キュッヒル・クァルテットのブラームス・ツィクルスⅠ~Ⅲ

プログラム・ノート

林田直樹


 ヨハネス・ブラームス(1833~97)にとって、弦楽四重奏曲という分野は、交響曲と同じくらいに重要な意味を持っているかもしれない。交響曲第1番を書くためにブラームスが先人たちのプレッシャーを感じながら20余年もの試行錯誤を経たことはよく知られているが、全く同様のことが3つの弦楽四重奏曲についても言える。ロベルト・シューマン(1810~56)を師と仰いだ青年期から、20曲以上が書かれては破棄されたという。このジャンルに対してブラームスは極めて慎重であった。

 興味深いのは、3つの弦楽四重奏曲が明確な意図をもって医者に献呈されているという事実である(ブラームス自身がそう語っているが、理由は定かでない)。作品51の2曲はイタリア旅行にも連れ立っていくほどの親友だったテオドール・ビルロート、作品67は演奏旅行の際は必ず立ち寄るほど仲が良かったオランダのユトレヒトの医者で生理学者のテオドール・ヴィルヘルム・エンゲルマンに捧げられた。二人とも音楽愛好家としてもすぐれており、ブラームスは彼らの意見を大いに傾聴していたという。医者という職業への敬意も、もちろん込められていたに違いない。

 今回のツィクルスはブラームスが室内楽曲のなかでも最も高度な芸術性と完成度を求めた弦楽四重奏曲の重要性を、改めて認識できるまたとない機会である。クラリネットやピアノを加えた五重奏曲や弦楽六重奏曲は、より知名度の高い人気作品であるが、3日間のツィクルスの軸として各日に弦楽四重奏曲が据えられていることは、ぜひ踏まえておきたい。


Ⅰ 6月12日(火)19:00開演


ブラームス:弦楽四重奏曲第3番 変ロ長調 作品67

 作品51の2曲と比べると、その2年後、1875年に完成、初演されたこの曲は、はるかに晴朗で親しみやすい。あえて比較するなら、重苦しいほどに内面的でシリアスな作品51は交響曲第1番に、穏やかでリラックスした作品67は交響曲第2番に、少しだけ似ている。 第1楽章は初演当時からヨーゼフ・ハイドンを彷彿させるとの批評が出ているが、冒頭から飛び出すような、無邪気で明るく、生き生きとした第1主題が印象的である。第2主題は平明だが物思いにふけるような趣があり、そのわずかな陰影が味わい深い。第2楽章はしみじみとした歌と緊張感の対比が見事。第3楽章は、ブラームス自身が、これまでに書いた音楽の中で「一番なまめかしく、情感にあふれている」と語ったと伝えられる。おっとりとした歩みで始まる変奏曲の第4楽章も「ハイドン風」と評されたが、奥行きのある和声と響きはブラームスならでは。最後に冒頭を回顧して全曲を締めくくる。


ブラームス:クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115

 1891年3月(58歳)にブラームスは、交響曲第4番を初演したマイニンゲン宮廷管弦楽団の首席クラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルト(1856~1907、当時35歳)の演奏と出会う。ヴァイオリン奏者として入団し、クラリネットへと転向したという彼の演奏は、ブラームスが「私のプリマドンナ」(この形容は、オペラ創作を断念した思いが反映されているかもしれない)と呼んだほど卓越したものであった。ミュールフェルトとの出会いを機に、この年、クラリネット三重奏曲および五重奏曲が生み出された。避暑地バート・イシュルで遺言書が作成されたのも同じ時期のことである。この遺言書は死を覚悟したというよりは、ブラームス特有のある種の潔さ、自己への厳しさの表れでもあるだろう。

 第1楽章は冒頭の二つのヴァイオリンによって提示される詠嘆調の動機が各所に張り巡らされ、旋律性豊かな、確固として構成された音楽となっている。第2楽章は、穏やかな主部と、クラリネットの孤独なモノローグが心を打つ中間部との対比が見事。第3楽章はリラックスした友人同士のしみじみとした語らいのよう。スケルツォ風だが、自由な気分の変化に富む。第4楽章は、交響曲第4番の第4楽章パッサカリアや、モーツァルトのクラリネット五重奏曲の第4楽章を彷彿とさせる変奏曲。最後に第1楽章冒頭主題が回顧され、寂寥感がいっそう強められて締めくくられる。


Ⅱ 6月14日(木)19:00開演


ブラームス:弦楽四重奏曲第1番 ハ短調 作品51-1

 1873年(40歳)の初演当時、この曲は人々から「魂の画」と呼ばれた。それほどまでに内面的で、悲劇性の強い作品である。

 第1楽章から尋常でない緊迫感があり、構成にも全く隙がなく、深い苦悩が刻まれている。それに虚を突かれないよう、注意しなければいけない。これは、たとえば交響曲第1番の第1楽章と同様に、相応の覚悟をもって対峙すべき内面の闘争である。ここにはどれほど心震わせる真情が吐露されていることだろう。何と涙ぐましい、熱い訴えがあることだろう。あたかも、真の魂の友に対して、本当の気持ちをぶつけるような迫力がある。第2楽章は、「うっとりするほど心地よい響き」「深い想いが織りなす真珠」という当時の評が出ているが、それほどまでに慰めに満ちた、ブラームスらしい夜の音楽である。第3楽章はリズミックなスケルツォが来てもおかしくないところだが、悩ましい不安と情念が出口を求めてさまよう。痛切な第4楽章に晴れやかな解決はなく、悲劇性をさらに強めて終わる。


ブラームス:ピアノ五重奏曲 ヘ短調 作品34

 1862年(29歳)に弦楽五重奏曲として書かれたこの作品は、いったん2台ピアノ用に改作された。その背景には、シューベルトの2台ピアノのためのソナタ「グラン・デュオ」D. 812に心酔していた友人ヨーゼフ・ヨアヒム(1831~1907)の助言が大きかったようだ。ちなみに「グラン・デュオ」はロベルト・シューマンもその交響的可能性を高く評価していた。しかし2台ピアノ版でも飽き足らなかったブラームスは、クララ・シューマン(1819~96)の助言を受けてピアノ五重奏曲としてさらに改作した。作品としての骨格はほぼ変わらず、あくまで響きのあり方の追求が問題であった。初演は1865年で、この曲をめぐる試行錯誤に3年かかったことになる。その期間、ブラームス自身、友人への手紙のなかで「どうしてもやらなくてはいけない」と書くほどのこだわりようだった。

 第1楽章は、忍び寄る影のような第1主題が、不意に情熱となって燃え上がるような経過句を経て、激しく繰り返され、焦燥感をともなう第2主題へとつながっていく。このドラマティックな提示部の印象は圧倒的である。第2楽章はひとときの休息だが、ピアノや弦の低音に暗さを残している。第3楽章は戦闘性と誇り高さを感じさせるスケルツォで、ピアノと弦のリズムのズレが生み出す迫力は手に汗握るものがある。不安な序奏に始まる第4楽章は、激しく緊張感ある主部へと導かれていく。


Ⅲ 6月16日(土)19:00開演


ブラームス:弦楽四重奏曲第2番 イ短調 作品51-2

 当時のある評論家は、作品51の1が「男性的、悲哀、諦観、苦悩」なら、この作品は「女性的な柔和さ、痛み、不機嫌さ」というふうに比較した。だがそれはあくまで一つの意見であって、あまり同意できないという人も多いだろう。確かなのは、前者が緊迫感に満ちて隙がないのに対し、こちらの方が旋律的で、のびやかな要素もある点だろう。どちらも悲劇的で緊密な構成を持つ音楽であり、両者は共通性の方が多い。

 第1楽章はブラームスがしばしば引用したモットー「frei, aber, einsam=自由に、しかし孤独に」が冒頭の第1主題の音型「A-F-A-E(音名:イ―ヘ―イ―ホ)」に隠されている。柔和に歌われる第2主題の憧れに満ちた美しさはたとえようもない。第2楽章は慰めの音楽だが、内面の嵐も吹き荒れる。第3楽章はため息と焦燥感のメヌエット。トリオでは弾けるような楽しさがあり、心救われるようだ。第4楽章は厳粛で、希望を垣間見せながらも、悲観に閉ざされたようなトーンは変わらない。作品51の2曲は、いずれも問題解決や勝利や明るさを、最終的には見出せないという点で共通なのである。


ブラームス:弦楽六重奏曲第1番 変ロ長調 作品18

 1860年(27歳)に完成、初演された。それ以前にはあまり前例のない弦楽六重奏曲というジャンルを若いブラームスが選び取ったことは、何を意味しているだろうか。ハイドンやベートーヴェンにおける弦楽四重奏曲の偉大な芸術性を意識するあまり、自分に厳しかった若きブラームスが同じ曲種を避け、むしろディヴェルティメントやセレナーデの伝統にのっとって弦楽六重奏曲から書いたのだという見方もある。だがそれは自信のなさの反映というよりは、厚みのある響きがブラームスの得意とするものだったからであろう。実際、生演奏で聴くと六重奏の充実感は格別である。

 青年ブラームスが、意気揚々とクララ・シューマンのところに、深い呼吸と愛と希望に満ちた、大規模な第1楽章を送り届けたとき、クララは何と思っただろうか。第2楽章は主題と6つの変奏曲で、独奏ピアノのための『主題と変奏 ニ短調』として編曲され、クララに捧げられた。後年ブラームスが弟子たちに自作の演奏を所望されたときにしばしば弾いたことからも、この変奏曲への自負がみてとれる。ブラームスは変奏曲の構築性のためには、バスの扱いこそが重要だとみなしていた。この楽章でもぜひ2本のチェロの動きに留意しておきたい。短く陽気なスケルツォの第3楽章をはさんで、おっとりとした民謡風の主題による第4楽章は幸福感たっぷりに締めくくられる。

(はやしだ なおき・音楽ジャーナリスト、評論家)


※資料出典:ウィーン楽友協会アーカイヴ・ディレクターのオットー・ビーバの論考(ウィーン弦楽四重奏団のCDライナーノーツ、カメラータ・トウキョウ)、『ブラームスとその時代』(クリスティアン・マルティン・シュミット著、江口直光訳 西村書店)

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