サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン
クス・クァルテット ベートーヴェン・サイクル

オリバー・ヴィレ(クス・クァルテット第2ヴァイオリン奏者)
ベートーヴェン全曲演奏会を語る

  • クス・クァルテット

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◆ドイツの音楽祭では1日1曲ずつ披露
――クス・クァルテットとしては、ベートーヴェン全曲演奏をするのは今回が初めての機会なのですか。
そうです。サントリーホールのような重要な会場での開催は初めてです。私たちはドイツで最も歴史がある室内楽音楽祭のヒッツアッカー(Hitzacker)で音楽祭をやっており、幸いにも私がディレクターをさせていただいております。2018年は「ベートーヴェン!」と感嘆符付きのテーマで開催しました。その音楽祭の一部にベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏が含まれたのですが、コンサートという形にはしませんでした。このフェスティバルでは曲目の解説が重要で、毎日昼にベートーヴェンの弦楽四重奏をひとつずつ取り上げて、毎日違うメンバーがベートーヴェンの弦楽四重奏について話をしました。アルバン・ベルク四重奏団のチェロ奏者のエルベンさんが演奏家として語り、私は作品95について説明しました。演奏解釈史の方は、歴史的に演奏がどのように変わっていったか、ブッシュ・クァルテット、カペー・クァルテット、ブダペスト・クァルテット、そしてクス・クァルテットの演奏の違いを録音を用いて説明しました。とても興味深かったですね。ヘンレ出版のディレクターは、オリジナル譜と異なる版を巡り原典版作成の困難さについて語りました。普通とはとても異なる全曲演奏のフェスティバルで、私たちクス・クァルテットは作品18以外の全曲を演奏しました。言うまでもなく、サントリーホールという著名な場所での全曲演奏は私たちにとって大いに名誉なことですし、大きな喜びでもあります。

――私たち日本の聴衆には、毎年初夏になるとサントリーホールのブルーローズ(小ホール)でベートーヴェンが全曲聴けて当たり前に思えてしまっていますが、準備する側とすれば大変な仕事なのですね。
私たちとすれば大プロジェクトです。5年前に全曲をやらないかと尋ねられたら、恐らくNoと言ったでしょう。ベートーヴェンの全曲演奏には、ある種のスポーツ的な要素が伴います。他の団体が全曲演奏をするのには、「どうして」といつも思っていたものでした。というのも、個々の作品が集中力を必要としますし、それぞれに驚くほど探求の仕方があり、それぞれが特徴的な問題や特別な意味を有しておりますから。どうして全部やらなければならないんだ、って。

――それ故に、ご自身のフェスティバルでは「1日に1曲ずつ」というやり方をなさったわけですね。
それぞれの作品を、毎日違う視点から捉えようとしたのです。

  • ©Rüdiger Schestag

◆作品18はひとつの歴史を閉じる作品
私が思うに、作品18は歴史の何かを閉じるものなのです。単に6曲のセットであるということだけではない。アントン・ヴェーベルンがウィーンの大学でシェーンベルクと新ウィーン楽派など当時の現代音楽について語るように頼まれたとき、そのレクチャーをベートーヴェンの作品18で始めているのですよ。現代の始まりとしてではなく、古典派時代の最後としてです。私もそのように強く信じています。

――なるほど。
ヴェーベルンが言うには、作品18でベートーヴェンはこのスタイルでやれることの全てをやった。ソナタ形式で、テーマがどれだけの長さの、どれだけの数のテーマが設定出来るか、どのようにその対象物を対応させるか、展開部とはどういうものなのか。勿論、ハイドンやモーツァルトから学んでおりますが、もうその頃にはベートーヴェンは29歳で若者ではありません。ですから、これが良いのだ、と確信したかったのでしょう。作品1のピアノ三重奏曲集のあと、ベートーヴェンは良いと思っていたでしょうけど、師匠のハイドンには「ダメ」と言われた。ですから、私が思うに、ベートーヴェンは弦楽四重奏で自分は素晴らしいのだと確認したかった。全部が異なっており、ベートーヴェンとすれば、このやり方では、このような制約の多い監獄のような中では(笑)、もうやることはないと考えたのでしょう。

――監獄、ですか。
彼が書いた最初の弦楽四重奏である第3番をみると、まずヴァイオリン独奏から始めています。音符はふたつ。それから叙情的なものがニ長調で入ってくる。第2楽章は変ロ長調です。遠くの調に移っている。ここからも、古典派のシンメトリーというシステムはもう働いていません。では、そこからどこに行こうとするのか?彼は弦楽四重奏が書きたかった。弦楽四重奏を書くということは、ピアノ・ソナタよりも遙かに複雑な形で四声というシステムをマスターすることです。そして、作品59が来る。

  • 「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン」
    2015年の演奏

◆「ラズモフスキー」の新しさとは
――「ラズモフスキー四重奏曲」ですね。
ベートーヴェンの仕事机の上には、彼が手書きで写したシラーの詩があった。そのひとつは創造者、神についてのものでした。ベートーヴェンは自分自身を創造者だと考えていたのでしょう。神との競争でした。彼はそれまでに無かったものを創り上げた。それがベートーヴェンの人生を通しての問題でもありました。彼がしたかったのは、何か…

――新しいこと…
新しい、というのは正しくはありませんね。人という類や政治的な状況に関わること。当時の日常に関わることに、芸術がなにか発言することが出来ると考えていた。

――ベートーヴェンが「ラズモフスキー」などを書いていたのは、まさに戦時下だったと我々は知っております。でも、それらの曲を聴くときには、そんなこと考えていません。ヴィレさんは、そういうものを感じますか。
ベートーヴェン自身も、そういう風に考えていなかっただろうことは確かでしょう。戦争に対して何かしてやろう、というようなことはない。政治的なことは、例えば、また作品18に例をとりましょう。最初のプロフェッショナルな弦楽四重奏団であるシュパンツィヒ弦楽四重奏団が、彼らのために何か書いてくれと頼みましたね。で、初演のコンサートはお城の中ではなく、ウィーンのアカデミーで行われました。ですから、ベートーヴェンは委嘱者からのお金のためではなく、この弦楽四重奏団の委嘱故に書いたと思います。彼らのためだからこそ、ベートーヴェンは作曲した。とても興味深いことに、作品95は委嘱なしに書かれた最初の弦楽四重奏なのです。ベートーヴェンは自分自身のために書いている。この事実が示すのは、常に弦楽四重奏を書くことは頭の中にあったということ。政治的な状況というのは、想像力を刺激することにはなったでしょう。自分の周囲のあらゆるものが崩れ落ちていく、バラバラになっていき、安定したものなどない。それこそが、芸術にとって最良のことが起きる瞬間だった。

――若いシラーの「自由」とか「人類の平和」とか、ベートーヴェンの弦楽四重奏の中にお感じになりますか。
ええ。誰かが書き、その楽譜を演奏するというとき、それを普遍的なものへと発展させるには、自由がなければ不可能です。これをやれ、あれをやれ、様式上の限界はここまで、というような状態では、これらの作品は書けません。シューベルトにとっては、もっと簡単なことだったでしょう。シューベルトはアウトサイダーで、彼の作品が公開で演奏されることはありませんでした。ベートーヴェンはウィーンの名士で、みんなが彼の次の作品を待っていた。誰もが「偉大だ」というのはどうして、という最初の質問に戻りますと、作曲家にとっての最大の問題は「自分をコピペしてしまうこと」なのです。

――なるほど。
現代では(そうしないのは)とても難しい。特定の様式ややり方に満足したなら、同じ事を違えてやればいい。ベートーヴェンは決してそれをしなかった。彼はいつも己自身にとって新たなものを全ての作品で創り出していました。弦楽四重奏だけではなく。そうじゃなければ、彼は沢山の「英雄」を書いていたことでしょう(笑)。

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◆後期弦楽四重奏について
――ところで、今回の全曲演奏会は、作曲順に演奏なさるのですね。
はい。彼の心の順番に従う、ということです。出版順でもありません。ヘ長調の作品18の1はベートーヴェンが書いた最初の弦楽四重奏曲じゃありませんからね。ベートーヴェンは弦楽四重奏を書くという芸術行為に携わっていた。彼がどれほど違って、どのように自分を常に再創造していったか、そして彼の作曲法に何が起きていったのか。作品18の6の終楽章の「メランコリア」、私にはあれはベートーヴェン後期弦楽四重奏曲の始まりに聞こえます。他の前の作品のようにゆっくりした序奏がありますが、ゆっくりした序奏にはアクセントが一切無く、ずっともうどこにも動くことが出来ない。彼は問題を創り出している。そして一転して、人生なるようになるさってメロディが始まる。

――ハイドンみたいな。
そう。とても理屈にかなったことだと思うのですけど、この曲のあと、ベートーヴェンは立ち止まらねばなりませんでした。作品18の6のあと、続けようがなかったのです。作品18全体を通し、終楽章をどうするか、という問題が未解決のままでのこされました。その解答が作品130の「大フーガ」です。これこそがベートーヴェンにとっての終楽章問題の解決策だったのですよ。モーツァルトにとっての問題でもありました。K. 387のト長調弦楽四重奏で、彼はソナタとフーガを使いましたね。ハイドンはバロック風なフーガをいつも使い、良い終楽章をつくる道を探っていたのです。

――作品130の改定版終楽章を演奏されないのですか。
あくまでも個人的見解ですけど、まるで皮肉のように感じられるのです。悪くはありませんよ、ですが、他に比べるとその良さに達していない。私たちは、作品130は常に「大フーガ」で演奏しています。新ヴァージョンのフィナーレで演奏したことはありません。アンコールも含め、一度も弾いていません。

――後期作品もキャラクターが多彩ですね。
私個人としては、作品127は最も問題が多い作品だと思っています。あの作品では、彼は欲しいものにまだ届いていないような。完璧な作品は作品131だと思いますね。あの作品でベートーヴェンは新しい様式に達し、新しい作曲法に成功しています。

――なるほど。
たとえば、作品127にはベートーヴェンがそれまでに作曲した中で最も規模の大きい変奏曲の楽章がありますね。それだけでひとつの意志表明なわけです。この頃、彼は多くの時間を変奏曲作曲に割いています、「ディアベリ変奏曲」とか。興味深いのは、どうしてなのかです。同じプロセスで、彼は音符を扱う別のやり方も探求していたのだと思います。変奏曲というやり方はルールのない最も自由な形式です。やりたいことがやれます。この形式で、ある種の架け橋のようにひとつの作品となる。作品18の5にも変奏曲がありますが、あの曲では主題がちゃんと認識出来ますね。作品127では、主題が見えません。作品131になると、ベートーヴェンは変奏曲楽章の中で素材を別物にしてしまいます。モーツァルトの時代にはそんなこと許されませんでした。ベートーヴェンはルールなど気にしていない。ですが、それがとても芸術的なやり方だったので、それでひとつの体を成していると感じられる。素材そのものを見れば全くバラバラです。それがベートーヴェンの創作を通しての問題でもありました。彼は異なるやり方で創作をしたい。

――新しいものを、新しいものを、というのは、そんなに自然な考え方とも思えないんですけどね。
現代のドイツの作曲家も同じです。彼らは常に何か新しいものを創りたいと思っています。ですが、彼らは常に同じ事を繰り返すという危険に直面している。しかしそれは、創造というものに取り組んでいる人々には共通の危険でしょう。自分はいつもやっていることを続けているだけなのだろうか、いや、もう続けられない、新しいことをしよう、それは遙かに難しい。今の私の視点からすれば、それこそがベートーヴェン・チクルスが可能な理由なのだと思います。というのも、ある意味で初期のベートーヴェンと後期のベートーヴェンは別の作曲家です。ブラームス・チクルスを繰り返していると、私はとても飽きてくるでしょう。素晴らしい作品ですが、問題に対処するという意味では同じですから。ベートーヴェンはその人生の間に自分自身を大きく変化させていっています。それを追っていくだけで興味深い。私たちが作曲順に演奏するのも、それが理由です。どのように彼が、少しずつ、己を変化させていったか。

  • ©Rüdiger Schestag

――最後はとても短い音楽になりますね。
単一楽章の47分の作品131があり、最後の作品135は20数分。とても小さい。ですが、私には誠に理論的なステップだと思えます。なぜなら、彼はこの完璧な作品131の後にもう書くものはなかった。あれを続けるなど不可能です。ですから、次の作品のやり方は減らしていくことしかなかった。不必要なものを捨てていく。

――それで作品18に戻る…
そう、またヘ長調へとね(笑)。ですが、緩徐楽章は全く作品18ではない。変ニ長調から突然に嬰ハ短調の部分を経て…多くの人が嬰ハ短調の調性について語りますよね。「大フーガ」が猛烈な終わり方をしたあと、彼が次に書いたのは作品131の第1楽章でした。やはりフーガですけど、全く動きがない。非常にゆっくりした4つの音符、まるでこの地上のものとは思えない何か。天の上にあるような。そこから地上に降りてきて、突然、私たちが知っていて、扱えるようなモチーフが出て来る。そしてこの嬰ヘ短調という調性は、また作品135の緩徐楽章で戻って来ます。彼が流れを止めたところで、です。最初のテーマがあって、突然止まる。ここで、神と繋がるのです。遙か上には、私たちの届かないなにかがいる。「大フーガ」でも、最大のクライマックスのコーダの前に、彼はピアニシモの部分を書いています。止まる、そして、クライマックスがやってくる。ベートーヴェンの後期作品では、このような「ワビサビ」のような瞬間が置かれています。流れを止め、暫く待ち、時間の流れの外のような瞬間を創り出す。これはクルタークが作曲しようとしているもの似ています。ベートーヴェンの後期には、そのような創造があるのです。モーツァルトにはこのようなものは全く存在していません。ハイドンにもありません。

◆マントヴァーニの作品について
――サントリーホールではマントヴァーニの作品を演奏されますね。
作曲家に弦楽四重奏を書くモーティべーションを与えるのは、私たちの責任であり、利益でもあると思っています。マントヴァーニの場合には、私たちにとって重要なふたつのイベントを結びつけられると考えました。私たちにとって初のベートーヴェン・チクルスを日本で行うこと。そしてそれを極めて個人的な構想で締め括ること。一連のコミッションの最後を締め括る、とてもクス・クァルテットらしいやり方だ、と。ヨーロッパでは著名な作曲家に委嘱し、作品をより何度も演奏出来るようにしています。一度弾いてそれっきり、とはしたくない。

――このサイクルのために委嘱されたわけですか。
そうです。私が直接お願いしました。ハノーファで4年間の新作サイクルを行っています。政府から委嘱か、または現代作品のコンサートをするための資金を提供されているのです。私たちは委嘱に使おうと考えました。最初の作品はポッパー、それからライマン、トローヤン。そして次の2019年は私たちにとってはベートーヴェン・チクルスの年ですので、マントヴァーニ氏に委嘱しました。私たちは、彼の最初の弦楽四重奏作品を最初に演奏した団体のひとつなのです。彼はいつもエネルギッシュで、混沌のようなところから秩序が生まれてくる音楽。彼の作品を私はとても気に入っています。そこで私は、彼にベートーヴェン・チクルスを締め括る作品を書いてくれるよう頼みました。マントヴァーニ氏がベートーヴェン全曲演奏から浮かぶものを、と。

――ベートーヴェンのテーマを使ってくれ、などと頼んだわけではない。
いいえ、ですが結果として、彼は使いました。これはある意味、不可能な委嘱なんです。ベートーヴェン・チクルスを閉めるのですからね。マントヴァーニがしたのは、コメディを書くことでした。ベートーヴェンの弦楽四重奏全曲から素材を持ってきました。

――全部、ですか?
全部です。ベートーヴェンの弦楽四重奏全曲から、聴いてそれと判るモチーフやフレーズや断片などを集め、一緒に並べたのです。結果は、混沌です。面白がらせようとしてそうしているのではないですが、とても滑稽な作品となる扱い方です。

――10分くらいの曲ですか。
それくらいですね。作品18の1で始まり、作品135のモチーフで終わります。作品135終楽章の楽想「Muss es sein」は、とてもユーモアがある。その後に、マントヴァーニーを演奏し、終わるわけです。

――世界初演は。
東京です。ヨーロッパでの初演はハノーファー。サントリーホール、コンセルトヘボウ、ヴィグモアホール、パリのクァルテット・ビエンナーレという著名な会場の共同委嘱となります。

(ハノーファーにて)

  • オリヴァー・ヴィレからのメッセージ

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