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サントリー地域文化賞 | 地域文化を考える/インタビュー

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「好きやねん」が基本

佐治 敬三氏

Keizo Saji

財団法人サントリー文化財団理事長

[プロフィール]
大正8年大阪生まれ。大阪帝国大学理学部卒業。株式会社寿屋(後のサントリー株式会社)に入社し、昭和36年社長に就任、平成2年より会長。昭和54年にサントリー文化財団を設立し理事長に就任、現在にいたる。

「地域文化ニュース」第13号(1994年4月)掲載

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――この2月1日はサントリー文化財団の創立記念日で、15周年を迎えます。そこで今回は、理事長にご登場頂くことになりました。
 サントリー地域文化賞の受賞者は、これまでで89件に達します。理事長はすべての贈呈式にご出席ですので、受賞者全員にお会いになっているわけですね。15年を振り返って、何か印象深いことがございましたらお聞かせ願えませんか。


  それぞれの土地の味

佐治 そうですね、やはり一番最初の贈呈式のことは、よく覚えています。
 この賞をつくろうとしたとき、こういうことに対して皆さんが関心を持って下さるのか、ふさわしい受賞者が見つかるのか、そんなことを心配しておりました。でも、第1回目から非常に立派な活動をしておられる方々にご受賞頂けましたし、会場の雰囲気もとても良かったので嬉しかったですね。
 それから、亡くなった開高健が、地域文化賞にはぜひ食い物を入れようやないか、と言っておったんです。食べ物は文化の最高のものや、と。それが第1回から、手作りハム、ソーセージのカール・レーモンさんにご受賞頂けたのもよかったと思っています。

――81年にも、的矢で無菌牡蠣養殖をされていた佐藤忠勇さんがご受賞になっていますね。


佐治 的矢には、財団役員の方たちと一緒に寄せて頂いたことがあります。佐藤さん(故人)も、まだお元気な頃でした。的矢の海を見ながら、牡蠣をムシャムシャ食べる。これなんかは、本当に思い出に残ってます(笑い)。
 私は、文化というのは本来そういうものやと思います。土地に深く根ざしたもので、それぞれの土地の味がする。その土地で味わうのが一番いい。画一的な文化には、本当の意味での味わいを感じられませんよ。
 それに、私は受賞者の方々と地元でお会いすることが時々ありますけれど、地元ではその土地の匂いをプンプンさせて、皆さん生き生きしてらっしゃる。やっぱり、贈呈式でこっち(大阪)においでになる時は、ちょっとヨソユキの顔をしてはるんでしょうなぁ(笑い)。

  わしが好きやねん!

――他にはどういうところに行かれたんですか?


佐治 高知県のトンボ王国「トンボと自然を考える会」にも行ったことがあります。トンボでこれだけの活動ができるのかと、びっくりしました。時代のせいでもあるんでしょうなぁ。
 しかし、実際に行って、じかに活動のご様子を拝見すると、驚くことが多いんです。昨年お邪魔した軽井沢のケーブルテレビ「西軽井沢ケーブルテレビ」なんかは、たった二人だけで撮影から司会、放映まで何もかもしてはるんですから、大したもんです。
 それから北海道の優佳良織工芸館。あれはゴッツィねぇ。木内さんの優佳良織と木内さんが建てられた美術館が旭川の文化の中心になっている。あれだけのことを一人でなさる思い入れというか、彼女のカリスマ性のようなものには圧倒されました。
 皆さん、そうなんでしょうね。人間的な魅力というのが非常に大きい。それから、もうひとつ皆さんに共通しているのは、「何故それをするのか?」というときの「わしが(それを)好きやねん」という気持ちでしょうね。私はそれが一番大事だと思います。文化活動すべての基本だと思っています。はやりだとか、ええかっこうしとったんでは長続きせんのです。

――そういう意味では、サントリーの文化活動について、日頃理事長がおっしゃっていることと、どこか通じるところがあるように思うのですが。


佐治 そうかもしれませんな。
 文化には、何か魔力のようなものがあるんじゃないでしょうか。たとえば歌ひとつにしても、それを歌う人同士、聴いている人同士、歌う人と聴いている人の心を結びつける力があります。好きなものが同じ者同士は、地域や年齢、国籍まで越えて気持ちが通い合うようなところがありますね。

――そういえば理事長は贈呈式の後のパーティで、よく歌を披露して下さいますが、あれはいつも事前に練習してらっしゃるのですか?


佐治 いやいや、全くその場でですよ(笑い)。沖縄の歌は好きやから、これ歌えるなとか、中南米音楽ならあの歌を知ってるぞ、とか。
 江差追分も歌いたいんですけど、あれは難しいからあきませんなぁ。でもこういう土地の音楽というのは、もっと広く紹介されるべきだと思いますね。そうでないと、日本の音楽が輸入品ばかりになってしまいますから。受賞者にわらべ歌の採譜や普及に尽力してらっしゃる方がおいでですが、あれも大切なお仕事だと思いますよ。
 しかしこうやってみると、受賞者の活動は本当にバラエティに富んでますね。これを選考するのは大変でしょう?

――ええ。でもお陰様で、本当にお忙しい選考委員の方々が、この賞の選考は楽しみだとおっしゃって、欠かさずご出席下さいますので。


佐治 贈呈式のとき、選考委員のお一人が私に、この賞は本当に差し上げてよかったという気持ちになりますね、とおっしゃったことがありましたけど、私もこういう賞にかかわることができて幸せだと思っています。
 受賞者の方々のご活動には、私自身非常に力づけられますし、少しでもそういう方のお役に立てることが嬉しいですね。それに、日本の地域地域で受賞者にお会いして、いろんな素晴らしいことを知る楽しみもある。日本というのは、狭いようで広いですからね。
 財団も、せっかくこれだけの受賞者の方がいらっしゃるのだから、受賞者の方のネットワークとか、全国的な動きになるような工夫をせないかんな。

  マラソンから駅伝へ

――実は、いずれ「次世代フォーラム」を開催したいと考えているんです。15年もたちますと、長年活動を担ってこられたリーダーたちの下に、次の世代の担い手が育ちつつあります。次世代を育てることは、どの活動にとっても重要な課題ですし、若い方たちもそれぞれの悩みや希望を抱えて頑張っていらっしゃいます。そういう方たちにお集まり頂いて、大いに語り合って頂ければと思っているのですが。


佐治 それはいいことかもしれませんね。
 地域文化のリーダーたちというのは、言うなれば偉大なマラソン・ランナーです。長い道のりを全力で駆け続けてこられた力というのは、大変なものです。でもこういうことは、バトンを次々に渡して走り続ける駅伝にしていかなければ。これは文化活動も経済活動も同じことだと思います。手渡すべきバトンは、金やモノよりも心の方ですから、これがなかなか難しい。だけど是非とも必要なことでしょうね。

――それでは最後に、今後についてのご意見などございましたら。


佐治 私としては、せっかくの地域文化が、もっともっと中央の関心を引くようになってほしいですね。東京だけでなく、大都市に住んでいる人ほどほかの地域の文化に無関心なようです。こんなにいい地域文化賞も、大阪でやってるせいか東京の新聞には1行もでん。大阪発の情報として、全国の人に知ってもらいたいですね。

――1行も出ていないわけではないのですが…(笑い)。でも、事務局の方でも、なんとか頑張ります。
 今日はありがとうございました。

(所属・肩書きはインタヴュー掲載時のもの)

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