保守・リベラルで説明できなくなったアメリカ ――普遍国家の幻想崩れ、普通の「特殊な国」に
米コンサルティング会社「ユーラシア・グループ」は2021年の国際情勢を見通して「10大リスク」のNo.1はバイデン米大統領(民主党)だとする報告を発表した。昨年11月の大統領選挙で史上最多の8000万票以上を獲得し、538人の選挙人のうち306人と明らかな過半数を得ながらも、バイデンの政治基盤は脆弱だからだ。トランプ前大統領(共和党)も史上2番目の7400万票を得たうえ、最後まで選挙で不正が行われたと主張し続けた。そのため支持者の大部分が選挙は不正だと信じている。つまり、米国民の半数近くがバイデン新大統領には「正統性」がないとみているわけだ。連邦議会においても、新大統領の正統性を認めない有権者が同時に票を投じて送り込んだ共和党議員らが与党民主党と拮抗する。そんな政治的現実に向き合う指導者が主要先進国にいたためしはない、と報告はいう。
実際、そうした現実を象徴するように、1月6日、バイデン氏の当選を認めないトランプ支持者らが暴徒化し、連邦議会に乱入し多数の死傷者を出すという前代未聞の騒ぎになった。事件に絡みトランプ前大統領は、民主党優位の下院によって退任直前に「反乱を扇動」したとの理由で弾劾訴追された。在任中に2度も弾劾訴追された大統領は米国史上初めてだ。それでも「岩盤」とされる支持者らは揺るがない。トランプという大統領を生み出した米国の現実を見せつけたような出来事だ。
米国は依然、軍事・経済で世界最強の国家かもしれないが、先進民主主義諸国の中で「最も分断し、最も格差の激しい国」である。ユーラシア・グループの報告でさえも、そう認めざるを得ないのが今の米国だ。直面する課題は、バイデン新大統領の正統性や新政権の持続可能性だけでない。雇用をはじめ国民に経済的機会を与えることができていない。新大統領に挑む共和党自体が、トランプ退任後にどんな政党になっていくのかも分からない。問われているのは、ここにまで至った米国型の政治モデルそのものなのではないか、と報告はいう。米国型の自由に基づく民主主義そのものが、いま危機にあるのではないかという問いかけだ。問題はトランプなのではない。トランプを生み出すに至った構造なのではないか、ということだ。報告は1月6日の事件以前に書かれているが、事件も含めて考えるべき方向性を示唆している。
この危機はトランプがこの4年でもたらしたものではなく、少なくともここ数十年をかけて2大政党の双方が、いわば「共犯」となって引き起こしたものだ。結果として、建国以来の自由主義や民主主義の正統性まで危うくしている。いや、すでに建国の時点で、この危機の芽は胚胎していたのではないか。『アステオン93』の特集「新しい『アメリカの世紀』?」に寄せられた論考全体を通して読むと、そうした感慨を持たざるを得ない。
足下の情勢を考えるうえで、興味深いのはマーク・リラの「液状化社会」だ。いま米国で起きている事態を左右の「分断」の激化として説明しようとする向きが多いが、「おなじみのアメリカ政治の二分法」、つまり保守・リベラルの対決構図ではトランプ現象は読み解けない。評者も常々指摘してきたことが、最新のデータも援用しながら説かれている。おそらく連邦議会に乱入した暴徒らも含めて、トランプ支持者らは経済問題では従来リベラルとされてきた政策を求めている。貿易保護主義や社会保障・医療保険がその例だ。ところが、社会問題となると従来の保守の価値観を支持している。妊娠中絶が代表例だ。経済問題だけを捉えれば、米国民全体が左傾化しているのである。その理由は明らかだ。ユーラシア・グループの報告でさえ率直に認めざるを得ないほどのすさまじい格差が生じているからである。
「おなじみのアメリカ政治の二分法」では現状には対応できないということは、いまの2大政党の枠組みでは人々の期待に応えることはできないということだ。だから、共和党はトランプに乗っ取られ、民主党はサンダース上院議員に引っかき回されている。いずれも従来の党内エスタブリッシュメントとは無縁な政治家である。つまり、従来の2大政党の枠組みでは、米国が直面する問題には対処できず、本来なら政党再編が必要なくらいの状況なのだ。にもかかわらず現行の制度では第3党が入り込む余地はないから、人々の声を背景に部外者が門扉を倒して土足で入り込むという「革命」に近い状況が生まれている。
リラが、そうした現状の中で2017年に発足した新論壇誌『アメリカン・アフェアーズ』が繰り広げる論考を「一番面白い」と位置付けているのは、もっともだ。リラも言うとおり、同誌に寄せられる論考の多くは「階級闘争」の視点を持っている。同誌は新しい保守思想の形成を目指しているが、それが階級闘争史観に基づくのだとすれば、なんとも言えない歴史の皮肉を感じる。ただ、ここでは紙幅の都合で紹介できないが、同誌の思想底流をかたちづくっているのは、戦前の代表的トロツキストで戦後は保守主義者となったジェイムズ・バーナム(1905〜1987)の思想であることを指摘しておきたい(バーナムから『アメリカン・アフェアーズ』に至る経緯は、拙著『破綻するアメリカ』(岩波書店)を参照いただければ幸いだ)。
この点も含めて、本特集でアレクサンダー・スティルの論考に付けられたタイトル「啓蒙の終焉?」は、この論考だけでなく、特集全体を通じて考えるべきテーマであろう。ユーラシア・グループの報告は「米国型の政治モデル」そのものが問われていると論じた。「米国型の政治モデル」が、普遍的な価値としての自由に基づく民主主義(リベラル・デモクラシー)を指すのだとすれば、実はそこには相当の誤解があるのではないか、ということも本特集の各論考が浮かび上がらせる点である。平井康大「島宇宙のアメリカ」が描く特異な宗教性や、山岸敬和「アメリカニズムと医療保険制度」が描く過剰なまでの国家権力忌避には、啓蒙という言葉で示唆される普遍性は感じられない。
20世紀は、たまたま米国が軍事・経済を軸に圧倒的優位を誇った世紀であったが故に、「米国型の政治モデル」が啓蒙の普遍性を体現するかのように多くが幻想した世紀であった。だが、すべての近代国家は歴史的背景を抱えて、それぞれに特殊だ。その中で先陣を切って近代を歩んできた先進各国は、さまざまな技術変化に主導されるグローバル化の進行の中で、これまでになく困難に直面し始めた。困難のかなりの部分は、それぞれの「特殊」に起因する。そうした潮流の中で、米国もまたひとつの、あたりまえに特殊な国に過ぎないことを露呈していくのが21世紀なのであろう。そんなことを考えさせる特集であった。