プレシャス 1pm Vol. 2
ドビュッシーと反好事家八分音符氏
(ムッシュー・クロッシュ・アンティディレッタント)

プログラム・ノート

関野さとみ


 今年没後100年を迎えるクロード・ドビュッシー(1862~1918)。20世紀初頭に書かれた『前奏曲集』第2巻(1911~13初頭)は、作曲時期がそう離れてはいない第1巻(1909~10)よりも前衛的な傾向が強く、音響的想像力がいっそう研ぎ澄まされている。第2巻の7曲目に配された「月の光が注ぐテラス」は、1912年に『ル・タン』紙が伝えた、インド皇帝ジョージ5世の戴冠式の記事から着想を得たといわれる。この東洋的な月夜の情景を、ドビュッシーは18世紀のフランス民謡「月の光に」の引用で始め、半音階で下降する神秘的な月光をまとわせつつ、複数の旋法に基づく斬新な和声によって幽玄に喚起している。

 ドビュッシーは晩年の1915年、第一次世界大戦と死の病に心身を侵される中、「フランスの昔の形式」を意図した6曲のソナタを計画する。それは古典的なものへの単純な回帰というより、新しい時代の流れの中で「フランス的な古典」をもう一度捉えなおそうとする試みであった。第1曲にあたるチェロ・ソナタ ニ短調(1915)は、荘厳な第1主題と哀調を帯びた第2主題が即興風に展開する第1楽章、ギター風に奏されるチェロの音響や不規則な緩急の変化が異質の感覚を与える「セレナード」の第2楽章、いくぶん自嘲的な陰りが見え隠れするロンド風の第3楽章から成る。

 中期以降のドビュッシーは、古い時代のフランスの詩人に目を向けるようになる。『フランスの3つの歌』(1904)の2曲目「洞窟」は、ブルボン王家ゆかりの宮廷に仕え、放縦な生活を送った17世紀の詩人トリスタン・レルミートの詩に基づく。調性の響きを維持した簡素で透明な色調の和声と、ピアノによる短長格のリズムのゆるやかな繰り返しが、仄暗い洞窟の甘く官能的な空気、静寂に包まれた水面のわずかなさざめきを喚起する。

 『フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード』(1910)は、15世紀に悪徳と放蕩のかぎりを尽くしたフランスの天才詩人ヴィヨンの詩に基づく。現実の醜さを赤裸々に詠いつつ、自らの理想を追求したヴィヨンにドビュッシーは魅了されたらしい。全3曲中の2曲目、初老の母親にささげられた「母の求めにより聖母に祈るために作られたバラード」は、ヴィヨンが罪人として死刑判決を待っていた際に書かれたといわれる崇高な祈りの歌。第3曲「パリ女のバラード」は対照的に、お喋り好きなパリ女たちのウィットに富む音楽的描写が魅力的な1曲。

 初期の歌曲集『忘れられた小唄』(1885~88/1903)は、当初個別に出版されていたポール・ヴェルレーヌの歌曲を、1903年に全6曲の歌曲集としてまとめた作品。ドビュッシーは同時代のヴェルレーヌの詩が喚起する二律背反の美の世界を、長調と短調の間を自由に漂う自らの音の響きと共鳴させることで、歌曲における詩句と音楽の一致という問題に多くの示唆を得ることができた。「木馬」は、日曜のパリの活気に満ちた喧騒と、日が暮れた後の静寂を、敏捷な音使いと柔らかな曲調の対比によって詩的に描き出す。次の2曲を挟んだ後に演奏される「グリーン」は、機敏に跳躍する音型が恋人たちの初々しい恋愛とその陶酔を魅惑的に喚起する。

 3曲からなる『愛し合う二人の遊歩場』(1904~10、第1曲は前出の「洞窟」と同一)では、再びトリスタン・レルミートの抒情詩が取り上げられる。第2曲「いとしいクリメーヌよ、私の忠告を聞き入れておくれ」は、自在さを増した歌唱と巧みに情景を喚起するピアノによって、夕闇が迫る泉に吹く風や花の香りに、恋人の息づかいが重ね合わされる。第3曲「お前の顔を見て私はおののく」では、愛する女性への慄きと願望の入り混じる切々とした心情に柔軟かつニュアンスに富んだピアノが呼応し、音楽と詩句が一体化する。

 1917年に完成されたヴァイオリン・ソナタ ト短調はドビュッシーの遺作。1915年から計画された6曲のソナタの3曲目にあたる。簡素な構成の中に様々な情感が込められ、ヴァイオリンとピアノは単なる対話でも協奏でもない独自の関係に置かれる。ピアノの瞑想的な平行和音の響きに始まり、巧みな主題変容が展開される第1楽章、諧謔と叙情が幻想的な雰囲気の中で交錯する第2楽章、それまでの主題が「非常に奇妙な変形を経て、自分の尾を噛む蛇のように堂々巡りするひとつの楽想の簡素な動きに帰着し」(1917年5月7日のドビュッシーの書簡より)全体の中で関連付けられる、ディヴェルティメント風の第3楽章が続く。

(せきの さとみ・音楽学)

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