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武田 徹(たけだ とおる)

評論家

『サントリー学芸賞選評集』受賞者特別寄稿vol.4 アカデミックジャーナリズムへの視点

武田 徹
Toru Takeda

サントリー学芸賞 成果書籍

『サントリー学芸賞選評集』受賞者特別寄稿vol.4 アカデミックジャーナリズムへの視点

武田 徹 Toru Takeda

 受賞させていただいた当時、まず意外に感じた。受賞作の『流行人類学クロニクル』は月刊誌に連載していた90年代の流行現象、社会現象のルポを10年分まとめたものだ。ジャーナリズムの仕事であり、学術作品を対象とするサントリー学芸賞に選ばれることはないだろうと自分で思い込んでいたのだ。
 だから当初は意外に感じたが、すぐに嬉しさがこみ上げてきた。受賞させていただいた喜びに加えて、アカデミズムとジャーナリズムの間の壁を超えてみたいという、かねてからの思いが叶えられた喜びもそこには折り重なっていた。
 『流行人類学クロニクル』の元になる連載を書いていた時、意識していたのは自分のジャーナリズムについて「記者」と「劇作家」と「歴史家」から構成されていると述べていたアメリカのジャーナリスト、デビッド・ハルバースタムの言葉だった。記者についてはいうまでもない。劇作家というのはジャーナリズムの仕事であっても受け手の心を動かすために構成・演出の妙が必要だということだろう。実際、ハルバースタムは小説的な文体を駆使して臨場感を演出する「ニュージャーナリズム」にも挑戦している。
 そして最後が歴史家である。ジャーナリズムは「現在」を主に相手どる。しかし「現在」しか相手にしないジャーナリズムは報告レポートの域を出ない。出来事の意味を描くには、時間軸を意識しつつそれがいかにして発生し、いかなる結果を招いたか、経緯を描かずには済まされない。歴史の文脈に位置づけなければ事実関係の意味は分からない。だからこそジャーナリストは3分の1は歴史家でなければならないとハルバースタムは言う。歴史はアカデミズムの対象であるだけでなく、ジャーナリズムの対象でもあるのだ、と。
 そんなハルバースタムに倣って『流行人類学クロニクル』の元連載を開始した時、編集長との間で10年続けると約束していた。各回はニュース性を意識してその時々の社会の新しい動きをルポとして書く。しかし、それは10年間まとめることで90年代を描く同時代史の仕事の一部となるものにしたい。そんな思いで連載を始め、予定通り10年かけて1冊にまとめた。正直言ってうまくできた自信は全くなかったが、サントリー学芸賞の選考委員の方々はそこに歴史家を志向した微かな気配を感じてくださったのだと思う。
 受賞をきっかけに筆者はアカデミズムとジャーナリズムの総合を自信をもって目指すようになり、『核論』『戦争報道』『NHK問題』などの一連の仕事をこなしてきた。ジャーナリズムはただ報じるだけでなく、学術的な検証や考察に接続できる品質を持つべきだ。アカデミズムとジャーナリズムが排他的に二分されるのではなく、その間にアカデミック・ジャーナリズム、ジャーナリスティック・アカデミズムの豊かな活動があるべきだと筆者は考えている。そんな筆者にとって『光の教会 安藤忠雄の現場』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した平松剛氏が『磯崎新の「都庁」』ではサントリー学芸賞を受賞したことも我が事のように嬉しかった。筆者の当初の思い込みが間違っていたのだ。サントリー学芸賞はアカデミック・ジャーナリズムの活動を支持してくれている。ジャーナリズムの賞は多々あるが、サントリー学芸賞のジャーナリズムに対する姿勢は独特であり、とても貴重であると思っている。

*『サントリー学芸賞選評集』は下記サントリー文化財団Webサイト内にてe-pub形式でご覧いただけます。
https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/list.html

武田 徹(たけだ とおる)

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