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サントリー地域文化賞

活動詳細

九州・沖縄

福岡県 福岡市 1993年受賞

はかた夢松原の会
女性を中心とした市民の力で、日本の原風景である美しい松原を復元

代表:川口 道子 氏

1999年11月更新

写真
市民の手で松の苗木を植林

 玄界灘を臨む博多湾岸には、かつて百道松原、生松原など「筑前八松原」に数えられた白砂青松の景勝地が連なっていた。しかし戦後の都市化や埋め立て、マツクイ虫の猛威で次々と姿を消していった。

 1989年の福岡市制100周年を記念した「アジア・太平洋博覧会よかトピア」の会場用地として整備・埋立が進む「シーサイドももち海浜公園」の一角にも、かつての百道松原の地が含まれていた。海岸には人工の砂浜を造成し、植栽を行う予定であったが、博覧会との関連で南太平洋のイメージを彷彿させるような椰子の木を植えようという計画が持ち上がっていた。

 これを耳にした川口道子さんは、歴史も風土も無視したこの植栽計画に疑問を抱いた。往時の松原こそ復活させるべきではないか。川口さんは1987年、主婦を中心とした20名で「はかた夢松原の会」を発足させ、市民の手による松原の実現を呼びかけることにした。

 発足と同時に「費用一切を寄付でまかなう」という会の基本方針を決定。これに沿って、松の苗を購入するために募る寄付の単位は、個人1000円と法人3万円。領収書の代わりに「緑の株券」を発行し、その配当は松が成長して実る松ぼっくりで支払う。株主(募金者のこと)の名前は有田焼の銘板に焼き込んで海浜公園に永久に記念として残す、などの具体的な方法が練られた。

 会の方針が固まったところで、早速市側に訴えかけてみた。「私たち市民の手で松を植えさせてもらえないものでしょうか」と。返ってきたのは何と「大歓迎です。ぜひ植えて下さい」と大変好意的なものだった。市の土地に植栽したり、銘板を設置したりすることは法規や行政手続きの上で困難ではあったが、市当局と同会とが互いに協力しあって目的の達成を目指すこととなった。

 会発足以来、各地のネットワークも年々拡がっていった。船で博多湾を巡りながら松原を見て郷土の歴史と文化を語りあう「船上フォーラム」、博多湾に流れ込む130あまりの2級河川の生態マップを子どもたちと共に作るなど、数々の活動を行っている。また、都市化して水不足に悩む福岡は、筑後川の上流地域との交流を行い、毎年8月1日の水の日に百道の砂浜で「水の感謝祭」を開催。人々は「水に感謝を」と、祈り、舞い、語り合う。今では憩いの場となった2.5キロメートルの青々と茂った松原には、1本(苗・成木)のクロマツが茂り、株主も1万8千余人に上る。

 1992年「夢松原の歌」の歌詞を公募したおりには、全国から760点もの作品が寄せられた。ユニークな市民活動を通した松の植栽運動は、地元のみならず全国からも大きな反響を呼んでいることの現われである。

 99年には福岡県北九州市から佐賀県唐津市までの玄界灘を松原でつなぎ「松原サミット」を実施した。今や松原は百道海浜公園にとどまらず、森から川、海、そして玄界灘沿岸へと拡がりをみせている。

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