サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン
カザルス弦楽四重奏団 ベートーヴェン・サイクル

ベートーヴェン弦楽四重奏曲をめぐる11の覚書

ジョナサン・ブラウン
(カザルス弦楽四重奏団ヴィオラ奏者)

「ベートーヴェンは、非和解的なものを、イメージをとおして和解させることを拒んでいる」(『ベートーヴェン 音楽の哲学』)

「弦楽四重奏曲第1番」は挑発する

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴くとき、聴き手は古典派の伝統にはない深い感情とドラマチックな息遣いの連続にみまわれる。
ベートーヴェンが出版第一作として選んだ「弦楽四重奏曲第1番」作品18-1は、その冒頭からして挑戦的だ。
冒頭の装飾音型は本当に、これをもとに緻密に組み上げていくためのモチーフ(動機)なのか。それともベートーヴェンの師、ハイドンのウイットに富んだ冒頭のような高尚なジョークなのか。はたまた、この後の劇的な展開に向けての宣言といえるような修辞的効果を狙った「振舞い」なのだろうか。
ベートーヴェン研究の成果から、彼がこのシンプルな装飾楽句の裏で、とてつもなく緻密に推敲を重ねていたことがわかっている。ベートーヴェンはこの主題から展開を何度も書いては棄て完成に至った。
ベートーヴェンは、このような「シンプルな」音の動きを磨き込むことにこだわった。このこだわりは、相容れないさまざまな感情を作品に内包するために必要だったのだろう。
彼の多くの作品と同様、無邪気とでもいえそうなこの装飾音型は、楽章を通じて、和声を変えたり、分割され変形され、あるいは拍位置を変えるなど無数に展開し、ベートーヴェンの想像の力を顕わにしてくれるのだが、クライマックスに到達した地点で、彼がどのような最終解答を提示したかといえば、ピアニッシモへと謎めかしく向かっていくという、運命の結末を提示する責任を回避することを選んだのである。

弦楽四重奏団は一致と不一致の試行錯誤を重ねる

弦楽四重奏といえば、いかにも平明明快であるかのようにみえるだろう。まるでひとりが8本の腕を動かし、息継ぎをしているかのようだ。しかし、これほどまでに単純明快な動きの裏には、何年にもわたる研鑽と確執を経て共に歩んだ歴史がある。
彼らにどんなことが起こるのかといえば、4人は同じ音を、同時に、同じように弾くために、同じ息遣いをしなくてはならない。同時に息継ぎをしなくても、同じ強さで呼吸し、同じ動きにしていかなければならない。だが、2人の代謝が同じであろうはずもない。ましてや4人なのだ。とはいえ口頭での合図では限界がある。ある者にとっては「速い」と感じられても、別の者には「遅すぎる」ということもある。呼吸という身体行為は、腕や手の下慣らしにつながる。下慣らしも4人の関係を整えていくものでなければならない。しかしながら、奏者はそれぞれ癖があるわけで、長年の練習で培った演奏の仕方も体に染み込んでいる。
弦楽四重奏団とはこういうものなのだ。長い年月を重ねて試行錯誤を繰り返して、「シンプルな」動きでさえも彼らの混み入った過去を聴き手に見せたりすることはないのだ。

シンプルな動機には幾つもの意味が秘められている

ベートーヴェンの音楽には、ただのモチーフ(動機)ですら、幾つもの意味が秘められている。
「弦楽四重奏曲第2番」作品18-2の第2楽章「アダージョ」冒頭のストローフェでは、ため息のような5音のレチタティーヴォ風の音型で締めくくられる。この楽句(カデンツァ)は、第一ヴァイオリンが動機を提示する前にほぼ終わって、舞い踊るような部分に変じた後に、4楽器の間を動機が行き交う。
ベートーヴェンの世界では、神聖視されるものはない。いかなる「感情 Affekt」にも、それとは対極の感情がそこにあるのだ。
ベートーヴェンの周辺にいた音楽家たちは、彼の即興演奏の能力が類まれであったこと、ありきたりな素材をいかにして至高の表現へと昇華させたことなどについて語っている。しかし同時に、聴き手が感動の涙を流すやいなや、ベートーヴェンが陳腐なフォルティッシモのフィナーレで変奏曲をさっさと切り上げてしまったことも思い出すのである。それはまるで「自身を振り返ってみたまえ。ただのジョークだよ」とでも言うかのようだった、と。

演奏解釈とは原理原則を遵守することではない

弦楽四重奏団は年月を重ねるにつれ、客観的な現実などなく、あるのはただ共通した経験に対する異なる見方のみだと認識するようになる。
リハーサル中、私たちは会話する。それは言葉が互いの意思疎通に必要な一義的な手段だからだ。しかし常に言葉では足りない。
コンサートを終えると、4楽器の間のバランスはどうだったかを検討するが、その前に「バランス」の意味するところをはっきりさせておくべきだろう。誰の主観的見解にもとづいて、何をもっと顕著に聴いてもらいたいのか。それは、ホール内のどの席から聴いたものか。また、どの曲のどの部分なのか、ということである。
若い弦楽四重奏団の意欲に燃えたメンバーは、完璧主義者然とした意見を擁護し、非の打ちどころのない音楽原理に基づく真実なるものを主張し、激論を交わし、そして互いの確執を打開するために煩雑なシステムを作り上げるものだ。個々の考えは、ある意味で真実ではあっても、それに反するものも同等に妥当かつ重要であることに認識が至るまでには、時間がかかるのである。
低声部(ベースライン)によって示される和声構造が、旋律を受け持っている奏者が絶対的と思ったことに疑義を投げかけることがある。すなわち、主題が持つ明確な和声構造が、内声部のシンコペーションのリズムによってあいまいになることがあるのだ(特にベートーヴェンにおいて!)。演奏解釈とは、抽象的な原理原則を擁護することではなく、むしろ矛盾しつつも妥当な音楽的真実との釣り合いを常に追究することなのである。

悲劇と喜劇を隔てるものは剃刀の刃のごとく薄い

ベートーヴェンは、27歳で「弦楽四重奏曲(全6曲)」作品18に着手したとき、西洋の伝統文化が残した傑作のなかから創作のヒントを見い出した。彼の音楽日記ともいうべき作曲スケッチをみると、「第1番」作品18-1の緩徐楽章は『ロメオとジュリエット』の「墓場の場面」から構想を得ていたことが分かる。そこに書き込まれた音型は、主人公が息を引き取る場面や若い二人の恋人が命を絶つ場面に呼応している。「第6番」作品18-6の第4楽章「憂鬱 La Malinconia」は、多くの楽章の中でも、初めて意味のある標題である。ここでベートーヴェンは、アルブレヒト・デューラーの銅版画の傑作「メランコリア(憂鬱)」――この作品自体もまた多様な解釈が可能な作品だが――に言及したのだ。
しかし、デューラーの描いたメランコリックな天使が喚起された後に、テンポの速い農民の踊り(カントリーダンス)が続く。これは銅版画の内容とは相容れないように思えるし、しかもその後に「憂鬱」の主題が再びダンスを中断するので聴き手は途方に暮れてしまうだろう。高尚な導入部にお祭りのような陽気さという文脈にどのような意味があるのだろうか。
高みからベートーヴェンを常に地上に引き戻すものとは何なのか。
この二項対立する内容を十全に理解するには、シェイクスピアを思い出すべきであろう。サミュエル・ジョンソンはシェイクスピアに関してこう述べている。「語呂合わせは黄金の林檎だ……。その林檎を採るために彼はいつも腰をかがめる」。ベートーヴェンは語呂合わせ(少々粗野ではあったが)を好んだ。彼の才能は、同じ身振りが正反対の意味を持つこと、悲劇と喜劇を隔てるものは剃刀の刃のごとく薄いということが気に入っていたのである。

「弦楽四重奏」とは様々な次元で同時に繰り出される言語だ

「弦楽四重奏」とはつまるところ、様々な次元で同時に繰り出されるある種の言語だ。弦楽四重奏団には、家族のようにメンバーしか通じない言い回しがある。月日をへて、口論の中にもジョークを交え、複雑な考えを簡潔に伝え、議論からはいつ身を引くべきか、あるいは手を貸すべきかがわかる研ぎ澄まされた直感というものができてくる。
ステージで交わされる合図は、メンバーの間でははっきりしていても部外者に通じさせるのは難しい。彼女はあそこでもう少し間が欲しいとか、彼は16小節先に違う音色を考えているなど、どうしたら知り得るのだろうか。ところが、メンバーが同調すればもはやそのメッセージは無視することはできなくなる。
弦楽四重奏曲を演奏することとは、自分のビジョンを最大限明確に示すことであり、同時にステージにいる他の3人のメッセージを完璧に受け取ることができるということなのである。

「ラズモフスキー弦楽四重奏曲」は「矛盾」をはらんでいる

作品18の後わずか6年で、ベートーヴェンは弦楽四重奏曲にとりかかった。この間の彼は非常に多くの作品をてがけ、音楽言語の新境地を開拓していた。初期のベートーヴェンは、古典派で許容される規範に限界を感じ苛立っていたが、ラズモフスキー伯爵に献呈した「弦楽四重奏曲第7~9番」作品59で、当時の人々が理解していたものをはるかに凌駕する可能性の幅を広げたのである。
ゲーテが「4人の思慮深い人間の交わす対話」と評した弦楽四重奏曲は、交響曲的な要素も取り入れるようになる。「第7番」作品59-1の第一主題は「交響曲第3番」作品55のように、チェロが提示する。第1楽章の展開部は提示部が小さく感じるほど長大化している。この巨大な構築物ともいえる第1楽章と心揺さぶる第3楽章「アダージョ・モルト・エ・メスト」の間では、ベートーヴェンは、一見、希薄な同音反復に基づいた両楽章と同じくらい刺激的なスケルツォ楽章を創り込むことに成功している。
「ラズモフスキー弦楽四重奏曲」は多くの矛盾をはらんでいる。
星明りに照らされた夜空から着想を得た「第8番」作品59-2の緩徐楽章では、開放的な旋律が「交響曲第4番」作品60の緩徐楽章に出てくるような機械的な音型と組み合わされている。
「第9番」作品59-3は不協音程を重ねた間違った和声進行のような和音で幕を開けるが、すぐに磐石な和声に基づいたハ長調の主題に取って代わる。
こうした特徴は後の作品でもさらに強まる。ヘ短調の「第11番」作品95は、ベートーヴェン自身が「公の場で演奏されるべきではない」としたほどの凝縮された緊張感のある作品だが、目が眩むような超絶技巧のコーダで前触れなく長調に転調し、終結してしまう。
アドルノが論じたように、「ベートーヴェンは、非和解的なものを、イメージをとおして和解させることを拒んでいる」。ベートーヴェンにとって単純な答えも安易な解決もあり得ない。

弦楽四重奏曲こそが最も純粋な形式を具現する

なぜ弦楽四重奏曲を作曲せねばならないのか? なぜピアノ独奏曲の明澄さやオーケストラの色彩と壮大さを弦楽四重奏曲は諦めるのか?
私たち4人が楽器の技術を習得しようとするほど、それぞれの音の限界を突破したいという思いが強くなる。
私たちの手段はヴァイオリン、ヴィオラあるいはチェロではあるが、聴き手に聴いてほしいのは、ヴォーカルであり、クラリネットであり、コントラバス、あるいは多声の音楽(ポリフォニー)を、透明感をもって奏でる鍵盤楽器だったりする。
しかしながら、各声部の意味合いをはっきりと聴き取ることができるのは弦楽四重奏だけなのだ。音楽のそれぞれのラインで、ソリストの個性的な解釈に取り込まれることも、オーケストラの各パートのようなレベルに拡大解釈されることもなく、対等な4人の関係のもとに最も純粋に形作られるのである。

後期弦楽四重奏曲は未来の聴衆に向けられている

「中期」の弦楽四重奏曲が周囲のあらゆる期待に応えたものとするならば、「後期弦楽四重奏曲」は作品世界そのものに属している。
「第12番」作品127が作曲された1825年までに、ベートーヴェンは完全に聴力を失っていたが、彼は「ハイリゲンシュタットの遺書」(1802)で自分自身と交わした約束を守った。自らの作品に自身のすべてを捧げるとの誓いである。
ある観点からすると、最後の作品となった5つの弦楽四重奏曲は、ベートーヴェンの他の作品と比較してもルネサンス期のポリフォニー音楽を彷彿させる分厚い対位法、長く流行遅れとされていたフーガ、「第15番」作品132でのリディア旋法など、古めかしい素材を多用している。
それでいて、ストラヴィンスキーが『大フーガ』を「いつの世にも通じる現代音楽だ」と評したように、ベートーヴェンは理想化された未来の聴衆、すなわち、音が持つ圧倒的な意味の深みを味わうことのできる力を有する聴き手に向けて、過去に根差しつつ未来を志向し作曲していたと思えるのである。

弦楽四重奏団は一つであり、4人それぞれの個性をも保持する

弦楽四重奏団のアイデンティティについて、こう言われることが多い。アンサンブルとしての個性は、何年もの時を経て個々人の個性よりも大きくなると。団体としての個性はメンバーが交代しても継続するようだ。
しかしながら、内部からでは、正確に把握するのは非常に難しい。私たちは個性の際立った4人であり、それぞれの背景の違いや個人としての進歩もあって、しばしば相容れない方向に進みがちだ。
同じ弦楽四重奏団の複数のメンバーからレッスンを受けた生徒が、どうしたらこれほど音楽性が違う4人がこれほど上手く共演できるのか問うてくることがよくある。ピアニストの右手は左手と争う必要は全くないが、弦楽四重奏団では、各パートは他のメンバーに負荷を課さずに無傷であることはない。横軸からみれば強い意志を持ち強い個性を持つ4人ではあるが、縦軸からみれば一つのまとまりであり、コンサートでは連動し互いを必要とするのだ。

ベートーヴェンは「矛盾」を克服しはしない

最後の弦楽四重奏曲となった「第16番」作品135で、ベートーヴェンはよりわかりやすいスタイルに戻ったようにみえる。しかしこれは表向きにすぎない。
ベートーヴェンは相反する二つの楽想を提示する。4楽器の間を行き来する優雅で陽気な歌と、最初にユニゾンで聞こえてくる耳障りな半音階の動機は、驚くべきことに、楽章が進むにつれてつなぎ結合させることができるのである。
ベートーヴェンの最後の完成作品「第16番」第4楽章の楽譜に書き込まれた
「かくあらねばならないのか? かくあらねばならぬ! かくあらねばならないのだ!Muß es sein? Es muß sein! Es muß sein! 」とはいったいどのような意味があるのだろうか。ベートーヴェンが自身の運命を受け入れたと解釈もできるし、駄洒落か家賃の支払いで大家をからかったからだという研究者もいる。
最後の弦楽四重奏曲群の素晴らしい緩徐楽章、ベートーヴェン自身が涙を流したと認めた「カヴァティーナ」(「第13番」作品130 第5楽章)、大病から快復後に作曲された「聖なる感謝の歌」(「第15番」作品132 第3楽章)、「第16番」作品135 第3楽章の見事な変奏曲、そのどれにも皮肉や風刺の形跡はない。にもかかわらず、これらの楽章の後には全く異なる「大フーガ」や行進曲、「かくあらねばならぬ」の楽章が続く。これらは、緩徐楽章の心にしみるような儚げな脆さを圧倒し覆い隠すかのように迫ってくる。驚くことでもないが、ベートーヴェンは人間が抱える避け難い矛盾を作品の終わりで解消しようとは思っていなかっただろう。
彼は古典喜劇を締めくくる常套句「諸君。喝采を。喜劇は終わった」を辞世の句としたのだから。

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