SUNTORY FOUNDATION WEB ESSAYS

パンキシの「まだら」

画像:筆者提供

五月女 颯(そうとめ はやて)

東京大学大学院人文社会科学研究科 博士課程
2019年度鳥井フェロー

アステイオンVol.92

『アステイオン92』
サントリー文化財団・アステイオン編集委員会 編、CCCメディアハウス 発行
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パンキシの「まだら」

五月女 颯
Hayate Sotome

画像:筆者提供

アステイオン

パンキシの「まだら」

五月女 颯 Hayate Sotome

 多くの日本人にとってジョージア(グルジア)は未知の国であるとはいえ、栃ノ心が活躍し、またワイン発祥の地としても知られるほか、鶏肉をにんにくと牛乳で煮る「シュクメルリ」という料理が(なぜか)ファストフード店のメニューに載るなどし、ジョージアの知名度も徐々に高まり、肯定的なイメージを持つ人も増えてきているように思われる。

 そのイメージ通り、ジョージアは旅行するには良い場所であり(コロナウィルス感染拡大で難しくなってしまったとはいえ)、実際に旅行者も急増し観光産業は今や国の基盤と言っても良い。とはいえ、ただ旅行するだけでは見逃してしまう「まだら」状の世界がその内部にも点在しており、そこに目を向けることで、キレイごとだけではないジョージアの現実もまた知ることができる。『アステイオン』92号の特集「世界を覆う『まだら状の秩序』」では、世界各地域での「まだら」の事例が紹介されているが、このエッセーでは、ジョージア東部に位置するパンキシという地域に存在する、ジョージア内部の「まだら」に触れてみたい。筆者はジョージア近代文学を専門として研究しつつ、ジョージアの現代社会を継続的に観察しており、この「まだら」に潜む問題の根深さを実感している。

 ジョージア東部のカヘティ地方はアラザニ川を中心とする広大な谷状の地形となっており、その地形を生かしたワインの一大生産地として知られる。そのアラザニ川を上流へ遡っていき、谷の幅が1キロほどになったころに、パンキシに行き着く。パンキシにはキスティ(キスト)人とジョージア語で呼ばれるチェチェン系のムスリム住民が住んでおり、いくつかの村を形成している。

 チェチェンはロシア連邦南部に位置し、ジョージアとは山脈を挟んで隣り合っている。チェチェンは1990 – 00年代に2度にわたってロシアと紛争を経験し、特に2004年に発生し、354人の犠牲者を出したベスラン学校占拠事件は記憶に新しい。紛争時にはパンキシには多くの難民が流入、またテロリストの拠点となるなど、治安は大きく損なわれた。現在、治安は一応のところ回復しているが、しかし以下にみていくように、地域は不安定要素を未だ抱えている。

 パンキシの人々にとって今日最も大きな不安定要素は、その若者たちがイスラーム国 (ISIS) へ流入してしまっていることだろう。そうした若者は家族にも行き先を告げず、ある日忽然と姿を消す。遺された家族のインタビューなどを見ると、家族にとっても青天の霹靂で、どういった理由でイスラーム国に渡ったのか、皆目見当もつかないといった感じだ。「グローバルな危機の震源は『まだら』な世界地図のひとつひとつの斑点のように、究極的にはわれわれ一人ひとりの内側に、点在している」と『アステイオン』92号で池内恵氏は述べているが、まさに「まだら」は個人レベルで存在しており、ジョージアでも例外ではないだろう。

 このような状況で、ジョージアの中央政府がパンキシの住民に向ける視線も厳しくなっている。テロリスト掃討作戦は散発的に実施され、2017年12月には19歳の青年テミルハン・マチャリカシヴィリが殺害されている。というのも、前年6月にイスタンブールで起こった空港襲撃事件の首謀者アフメト・チャターエフ(2017年11月に掃討作戦により死亡)と頻回連絡をとっていたとされたからだ。だが、テミルハンの父は、自らの息子が無実であると抗議し、国会議事堂の前での座り込みやハンガーストライキを行った。実際にテミルハンがテロリストであったか、個人の心の内部に潜む「まだら」を知るすべはない。だが、この事件がパンキシの人々に、中央政府への不信感を強化するには十分だった。

 それから1年半後の2019年4月21日、パンキシで計画されていたダム建設への反対運動がエスカレートし、治安部隊との衝突が起こる。建設を強行しようとした業者が治安部隊を伴って機材を搬入し、地域住民の反発を招いたのである。住民らは治安部隊に投石、また工事機材や警察車両に放火し、治安部隊は催涙ガスやゴム弾で応戦、最終的に治安部隊から38人、住民から17人の負傷者を出すに至った。政府がダム建設を(パンキシのみならずジョージア各地での反対運動にかかわらず)推進するのは、エネルギー安全保障という点はもちろんあるだろうが、政府が進めるブロックチェーン、特にマイニングを行うための電力開発が理由である、と反対派の間でまことしやかに囁かれている。さらには、ここにはダム建設の是非を巡って世代間対立といえるものも存在する。穏健派の親世代は賛成する一方、自らの意見を積極的に発信する若者世代には反対派が多いのである。

 このようにパンキシには、まずロシア、チェチェン、ジョージアなどの国や地域の政治的思惑が大きな影響を与え、そしてこの影響に翻弄されつつ、パンキシ内部の世代や個人に様々な思想が生まれ、一言では言い表せない「まだら」を形成している。この「まだら」状の複雑さがコーカサスの難しいところであり、また魅力でもあるのだが……

五月女 颯(そうとめ はやて)

東京大学大学院人文社会科学研究科 博士課程
2019年度鳥井フェロー

アステイオンVol.92

『アステイオン92』
サントリー文化財団・アステイオン編集委員会 編、CCCメディアハウス 発行
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