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東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」
2018年シーズン 音楽と感情

「こども定期演奏会」は、日本で初めての子どものためのオーケストラ定期演奏会。2018年のテーマは「音楽と感情」。 東京交響楽団音楽監督のジョナサン・ノット氏をはじめ、毎回異なる指揮者とソリストが登場します。

※公演日をクリックしたページに公演詳細情報を掲載。年間会員券、1回券ともご購入いただけます。

PDFファイル(2.8MB)

  • 【動画】4月指揮者:ジョナサン・ノット

  • 【動画】12月指揮者:飯森範親
    ※2018年シーズンについてお話いただきました。

  • 【動画】7月指揮者:沼尻竜典

  • 【動画】9月指揮者:原田慶太楼

9月24日(月・休)  第67回 泣いて(T_T)
指揮者・原田慶太楼 インタビュー

「音楽は世界的な共通語。音楽だけで気持ちを感じ取れる素晴らしさを知ってほしい」

山田治生(音楽評論家)

原田慶太楼(1985年、東京生まれ)は、17歳で単身アメリカに渡り、現在もアメリカを活動の拠点としている。9月の「こども定期演奏会」に初登場する、オーケストラとオペラの両方で活躍する若きマエストロに話をきいた。

今回の「こども定期」の選曲についてお話しいただけますか?

「泣いて」というテーマですので、「泣いて」からイメージする20曲くらいを候補として提案しました。まず、友人の木嶋真優さんと共演したいと思い、そして、僕がアメリカで活動していますのでアメリカの作曲家ということで、フィリップ・グラスの『ヴァイオリン協奏曲』を選びました。

  • 木嶋真優

フィリップ・グラスの『ヴァイオリン協奏曲』というのは珍しい選曲ですね。

  • 木嶋真優

このヴァイオリン協奏曲は、1987年、彼が50歳のときの作品です。フィリップ・グラスがお父さんを亡くして、お父さんが聴いたら喜んでくれるような曲を書きたいと思って作った曲です。日本ではあまり演奏されませんが、アメリカやヨーロッパではよく演奏されます。
フィリップ・グラスは、「ミニマルミュージック」と言われる、何度もリピートするような音楽で知られていますが、映画音楽も書いているので、みなさんも耳にしたことがあると思います。彼は、聴いてみたら面白いと思うような音楽、他の人には真似のできない音楽を書きました。

ハイドンの交響曲第45番は「告別」というニックネームがついていますね。

「泣いて」というテーマで全部悲しい曲ではつらいですし、つまらない。「泣く」ということは、悲しいだけではありません。うれしい涙あり、感動の涙もあり、笑い過ぎて泣くこともあります。
ハイドンの交響曲第45番は、ハイドンがエステルハージ侯の宮廷に仕えていた頃の作品です。エステルハージ侯の離宮でコンサートがひらかれ、何日も何日も帰してもらえず、宮廷オーケストラのメンバーが早く家に帰りたいと怒ったのです。そこでハイドンが演奏の途中で楽員一人ひとりが帰っていくこの曲を書いて、エステルハージ侯にメンバーが帰りたがっていることを気付かせようとしました。楽員が泣きながら「ハイドン、助けて!」と言ってできた曲。だから、これは悲しい曲ではありません。ユーモアです。お客さんには笑ってもらいたいのです。演技も交えて、子どもたちを笑わせて、泣かせたいですね。

ラヴェルの「亡き王女へのパヴァーヌ」はタイトルが印象的です。

この曲の音楽とタイトルとは関係ありません。タイトルを知っているから悲しくなるのか、音楽だけでも悲しくなるのか、そのあたりをコンサートでお話ししようかなと思っています。この曲はフューネラル・マーチ(葬送行進曲)ではありません。誰も死んでいませんから。

  • ©H.Nagatake

チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」では、作品が発表された直後に作曲家が亡くなっていますね。

ディープな内容の曲ですから、子どもたちにどう聴かせようか考えています。第3楽章では盛り上がるのに、第4楽章はすごくさみしい。音楽がだんだん止まっていくところは、心臓が止まっていくようです。美しい音楽が止まっていくのは悲しい、というようなアプローチをしようかと思っています。

原田さんの音楽との出会いをお話しいただけますか?

小さいとき、母に大井町の「きゅりあん」へ「くるみ割り人形」に連れて行かれたのですが、始まる前から爆睡で、起きたら終わっていました(笑)。母も「この子はクラシック音楽に向かないわ」と思ったと思います。それでスポーツをやりました。野球、サッカー、テニス、合気道、柔道の好きなスポーツ少年でした。
中学生のとき、須川展也さんのCDをたまたま聴いて、クラシック・サクソフォンってこんなに美しいものなのかと思いました。それがきっかけで、独学でサクソフォンを始めました。通っていたインターナショナル・スクールではミュージカルをやるので、サクソフォンやいろいろな管楽器を吹きました。当時の夢はニューヨーク・ブロードウェイのピット・ミュージシャンになることでした。ピット・ミュージシャンは一人で多数の楽器を吹くのです。

そしてアメリカに留学されたのですね。

高校2年生のときにアメリカに渡りました。ミシガン州のインターラーケン芸術高校に入ったのですが、まわりは神童ばかり。感性や耳はありましたが、最初の頃、サクソフォンのテクニックはゼロ。これではダメだと思い、森の中の学校なので1日8時間練習しました。

  • ©H.Nagatake

管楽器を勉強していたのに、どうして指揮者になられたのですか?

インターラーケンの高校のときに、韓国出身でヴァイオリンを勉強している女性と恋に落ちました。そして彼女の母親と一緒に食事をしたときに「世界的な指揮者になるのだったら、娘と付き合ってもいい」と言われて、指揮者になることを決めました。
すぐに学校で教えてられたフレデリック・フェネル先生のところにレッスンを受けに行きました。先生がお亡くなりになる前の2年間、習いました。

ロシアでも指揮を学んだとうかがいました。

YouTubeで、ゲルギエフやビシュコフ、テミルカーノフの動画を見て、とても魅力を感じ、調べたところ、彼らがイリヤ・ムーシンに習っていることを知りました。高校を卒業した次の週に、何のアポイントメントもなしでサンクトペテルブルクに行きました。そしてムーシンの弟子にプライベートで学ぶことができました。大学はアメリカのイリノイ大学に行ったのですが、夏や冬の長い休みにはロシアに行っていました。そしてモスクワの先生に紹介してもらい、モスクワで指揮デビューすることができました。

その後、アメリカで巨匠ロリン・マゼールのもとで学ばれましたね。

僕の一番の師匠はマゼールです。出会いのきっかけは手紙です。尊敬するマゼールのもとで勉強したいなと思い、手紙を書いたのです。でも返事は来なかった。それで電話をしました。そしてビデオも送りました。マゼールから「来てみなさい」と言われて、2年間、彼のサマーフェスティバル(キャッスルトン・フェスティバル)のときにはマゼールの家に住んでいました。名マエストロに手紙書く人っていないでしょうね。僕は、自分の将来は自分で切り開かないといけないということ、自分で見つけるのが成功のカギだということが体にしみついているのです。

原田さんの現在の活動についてお話しください。

シンシナティ交響楽団のアソシエイト・コンダクターは3年目。昨年はブルガリア国立歌劇場で「カルメン」を指揮しました。この歌劇場の秋の来日公演が、僕の日本でのオペラ・デビューになります。オペラを指揮するようになったのは、マゼールに「オペラを振れないと本物ではない」といわれたからです。マゼールのアシスタントとして僕がリハーサルして、彼が本番を振りました。もともとブロードウェイが好きでしたから、オペラは楽しいですね。
それから、ジョン・ウィリアムズ(注:「スター・ウォーズ」などの音楽の作曲者。指揮者としても活躍)のアシスタントもしていたので、映画を上演しながら、ジョンの曲をオーケストラで演奏するというコンサートを指揮しています。
6月にシエナ・ウィンド・オーケストラで須川展也さんと初めて共演するのがとても楽しみです(注:インタビューは6月以前に実施)。英語に、フル・サークルという言葉があります。須川さんがきっかけで音楽家になったわけですから、彼と並んで共演できることは、僕にとって一つのゴールなのです。

東京交響楽団とは既に何度か共演されているようですね。

2年前のフレッシュ名曲コンサートで初めて共演しました。そのときは、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」やドヴォルジャークの交響曲第9番「新世界より」を取り上げました。僕のリハーサルのスタイルが西洋的なので作曲家の魂の話をしたりしますが、東京交響楽団はそのスタイルを受け入れてくれるオーケストラです。秋にも共演します。

今回の「こども定期演奏会」で子どもたちに伝えたいことは何ですか?

言葉(歌詞)がなくても音楽だけで感情を感じ取れる素晴らしさを知ってもらいたい。今回、4人の作曲家は、それぞれ違う国の人ですが、同じように「泣いて」を表現できます。音楽が世界的な共通語であることを知ってほしいですね。

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