリカ、もしくはニュージーランドでのワイナリー経営を考えています。そういった点でも日本よりも私がやりたいことが充実している国ではあるんです。物を揃えるにしても物価が安いし、土地代も安い。気候も日本の反対で雪が降らないくらいで特に問題はないです」

    ――南アフリカの中でも今はどこを拠点にしているんですか?
    「南アフリカの東海岸にあるリチャーズベイという港町です。もともと高級リゾート地としてできたらしいのですが、今はそんな雰囲気でもなく、漁業が盛んな街です。治安がいいとは決して言えませんが、他のエリアと比べると白人と黒人が仲良く暮らしている場所だと言えます」

    ――次のトライとしてセイリングがあったのが、リチャーズベイという港町に出会って、また次の展開の芽が出てきた。でも突然というよりは、もともと自分の内側にあったものが後押しされたような感じですか?
    「そうですね。もともと私はアフリカにとても興味があって、南アフリカの他には、ケニア、タンザニア、エジプト、ジンバブエにもボランティアを兼ねて行ったりしながら、いつかアフリカに住んでみたいなって思っていたんです。住むなら南アフリカだとは決めていて、それがこんなに早く実現するとは思っていなかったですね。セイリングのプロジェクトはいったん保留にしていますが、私が思うに一番難しいプロジェクトは「家族」、家族という人間関係だと思うんです。家族を持つということはそれこそプロジェクトだし、自分が相手に何をしてあげられるのか、本当に自分で自分のことを理解していなければならない。赤の他人とそういった深い絆を作る、そして一生のパートナーを選ぶ。私は今、南アフリカで人と人との関係性を大事にしたファミリーという形態でやっていく新たなプロジェクトをいくつか始めようと思っています」

    新たなプロジェクト
    スピアフィッシングビジネス

    ――今お話しできる範囲で、プロジェクトについて教えていただけますか?
    「ワインの他に考えているのは漁業のビジネスです。南アフリカは世界有数の豊かな海を誇っていたにも関わらず、かつて大量に魚を捕りすぎてしまった背景から、漁獲量の減少と水産資源の枯渇が深刻な問題になっているんです。政府の取り締まりも厳しくなり、もともと漁で生計を立てていた地元漁師たちの多くが食料不足に陥り、その土地で生活を続けることが苦しくなっています。そこで、トラディショナルかつローカライズされた方法で地元漁師らが漁を続けられる方法を考えて、行き着いたのが素潜りのスピアフィッシングなんです。今南アフリカではスピアフィッシング用のブランドがどんどん増えているほど盛んになってきています。そういったトラディショナルなやり方で、漁師たちが普通に生計を成り立たせるのを見て、驚きました。日本の漁業ビジネスは固く守られているので、私のような外部の人間が急に参入するのは難しいけれど、南アフリカではいろんなチャンスがある。それに懸けてみるというよりはアタックしてみたいという感覚ですね」

    ――昔ながらの狩猟採集ですね。根こそぎ捕らずにきちんと残すということが大事にされているし、それは自然というものを考えることでもある。スピアフィッシングを見た時に、本来の人間性というか、ある種の自然との共生みたいなものを感じたんですか?
    「はい。最初にインスピレーションを受けたのが、お金がなくてもともとホームレスだった白人の友人が、スピアフィッシングを始めてから生活が一変したのを見たことです。朝起きてすぐボートに乗ってスピアフィッシングに出かけて、楽しみながら漁をして、いい時は一日に二万円くらい稼ぐ。南アフリカの家賃って、1LDKで二万円くらいなんです。だからその彼にとってはこれ以上ない楽しい仕事だそうです。もちろん体が資本にはなりますが、貧困層の黒人たちにもスピアフィッシングを広めていきたいと思いました。もちろんメインのビジネスとしては、ワインの輸出を軸に動くことができたら朝起きてすぐボートに乗ってスピアフィッシングに出かけて、いいなと思っています。私は今後の人生を十年単位で考えています。三十代は自分もまわりも子どもがいるかもしれないし、家族としての時間がメインになるかもしれない。四十、五十代になったら日本に帰って過ごしたいという思いもあります。そうすると、二十代は元気に体を使えるので、朝六時に起きてサーフィンに行き、そのままスピアフィッシングをして帰宅。午後はワインのオーダーを受けて輸出業をするというような一日を送るのが私の夢です。あとは自分の暮らしに必要な物、椅子やテーブルやベッドなどもできるだけ自分で作ったりして、本来の人間らしく生きていきたい。頭を使うことこそが人間としての生き方だという人もいれば、手足すべてを使うことだという人もいる。私は後者の手足すべてを使った二十代を送りたいと強く思います」

    ――今のお話を意外と思わないのは、十三歳の時に孤独を感じて自分を見つめた南谷さんが本当の幸福のあり方を見つけて、南アフリカでそういう人間性を見つめているというのが符合するから。「冒険家がどうして?」と思われがちだけど、南谷さんの場合は自分を冒険家と定義していない、むしろ自分自身の発見を見つめる旅人だと思う。新しい自分に南アフリカで出会ったんですね。
    「はい。南アフリカという場所が、今私のなかではとてもしっくりきているし、私の次の目的地だと思っているんです。セイリングでの世界一周のプロジェクトはもちろん忘れていません。でも今ではない。私が住んでいるリチャーズベイでは毎日セイリングに行くこともできます。もしも私に子どもができて、その子がいつか世界一周したいって言ったら一緒にやれたらいいなと思っています。今はそれよりも南アフリカでしかできないプロジェクトに取り組みたい」

    枠にとらわれない
    自分らしく生きる方法

    ――時を争う移動型から定住型に変わってきましたね。
    「そうですね。私は自分のことを冒険家だとは思っていないので。冒険家っていうと、それこそ次はこれ、その次はこれって決まっているじゃないですか。だけど私は冒険の要素を含んだ人生を送りたいというだけで、冒険家ではないということをわかっていただきたい。次はK2に登りに行きます、次はカラコルムのどこどこの山に登りに行きますとかではなくて、そういう山にもちょこちょこ行きます、セイリングもやります、スピアフィッシングのコンペティションにも参加します、そしてワインの仕事もやります。やりたいことがいっぱいあるからこそ、枠にとらわれずに、ワクワクしたことをやりたい」

    ――これまで南谷さんがインタビューで答えた発言にはその布石があって、それらがひとつに結びついたことで、必然性がかえって増した気がします。冒険家にとってのひとつの理想的な形だと思います。すごいことを易々とやってのけて、でもそこに固執しない。その運命の手繰り寄せ方はすごいですね。
    「そうですね。自分でもまさかこんなに早く色々なことが実現するとは思っていなかったので驚いています。でも私の父からすると『どっちなんだよ』って感じみたいですけどね。大学の友人からも『そんな生き方をしてたら冒険家でしょ?』って言われます。どっちもっていうのが理解できない気持ちもわかります。でも、自分が死ぬまでに大きな絵を描くことによって、こういう生き方があることをわかってほしい。自分の生涯を、冒険だけをしてきたのではなくて、バラエティ豊かなものにしたい。最近顔つきが穏やかになったと言われるんです。以前は顔つきがキッとしてたって」

    ――冒険って男社会だから、そこに対する負けてたまるかっていうのがあったんじゃないですか? 今は全然違った感じ。
    「そう。新・南谷真鈴にスイッチしたんです(笑)」

    南谷真鈴 一九九六年十二月、神奈川県生まれ。早稲田大学在籍中。著書『南谷真鈴冒険の書』(山と渓谷社)、『自分を超え続ける 熱意と行動力があれば、叶わない夢はない』(ダイヤモンド社)が好評発売中

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