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サントリー地域文化賞

活動詳細

関東

群馬県 大泉町 1986年受賞

細谷 清吉氏(個人)
地域住民を巻き込んだ郷土史研究と自費出版活動

1999年11月更新

写真
歌碑の前に佇む細谷氏

 群馬県邑楽郡は、利根川の北岸に位置する沼沢の多い地で、その地名は遠く「続日本紀」にも登場する古代から開けた土地でもあった。反面、上州は江戸文化圏内に位置していた関係で、必ずしも独自の文化が育ちやすい土地柄ではなかった。

 細谷清吉氏はこの地に生まれ、教職を務めるかたわら、万葉集の東歌の地理的考証を進め、次第に郷土の歴史にも強い関心を示すようになっていった。細谷氏は教職を退いた後、郷土史の研究に本格的に没頭し、篠塚家譜や盛照翁文書、穐妻道場の伝記、小林家の専光寺世代由来の文書、龍泉院・茂木家に伝えられた富岡家譜など、在地資料を中心に郷土史にとっては極めて貴重な資料を発見していった。

 研究を続ける一方で、細谷氏は新田庄寺尾城史跡保存会、児島高徳公史跡保存会、新田史研究会などの会長を務め、常に地元の人々や歴史愛好家とともに、失われゆく郷土史や歪められた郷土史を豊富な史料と克明な考証によって一つ一つ明らかにしていった。

 とりわけ、邑楽郡は太平記に記された南北朝時代の武将、児島高徳終焉の地と言われるため、高徳の研究には力を注ぎ、高徳の死後600年に当たる1982年には、児島高徳公史跡保存会が中心となって、種々の記念事業を企画、顕彰供養碑、玉垣、歌碑を建立し、横綱北の湖の土俵入りを行った。

 細谷氏の研究は単なる郷土史にとどまらず、郷土に関係した人物を生き生きと甦らせ、先人の人生の中に、故きを温ねて新しきを知ろうとする氏の人生観を反映させている。その成果は『中世の邑楽町』、『天匂践を空しうする莫れ』、『中世の大泉町』『篠塚伊賀守重広』『義貞太平記』などの自費出版物を通じて発表されている他、地元での講演会も数多い。

 なお、氏は教職の途中において失明という不幸に遭遇したが、氏の研究はご家族や地域の人々のあたたかい協力の下に着実に進められていった。

 故りし世の 目には見えざる史の道
 照らす光は心なりける

と詠む氏の姿勢には、ハンディを感じさせない研究心の強さが現われている。

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