SUNTORY FOUNDATION WEB ESSAYS

40年前、80年前、100年後

吉田 大作(よしだ だいさく)

中央公論新社学芸編集部長
「中公選書」編集長

アステイオンVol.91

『アステイオン91』
サントリー文化財団・アステイオン編集委員会 編、CCCメディアハウス 発行
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40年前、80年前、100年後

吉田 大作
Daisaku Yoshida

アステイオン

40年前、80年前、100年後

吉田 大作 Daisaku Yoshida

 2019年10月のコンサート(東京国際フォーラム)で薬師丸ひろ子は「守ってあげたい」を歌った。原曲よりキーを上げて朗々と。12月のクリスマスライブ(モーション・ブルー・ヨコハマ)で斉藤由貴は「a Happy New Year」を歌った。ハスキーに切々と。両方とも松任谷由実の1981年のアルバム『昨晩お会いしましょう』に収録されている。そして、僕は今、このアルバムをダウンロードして繰り返し聞いている。
 ユーミンは「守ってあげたい」で、TBSの「ザ・ベストテン」に一度だけ出た。ニューミュージックの人が出演するのはすごく珍しいことだった。木曜日の夜は塾に通っていたから、テレビの前にラジカセをセットして、母親に何位かわからないけれど、この曲が紹介されたら録音ボタンを押してね、と頼んだ。塾から帰って聞いたカセットテープには、ちゃんと「守ってあげたい」が入っていたけれど、母親の食器を洗う音が大きすぎて歌詞が聞き取れず、そのデリカシーのなさに憤慨した。
 もう40年近くも前のことである。

 倍の80年ならどうだろうか。山田稔の『門司の幼少時代』(ぽかん編集室)は、1930年生まれ、御年90歳を迎える山田が記憶のなかの戦前の港町の日常を描く。波止場に人を見送りに行くときに着せられるよそゆきの服と丸い帽子。日曜日の昼に食べる配達されたばかりの食パン。トーストのうえでじわじわと溶けてゆくバターの小さなかたまり。でも、秋の午後には虚無僧も出現するし、母親の里へ行けばお婆さんはお歯黒をしている。海水浴場の沖には黒く大きな軍艦が通り過ぎる。そんななかで、子供たちは訳もなくけんかしたり仲良くなったりを繰り返す。何もかもが変わっているけれど、何も変わっていないのだ。
 80年がそうなら、100年さかのぼることなど何でもないようだ。では未来はどうだろう。そもそも卒論が『源氏物語』だった人間の考えることだ。100年さかのぼっても変わらないなら、100年経っても何も変わらないと思いたがる。
 でも、本当にそうなのだろうか。多和田葉子の『献灯使』で描かれたディストピアだってある。『献灯使』を読んだ時、僕は戦慄を覚えたのではなかったか。問題は変わらない部分ではなく、何もかも変わってしまうということなのだ。
 どちらに思いたがるか、ということによって、過去も未来も大きく姿を変える。思いたがることは現実を見えなくする。自分が自分につく〈嘘〉だと言えるかもしれない。〈嘘〉は正しい現状認識を妨げる。

 編集者にもいろいろなタイプがあるだろうが、僕の場合、自分の中にテーマはない。その時々で、面白そうな人に会い、そこで聞く話はだいたい面白いから企画につながる。ところがこの年末、別々の時期に依頼し、あるいは提案を受け、または版権を取った企画がたまたま同時に校正ゲラとなって目の前に現れて驚いた。すべて〈嘘〉についてのものだったのだ。国が『古事記』『日本書紀』に記述されたことは史実だと嘘をついた時の社会の反応。国にはもうお金がないのに、頑張れば見返りがありますと地方につく嘘。そして国と国のあいだに壁を立てなければ危険だという古来より人々を魅了してきた嘘――。
 これは正しくは、自分が〈嘘〉に関心を持っているということではなく、世の中の関心が〈嘘〉に向かっていることの何らかの反映と見るべきなのであろう。

 今、僕が最も強く思いたがっている〈嘘〉があるとすれば、これからも出版社というものがあって、編集という仕事があるということだろう。口では不安だとか言っているが、それを払拭するために果たして何ができるのか、まるでわからない。SNSで積極的に発信? 何を。電子書籍? 買ったこともない。たしかに会社の後輩たちに何を伝えるべきか、以前よりも迷うようになった。後輩たちのほうが賢明だろうという気持ちもある。しかし、それも嘘かもしれず、だとしたらかなり無責任だ。
 100年後も人々は物語を書き、それらを読む人々がいるだろう。社会に対して発言し、それをよすがにする人々がいるだろう。積み重ねられた研究が時代の扉をひらき、新しいことを知る喜びがやむことはないだろう。心底そう思う。でも、ただでさえ日本語を読む人の数は減り始めている。取り敢えずは本が作られ、その中のいくつかが後世に選ばれ、あとは淘汰されていく。そんななかで結局は、僕は本を作り続けるしかない。ささやかな信条とともに。そして、環境に少しだけ抗いながら。ただ、100年と言わず、10年20年単位で、人々がそれらを読む形が現在からはまったく想像のできないものになることを覚悟しなければならない。小形道正さんが『アステイオン』91号の特集「可能性としての未来――100年後の日本」の中で、100年後には衣服が購入するモノからレンタルするモノへ「関わり方そのものが変化している」だろうと書いている。対象も形態も違うけれど、そういうことなのだと思う。
 100年後の世界に生きていたいとは思わないが、何かの間違いでその場に居合わせてしまったとしたら。その時、僕は何も変わっていないと思うだろうか。何も変わっていないけれど、何もかも変わってしまったと思うだろうか。

 最後に、たった今、とてもいい文章に出会ってしまったので掲げよう。やっぱり80年前の新聞に載ったものである。

 私は青年のころ、人生の目的は何んぞやといふ問題をいろいろに考へた。そして正直に告白すれば、いまだに何だかよくわからない。しかしそれは、わからぬ方が当然ではないかと思ふ。人類の生命は少くとも何百万年かはつづく。それの行きつく先までを的確に知つてゐるといふのは少しインチキの匂がする。ユーゴーの小説で、ジヤンヴアルジヤンが市街戦に傷ついたマリウスを担いで、パリの下水トンネルに逃げる。トンネルの中は汚水が首まで届き、四方真暗で方角がわからぬ。しかし下水はセーヌ河に出るといふことはわかつてゐる。ジヤンヴアルジヤンは下水の流れる方向に向つて一歩づつ辿つて行く。私はこれが人生だと思ふ。方角はよくわからぬが人類の流れて行く方向に行く。それは時勢に迎合するといふ意味ではない。人間の本心の姿、われわれの良心の指さすところ、人類全体が希望すること、さうした漠然たる傾向の中から、一つのハツキリした方向が決定されると思ふ。(馬場恒吾「私の人生観」『読売新聞』1940年9月29日)

吉田 大作(よしだ だいさく)

中央公論新社学芸編集部長
「中公選書」編集長

アステイオンVol.91

『アステイオン91』
サントリー文化財団・アステイオン編集委員会 編、CCCメディアハウス 発行
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