活動詳細
島根県 隠岐の島町 2008年受賞
隠岐国分寺蓮華会舞保存会
平安時代から伝わる舞を復興させ、地域ぐるみで守り伝える
代表:吉田 重治 氏
2012年9月更新
2008年4月21日春爛漫の隠岐、地域の人たちの努力が実り隠岐国分寺蓮華会舞が2年ぶりに奉納された。2007年2月の火災で国分寺本堂は全焼し、蓮華会舞の道具も全て焼失した。失意の淵から1年あまり、地域の人たちは県や町に働きかける一方で、住民自らが立ち上がり、協力し、見事に復興を果たした。可愛らしい子どもの演じる「眠り仏の舞」、勇壮で猛々しい「竜王の舞」など、地域の人たちに大切に守られてきた7種の舞が、島民のみならず全国から集まった人々の前で披露された。
飛び上がったり、舞台を激しく踏み鳴らしたりする所作のたびに、歓声や合いの手が飛び交い、滑稽な子ども舞では観客から笑い声が上がる。舞の面や道具には牛の尻尾や木の皮など、地元の身近な材料をこだわって使う。立派さよりもむしろ手作りの良さを最大限発揮した気取らないところが魅力である。
平安時代から隠岐島に伝わる、国分寺の蓮華会舞は、古代の宗教儀式とインドや中国の大陸文化の影響を感じさせる宮廷舞楽の流れをくむ貴重な舞である。かつては5年ごとに120種の舞を5日間にわたって舞い明かすという島最大のイベントであった。しかし、明治2年、激しい廃仏毀釈が隠岐におこり、道具や記録は燃やされ、一時歴史の舞台から完全に姿を消していた。正式な記録は残っていなかったが、大正時代に3人の住民が復興に努め、地区の古老から舞や楽を習い、7種の舞を今に伝えている。1974年、住民の手によって保存会が設立され、1977年には国の重要無形民俗文化財に指定された。
池田地区の90世帯256人の中の男性によって継承されており、池田地区で育った男性で蓮華会舞を踊らなかった人はない、というくらい人々の生活に深く根ざしている。世代を超えた共通の体験は、地域の絆を強め、子どもに対する教育的機能をも果たしている。後継者不足で悩む団体が多い中、不定期だった舞の稽古を定期的に行うなど、より多くの子どもたちが参加できる工夫をし、蓮華会舞の将来を担う人材を育てている。また、小学校への出前講座を行うなど、地域外の子どもたちに対する働きかけにも積極的である。
隠岐島の観光客は減少傾向にあるが、蓮華会舞の一部の演目を、奉納日の前後に観光客向けに披露するなど、蓮華会舞の保存というだけでなく、隠岐への観光客の誘致にも協力的であり、島外からの関心も高い。
火災からの復興の大きな力となった保存会の前会長村上秀男氏は、陣頭指揮するだけでなく、自らも苦労して面を彫り、復興の舞の1週間前、舞台が出来上がったのを見届けた後、病のために亡くなった。父親の代から蓮華会舞の復興と継承に尽力した会長を失うという悲しみの中で、副会長だった吉田重治氏(現会長)や会員は復興の奉納を立派に果たし、地域の人だけでなく、島外の人たちにも大きな感動を与えた。
蓮華会舞保存会の素晴しさは、暮らしの中で伝統文化を守ることの意味と、新しい時代に合わせて変革することの大切さを住民の活動を通じて私たちに教えてくれることである。