冒頭を読む

 

特殊にして普遍的な幻想の超大国

石川敬史

(帝京大学文学部史学科教授)

はじめに

現在生存している日本人で20世紀に生まれたすべての日本人は「アメリカの世紀」を生きてきたが、21世紀周辺に生まれた冷戦を知らない世代の若者たちもまた、20世紀生まれの日本人とは異なった位相でアメリカのスタンダードを内在化させている。両者のアメリカ観は自ずから異なるものであるかもしれないが、しかし両者とも、アメリカの変化を感じていることは共通しており、それが永続的なものであるのか否かを見極めかねているのが現状であろう。それは現在のアメリカ大統領がドナルド・トランプであることとは関係がない。それはせいぜいアメリカの変容の一局面であるに過ぎない。重要なのは、それがアメリカという国家の普遍的価値観の供給能力の枯渇を意味する現象を象徴するものであるのか、それとも一時的な後退局面に過ぎないのかということであろう。

我々を悩ませているのは、アメリカとはいかなる国家なのかについての共通了解が必ずしも存在しないことにある。そこで本稿は、大きな歴史的視野からアメリカの来歴を考察し、「アメリカの世紀」の今後を検討するための材料を提供することを目的としている。

「歴史から学ぶ」という言葉は、近年の歴史学の専門家業界では極めて評判の悪いものになっている。歴史とは常に特定の条件下で多分に偶然に起こる出来事の積み重ねであり、科学としての歴史学の仕事は、厳しい史料批判を通過したエビデンスに基づきこの一つ一つの出来事を解明して論文を(英語で!)積み上げることにあり、そこから何らかの一般法則を導き出そうという試みは、「トゥキディデスの塔」に囚われた者の愚かな行為とされ、レオポルド・フォン・ランケ以降の近代歴史学研究以降批判がなされ、特に近年の若手研究者ほどこれを禁忌のように避ける傾向がある。

しかしその一方で、作家のマーク・トゥエインは、「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」と語ったと伝えられている。国民の平均年齢が先進国としては際立って若く、合法移民だけでも毎年百万人が入国するアメリカは、それゆえに示される韻は、より素朴で明瞭なものなのではないか。本稿が試みるのは、歴史上よく知られた題材をもとにアメリカという国家の韻律を探ることなのである。

アメリカ国民創生の二つの契機

アメリカ国民の形成史には特徴がある。多くの人々が知っているように、今日のアメリカの始まりは、17世紀初頭の絶対王政下のイギリス重商主義政策における北アメリカ東海岸への植民地建設から始まった。正式な植民地の建設には、国王の勅許状が必要であった。正式な勅許状を得た恒久的植民地が北アメリカ東海岸に建設された13植民地である。13植民地の住民は、3000マイルの彼方のイギリス本国の歴史から比較的自由であった。13植民地のイギリス臣民たちは、事実の問題として身分制と国教会体制が存在しない新大陸において約160年にわたる自治をそれぞれに行っていた。13植民地は、それぞれ異なる勅許状と設立経緯によって形成されたため、「アメリカ人」としての連帯感は何一つ有していなかった。彼らはあくまでイギリス国王の臣民という一点において「イギリス人」であったのであり、イギリス国王のみが彼らの紐帯であり、北アメリカ大陸13邦のイギリス臣民たちは、こうした関係性に満足していたのである。

しかし1756年から1763年にかけて展開されたフレンチ・インディアン戦争(ヨーロッパにおけるイギリスとフランスの間で展開された七年戦争がアメリカ大陸で展開されたもの)の勝利が植民地のイギリス臣民とイギリス本国のイギリス人との約160年にわたって形成されたイギリス観の隔たりを可視化することとなった。大西洋両岸のイギリス人社会の対話の詳細は本稿の目的からは外れるので、割愛するが、要するに1688年の名誉革命以降のイギリス国制(British Constitution)に、アメリカ植民地のイギリス臣民の居場所がないことが明らかになったのである。

アメリカ植民地13邦に勅許状を与えた絶対王政はすでにイギリス本国では終焉しており、国王はイギリス議会の壮麗的部門を司る存在となっていた。イギリスは立憲君主制と議会主権、そして責任内閣制の国家の確立に舵を切っていたのである。この体制下においては、植民地13邦のイギリス臣民は、永遠に二級市民であることを運命づけられていた。イギリス本国の歴史によりイギリス人であることを否定された植民地のイギリス臣民たちは、それゆえ自然法という抽象的な概念により自らを再定義しなければならなかった。いわゆる独立宣言(正式名称は、「1776年7月4日、大陸会議における、13のアメリカ連合諸邦の全会一致の宣言」)の最も有名な箇所である第二段落の冒頭部分がそれである。


石川敬史 Takafumi Ishikawa
(帝京大学文学部史学科教授)

1971年生まれ。北海道大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。北海道大学法学部助手、東京理科大学基礎工学部准教授を経て、現職。専門はアメリカ革命史研究。著書に『アメリカ連邦政府の思想的基礎─ジョン・アダムズの中央政府論』(溪水社)など。

 

島宇宙のアメリカ

平井康大

(成城大学社会イノベーション学部教授)

一般的に「アメリカ合衆国」(以下、アメリカと表記)の名称を口にするとき、それがひとつの統一された国家であるということに疑念を持つ人はあまりいないだろう。しかし、その大地を薄く覆っている土を少し吹き払うと、多くのひびや地割れが現れる。そしてその地割れは時に想像以上の深さに達しているのである。

宗教社会学者のロバート・N・ベラーはかつて『心の習慣』の中で、公共善や徳というものを失った人びとはもはや社会を構成する市民たり得ず、経済的利益を追求するのみの経済人になってしまう、と警告を発した。そして、市民宗教と彼が呼ぶ存在が、時に公共善と私欲の間のバランスを取ってきた、と考えた。

市民宗教は常に公共善や徳のために働くわけではない。かつて黒人やアメリカ先住民に対する恥ずべき取り扱いを正当化していたのも市民宗教である。「市民」に誰が含まれるのか、その定義次第では市民宗教は排他的なものにもなり得ることはベラーもよく認識していたことである。そうした負の側面も承知した上で、市民宗教は人びとをひとつの国の市民として統合する力となってきた、ということも彼の主張のひとつである。

今から35年前のアメリカのどこにそうした市民宗教を見いだせるかに挑戦したのが『心の習慣』でのプロジェクトだったが、ベラーが代わりに見つけたのは市民宗教の弱体化の徴、すなわち公共というものに対する意識の希薄化だった。統合する力を失ったら、アメリカは個人の数だけの特殊利益の山になってしまうのではないか。『心の習慣』はベラーの憂慮と今後の方向性への模索によって締めくくられている。

しかしアメリカには市民宗教の枠には入らない、あるいはとどまろうとしない勢力も存在し続けてきた。神学的な用語を使うなら、前千年王国主義を奉じるグループが植民地時代から数多く共同体を建設し、現世からの離脱を試みることで統合の力をすり抜けてきた。宗教的価値観を奉じたグループとはまた別に、ユートピア共同体を実現すべくアメリカ社会からの離脱を試みるグループも存在してきた。本稿では、現代のアメリカ社会においても宗教右派をはじめとするグループがこうした反・統合の方向性を持っていることを説明し、彼等の今後の動向を予測していきたい。

現在アメリカの公式標語として知られているのは「われら神を信ず IN GOD WE TRUST」だが、これが正式に標語として採択された1956年以前は、「多数からなる一つ E pluribus unum」が標語として広く受け入れられていた。この「多数からなる一つ」は1782年以来国章に記されている標語であり、もともと13の州が団結して一つの国家を形成することを示すとされていた。だが時代がくだるに従って、人種のるつぼ、あるいはさらにサラダボウルとしてのアメリカ、すなわち多様な人びとからなる国家を意味すると考えられるようになってきている。

州のレヴェルに限ってみても、アメリカの成り立ちは植民地期から実に多様である。高校の教科書などでは簡潔に「英国系の植民地が独立した」と書いてあるが、同じ英国人でも植民地によって入植者の階層が異なっていたり、出身地方が異なっていたりしたため、言語的にも多様であった。入植の目的も純粋に富の追求であったり、英国の王権を嫌ったりであったり、ここでも統一感はない。これほどばらばらだった各植民地の人びとが「われわれアメリカ人」という意識を共有するようになり、ついには当時世界最強の海軍を有した大英帝国から独立しようとしたメカニズムについては現在も議論が続いている。

州行政のリーダーを「知事」と翻訳しているため、州をなんとなく日本の都道府県になぞらえてしまいがちだが、州が他州に対して、あるいは連邦政府に対してもっている独立性は現代においても都道府県の比ではない。アメリカでは消費者がものやサーヴィスを小売業者から購入するときに支払う「小売売上税」という間接税があるが、この税率は州によって異なるし、まったく課さない州もある。日本でもしばしば話題になる夏時間だが、これも採用するかどうかは州の裁量に委ねられており、現在でもアリゾナ州とハワイ州では夏時間がない。司法制度も州ごとに規定されており、南部を中心に死刑制度を存置する州が残る一方で、廃止する州が増えている。


平井康大
Yasuhiro Hirai
(成城大学社会イノベーション学部教授)

1966年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科 博士後期課程単位取得後満期退学。専門はアメリカ宗教史、宗教社会学。主な著書に『シリーズ・アメリカ研究の越境 個人と国家のあいだ〈家族・団体・運動〉』(共著、ミネルヴァ書房)

 

啓蒙の終焉?

アレクサンダー・スティル

(コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授、ジャーナリスト)

ドナルド・トランプが当選した後の2016年11月8日の夜から翌朝に至るまでのあいだ、さまざまな苦々しい思いが浮かんだが、そのうちの一つは「啓蒙の精神はこれで終わりなのか」というものだった。

ベビーブーマーの最後の世代である私は1957年に生まれ、進歩の観念を固く信じていた時代、新たな10年を経るにつれて生活は豊かになり、繁栄が社会全体に広く共有されようになった合理的で理解可能な時代に育った。知識と科学が徐々に迷信と偏見に取って代わった。教育を受ける人々が増えるにつれて、社会はもっと寛容で包摂的になる、という物語が語られていた。事実、黒人、女性、ヒスパニック、同性愛者を排除した伝統的な障壁は取り払われた。天然痘、小児麻痺、腺ペストといった病気は、20世紀には事実上撲滅されてしまった。これが可能になったのは、われわれが真実を確認でき、事実と虚偽を区別できる合理的で実証的な世界、原因と結果からなる世界に住んでいるからだ。このように進歩の物語は説明してきた。

進歩の物語には、近代化論として知られる民主主義は、富や繁栄と並行して興隆するという公理もあった。実際にこの通りのことが、私自身と、私の両親の生きた時代には起こっているように思えた。20世紀初めには民主主義国は世界の中で非常に少数であり、そういった国ですら女性やある種の集団を排除していたので、今日の基準ではとても民主主義とは言えないであろう。ドイツ、日本、イタリアなどのファシズムや権威主義的体制が敷かれていた国も、第二次世界大戦後には皆民主主義が確立した。1980年代から2000年代初めにかけての民主主義の「第三の波」で、民主主義国の数は倍以上に増えた。1989年のベルリンの壁の崩壊とその後のソ連の解体は、東欧にとどまらない民主化の巨大な波を引き起こした。南アフリカのアパルトヘイト体制も倒れ、かつてアフリカ民族会議を率いたネルソン・マンデラが、復讐や人種的対立ではなく和解の精神に基づいて新生南アフリカ―マンデラを始めとする人々はこれを「虹の国(Rainbow Nation)」と呼んだ―の指導者となった。ブラジル、チリ、アルゼンチンなどの南米の軍事独裁政権は崩壊し、台湾や韓国などのアジアの新興経済(いわゆるアジア四小龍)が1970年代以降経験したように、急速な経済成長を遂げてついには民主体制を確立した。グローバル化によって国際貿易は自由化して成長し、1日1.9ドル以下で生活をする世界の最貧困層は世界銀行によれば、1990年の19億人(世界人口の36%)から2015年の7億3400万人(世界人口の10%)へと半分以下に減少した。

アメリカでは、ケニア人の父親と白人のアメリカ人の母親を持つバラク・オバマが大統領に選ばれ、コスモポリタンな多文化主義的社会が勝利を収めたことを象徴するようにも見えた。警察官が公民権運動のデモ隊に暴力を振るい、マーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されたことを記憶しているアメリカ人にとっては、これはほとんど考えられなかったことであり、オバマの当選は人種差別を過去のものとする世界への移行が約束されていることを示すと思われた。

ドナルド・トランプが共和党の大統領候補になったことは、こういった基本的世界観への挑戦のように見えた。彼は一種の原始的な人種的種族主義を訴え、国連、NATO、WTO、貿易協定などの制度が代表している国際協力の時代を否定し、20世紀初めの特徴だった「血と土地」への帰属を説く粗暴なナショナリズムへの回帰を象徴していた。彼は科学と専門知識を見下し、地球温暖化への警告を「中国がアメリカの製造業の競争力を削ぐために作り出したでまかせ」だと切り捨てた。彼は「出生地論争」、つまりオバマ大統領がアメリカではなくケニア生まれだという誤った主張(アメリカ憲法は大統領がアメリカ生まれでなくてはならないと定めている)を売り込むことで、全米に自分の政治的キャラクターを確立した。また彼は、ワクチンは病気を根絶するよりも自閉症のようなより深刻な問題を生むとする、陰謀論的な反ワクチン運動を支持していたようでもあった。


アレクサンダー・スティル
Alexander Stille
(コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授、ジャーナリスト)

1957年生まれ。イエール大学卒業。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修了。専門は国際関係論、政治。「Correspondent」誌編集長などを経て、現職。主な著書に“Benevolence and Betrayal:Five Italian Jewish Families Under Fascism”(1991), “The Sack of Rome: How a Beautiful European Country with a Fabled History and a Storied Culture Was Taken Over by a Man Named Silvio Berlusconi”(2006)など多数。「ニューヨーク・タイムス」「ボストン・グローブ」「ニューヨーカー」など多くのメディアに寄稿している。

 

アメリカニズムと医療保険制度

山岸敬和

(南山大学国際教養学部教授)

はじめに

新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大する中で、先進国の中でアメリカの反応は例外的であった。多くの国で感染拡大の第一波をある程度抑えることに成功した一方で、アメリカは3月中旬にニューヨーク州で感染爆発が起こって以降各地に飛び火し、3月末には感染者数は世界一となった。死亡者数は、4月にはベトナム戦争、6月には第一次世界大戦のアメリカの戦死者数を上回ったと報じられた。

なぜアメリカはこのような状況に陥ったのか。トランプ政権が専門家から警告が出ていたにも拘わらず初期対応を誤ったことや、経済優先のために焦って早期に制限解除する方向に舵を切ったことなどが批判されている。しかし医療制度の問題として、アメリカの医療保険制度がこのようなパンデミックに有効に対処できなかったということが指摘される。アメリカは未だに皆保険がない例外的な先進国である。2018年の無保険者は人口の8.5%を数える。

20世紀初頭からのアメリカの医療保険政策史は、皆保険導入の試みが失敗し続けた歴史であった。2010年にはオバマケアと呼ばれる改革が成立したが、未だ皆保険には至っていない。皆保険導入が失敗してきた背景には、反対するアメリカ医師会や保険業界団体などの政治的影響力がある。しかしより重要な要因は、改革への動きが強まる度にアメリカの伝統的価値―アメリカニズム―がその障壁となってきたということである。

社会学者のセイモア・リプセットは、ヨーロッパ諸国や日本と異なり、アメリカは「信条(creed)」によって形成され発展してきた国であるとする。それを支える伝統的価値は、個人の自由を尊重し、反エリート、反国家権力の色彩が強いとする。そしてアメリカがその他の国と本質的に異なっている、異なっているべきだという考えをアメリカ例外主義と呼ぶ。その考え方は、しばしば他の国より優れているという考えにつながると同時に、対外政策と国内政策にも大きな影響を及ぼす。

大統領選挙で常に医療政策が重要争点になるのは、医療政策がこのアメリカニズムに深く関係しているからである。個人がどのように生きて、どのように死ぬか、その選択を自分自身で行なう、これが個人の自由の原点であると言えよう。連邦政府が皆保険を導入するということはこの伝統的価値に抵触する。なぜなら皆保険は連邦政府の医療現場や医療経済における権力を増大させ、個人の選択に政府が関与するからである。アメリカは信条で形成された国家であるがゆえに、医療政策が国家のアイデンティティをめぐる議論と直結し激しい議論を巻き起こすのである。

歴史を振り返ると、医療保険制度改革への運動が高まる時には、アメリカ例外主義を刺激する国際的な要因が存在していたことが分かる。1910年代の革新主義時代の改革運動には第一次世界大戦、1930、40年代のニューディール改革には第二次世界大戦、1950年代以降の改革には冷戦が医療保険政策をめぐる議論に影響を及ぼした。そして強大なソ連の存在がなくなった1990年代以降、まもなくテロとの戦いが始まる。このような外的要因の変化の中で、アメリカは自らの価値に改めて向き合う必要性に迫られた。そしてそれが医療保険制度改革に影響を及ぼしてきた。

個人が自由に生きる権利を最大限尊重する価値が、世界中の人々を魅了し、多くの移民をアメリカに向かわせた。しかし皮肉にも、これが公的医療保険の拡大を阻む動きを支えてきた。1970年代から経済成長に陰りが生じ始めると、民間中心の医療保険システムの矛盾が明らかになった。そして、新型コロナウイルス感染症は、アメリカ的医療保険制度の限界を改めて可視化することになった。本論では、まずはアメリカニズムの原点を見ることから始める。そして、医療保健政策史を振り返る中で、アメリカニズムがどのように政策をめぐる議論に影響を及ぼしたのかを論じる。最後に、この歴史的文脈において2020年の大統領選挙が持つ意味についても述べたい。

小さな連邦政府の設立― 国家権力の否定

アメリカの伝統的価値、アメリカニズムの基礎は、建国期に形成された。13の植民地は、それぞれの経緯で設立された。例えば最初のジェイムズタウン植民地は金脈を探すことが主な目的であった一方で、プリマス植民地はピューリタンが自らの信仰の自由を求めて作ったものである。それゆえに植民地間の一体感はなかった。


山岸敬和
Takakazu Yamagishi
(南山大学国際教養学部教授)

1972年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。慶應義塾大学法学研究科政治学専攻修士課程修了。ジョンズ・ホプキンス大学政治学部にて、Ph.D.(Political Science)取得。南山大学外国語学部英米学科教授を経て、現職。専門はアメリカ政治、福祉国家論、医療政策。主な著書に“War and Health Insurance Policy in Japan and the United States: World War II to Postwar Reconstruction”(Johns Hopkins University Press)、『アメリカ医療制度の政治史─ 20世紀の経験とオバマケア』(名古屋大学出版会)などがある。

 

液状化社会

マーク・リラ

(コロンビア大学歴史学部教授)

2016年大統領選挙

過去4年間にわたって、アメリカの政治学者やジャーナリストは2016年の大統領選挙の結果を説明し、そこから未来に向けた教訓を得ようとしてきた。あらゆる好みにフィットする説明がすでにある。ポピュリズム(その定義がどうであれ)の高まり、インターネットによる社会の分極化(ロシアがそれを煽ったという向きもある)、民主党がアイデンティティ政治に支配されたこと、保守系メディアの極右宣伝機関への変質、大規模な移民流入、移民や少数民族への人種差別、などなどが強調されてきた。今となってはこういった説明は、アメリカの市民には皆聞き慣れたもので、どれもとりたてて新鮮ではなく驚くようなものでもない。

しかし例外の一つに、超党派の民主主義基金投票行動研究グループ(Democracy Fund Voters Survey Group)による、特筆すべき研究がある。この報告書はワシントンにあるリベラル派の新アメリカ財団(New American Foundation)に在籍するに在籍するリー・ドルトマン(Lee Drutman)によってまとめられたものである。これは、2017年夏に「2016年における政治的分断とその後-政党間および政党内の緊張」として発表されたが、過去四年間に出された多数の分析の中で、依然として最も知的刺激のある研究である1

この研究が際立つのは、アメリカ政治における基本的な溝を理解しようとしていつも持ち出される、お馴染みのアメリカ政治の二分法に、トランプ現象がうまく当てはまらないことを理解したことである。ポピュリスト対主流派、民主党州対共和党州、「いずこか派」(somewhere)対「どこでも派2 」(anywhere)、ピックアップ・トラック派対プリウス派3。こういった溝は確かにあるが、新たなアメリカの政治文化やトランプに投票する際の複雑な動機を、十分に説明するものではない。この研究グループのアプローチは、2つの大きな問題点のセット、つまり経済的問題と「社会的アイデンティティの問題」の2つの軸を設定して、これに沿ってトランプ支持者とヒラリー・クリントン支持者を比較しようというものである。彼らは経済的不平等、基礎的な保険・年金プログラム、貿易、経済への政府介入、そして経済条件がよくなっているかどうかという点などに基づいて、経済軸の指標を作った。続いて、社会的アイデンティティの指標が設定され、そこで反映されるのは、男女の平等、人種、移民、イスラム教、ジェンダーや同性婚、それに堕胎などについての考えかたである。

この研究の結果で最も印象的で驚くべき点は、アメリカの有権者の間の意見の相違が、経済問題よりも社会的アイデンティティ問題の方ではるかに大きいことである。これはレーガンやブッシュの時代には見られなかったことで、その頃には両方の問題群で意見が非常に分極化していたのである。今日では、アメリカ全体が、伝統的な共和党支持者も含めて、貿易や基本的な社会的安全網、とりわけ保険医療については、左に移動している。保守派とリベラル派では依然として相違はあるが、平均的な有権者は不平等の問題については、今やリベラル派である。国際貿易の規制については、トランプ支持者はクリントンに投票したリベラル派よりも一層左の立場をとっている。もっとも、逆説的だが、上記の諸問題を解決するための政府介入にクリントン支持者は一般に肯定的だが、トランプ支持者は否定的だ。しかし両者の溝がもっとも大きいのは、社会的アイデンティティに関連する問題で、とりわけ移民や「道徳」(性、堕胎、結婚)といった点なのである。

以上のような結果は、この研究報告書の中にある、印象的な散布図を見ると、視覚的によく理解できるだろう(図1)。水平軸は経済問題に対する態度で、左から右に行くにつれて、リベラルから保守であることを示している。垂直軸は、社会的アイデンティティを示していて、下から上に行くにつれて、リベラルから保守的になる。これによって四つの象限ができ、それぞれが政治的立場の可能性を表す。

単純な対称的な世界では、右上の象限は、経済的にも社会的アイデンティティでも保守的な共和党支持者を表す赤色の点が多いはずで、左下の象限は両方の面でリベラルな民主党を表す青色の点が多いはずだ。しかしかつてならともかく、もはやそうではない。その代わり今日の特徴として以下の3点に気付くだろう。

・共和党の支持層が経済問題で左(リベラル)に動いたこと。

・民主党支持層が社会的アイデンティティ問題で、一層左(リベラル)に動いたこと。

・相当部分(30%近く)の有権者が、今では経済的にはリベラルだが社会的アイデンティティについては保守的な考えを持っていること。

この研究グループは最後の有権者の集団を「ポピュリスト」と呼んでいる。


Political Divisions in 2016 and Beyond: Tensions Between and Within the Two Parties, https://www.voterstudygroup.org/publication/political-divisions-in-2016-and-beyond.

2 これはイギリス人のジャーナリスト、デイビッド・グッドハートが使い始めたことばで、自分の生まれ育ったところに根を下ろした人々(somewhere)と、高度な教育を受けて、どこにおいても(anywhere)普遍的に通用する規範に支配されるとされるコスモポリタン的政治文化を受け入れる人々とを区別するためのものである。

3 これは、自分の手と自分の小さなトラックで仕事をする人々と、プリウスのような環境によい車を持つ知的専門職の人々との区別を表している。


マーク・リラ
Mark Lilla
(コロンビア大学歴史学部教授)

1956年生まれ。ミシガン大学を経て、ハーバード大学で博士号取得。専門は政治哲学、政治神学。著書に『シュラクサイの誘惑─現代思想にみる無謀な精神』(日本経済評論社)、『神と国家の政治哲学─政教分離をめぐる戦いの歴史』『難破する精神─世界はなぜ反動化するのか』(ともにNTT出版)、『リベラル再生宣言』(早川書房)などがある。

 

真ん中が抜け落ちた国で

金成隆一

(朝日新聞国際報道部機動特派員)

私は2014年から4年半ほど、ニューヨークを拠点に各地を取材して歩いた。2015年11月以降はトランプ支持者を中心に有権者の取材に力を入れ、トランプ政権の発足後も定点観測を続けている。

2016年の大統領選期間は中西部ラストベルトを主に回った。その後は郊外や深南部のバイブルベルトなどにも取材網を広げた。トランプを支持した白人ナショナリストから、左派政権を願う民主社会主義者まで、幅広い取材者リストができあがった。

様々な声を聞いたが、2人の言葉を紹介したい。
「私は(たばこも酒も入る)労働者階級のパーティーを楽しめる最後の左派かもしれない」(2018年8月17日取材)。ジャーナリスト、バーバラ・エーレンライクの言葉だ。モンタナ州の炭鉱一家の出身。代表作に低賃金労働者の現実を自らウェイトレスや清掃員として働きながら記録した『ニッケル・アンド・ダイムド』(曽田和子訳、東洋経済新報社、2006年)がある。その言葉は、左派にエリート主義が強まり、左派であるのに労働者階級と会話すらできなくなっているとの文脈で出た。

2人目は、ペンシルベニア州の山奥のバーで居合わせた青年トロイの言葉。普段はニューヨークの学生だが、帰省中だった。「減税を支持するか? と聞かれれば、答えはイエスだ。すると『おまえは共和党だ』と言われる。でも同時にゲイの権利とか、全ての人種が公平に生きられる社会の実現とか、社会正義のためにも闘いたい。すると今度は『おまえは民主党だ』と言われる。(略)2つの『心の狭い』人々に挟まれて、ちくしょう! という気分だよ」(2018年12月26日取材)

アメリカ社会は「真ん中」が抜け落ちてしまったようだ。本稿では、この「真ん中」という言葉に3つの意味を込めたい。1つ目は、個人と国家の間にあり、異質な他者と出会える場としての「中間団体(集団)」という意味。具体的には、ラストベルトのトランプ支持層にとっての教会や職場、労働組合、メディアの機能などを考え、《他者の不在》を指摘する。

2つ目は誰もがアクセスできる「パブリック」という意味。公共交通や公教育システムに十分な資金が回っていない。そんな《パブリックの不在(軽視)》を指摘する。

3つ目は、異なる意見があっても、最後はそれぞれが妥協し、「真ん中の意見」を探るという意味。今のアメリカでは、1990年ごろから言われる「文化戦争」が激化し、妥協はもはや不可能の域に達しているように見える。そんな《妥協の不在》を指摘したい。(*「抜け落ちた真ん中」には「縮むミドルクラス」もあるが、すでに多く語られてきたので本稿では触れない)

他者の不在

私が継続取材しているトランプ支持者には、労働者階級の白人が多い。すでに引退している人も少なくない。気になってきたのは、彼らが異なる意見に接する機会が少ないことだ。外でビールやコーヒーを楽しむときも、似たような世代、職業の白人が集まる。自宅に戻っても、トランプに好意的なテレビ番組ばかり見ている。車の運転時は、過激な主張を流す、さらに偏ったトークラジオ番組を聴いている。

写真1:ペンシルベニア州のマクドナルドで居合わせた建設労働者ら。「トランプ支持者は?」と尋ねると、一斉に笑って「全員だよ」(2017年1月)

不思議なことに、同行した飲み屋でもトランプ支持者が8〜9割だ。選挙結果によれば、民主党支持層も4割超いるはずなのに、である。出張中の私は、トランプ支持者の「バブル(泡)」の中にいるのだ。

彼らの暮らしは、かつてはどうだったのだろう、と考えてみる。日中は製鉄所や自動車工場で働き、労働組合の会合に参加し、週末は教会に通っていた。選挙前になると、政党支部にも顔を出した。これらの場所では、自分と異なる世代、職業、政治への考え方を持つ人々と出会う機会があったはずだ。

職場、組合、教会、政党、地域活動。こうした集まりは、個人と国家の間にある「中間団体」と呼ばれている。伝統や慣習から解放される中で、個人がバラバラに孤立せずに社会を形成する上で、中間集団の機能は注目されてきた。1831年に渡米観察したフランスの思想家トクヴィルが「感嘆」したのも、アメリカ人が様々な目的で、大なり小なり、自発的に団体を形成することだった。地位が平等化される民主制で、孤立しそうな個人をつなぐ役割に着目したのだ。(トクヴィル『アメリカの民主政治(下)』186―208頁、井伊玄太郎訳、講談社、1987年)

「個人と国家の間にあるアソシエーションこそが国家権力の肥大化を抑止し、個人の自由を守る」「私的領域と公的領域、あるいは個人と共同体。そういう相反する方向性が緊張関係をはらみながら、何故かアメリカ人は両立させてきた。実はそこに中間集団の存在があった」(佐藤慶幸、「ボランタリー・セクターと社会システムの変革」、『公共哲学7 中間集団が開く公共性』所収、東京大学出版会、2002年)との指摘も参考になる。

本稿では、こうした中間団体について、異質な他者と遭遇し、自らの考え方を修正する機会になる場という役割を強調したい。今のアメリカでは、このような「他者との遭遇」の欠如が重要な意味を持つのではないかと感じるからだ。トランプ支持の白人高齢者を取材していて感じるのは「他者の不在」である。(*「他者の不在」は、リベラル側にも起きていると考えているが、私が取材できているのがトランプ支持者なので、こちらを取り上げる)


金成隆一
Ryuichi Kanari
(朝日新聞国際報道部機動特派員)

1976年生まれ。慶應義塾大学法学部卒、2000年朝日新聞社入社。大阪社会部、ハーバード大学日米関係プログラム研究員、ニューヨーク特派員、東京経済部を経て現職。第21回坂田記念ジャーナリズム賞、2018年度ボーン上田記念賞を受賞。著書に『ルポ トランプ王国』『ルポ トランプ王国 2』(いずれも岩波新書、第36回大平正芳記念賞特別賞)など

 

赦しと忘却

大屋雄裕

(慶應義塾大学法学部教授)

忘却とは忘れ去ることなり
忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ
(「君の名は」)

BLM運動から万人恐怖へ

2020年5月、ミネソタ州のミネアポリスで黒人男性が警察官による制圧の結果として死に至った事件(ジョージ・フロイド事件)を契機として、黒人に対する警察力の不当な行使に対して抗議するBLM運動(Black Lives Matter; 黒人の命が大切だ1)が再燃していることは、よく知られているだろう。このスローガン自体は、2012年2月に起きたトレイボン・マーティン事件─17歳の黒人高校生マーティンを射殺した自警団員が刑事裁判で無罪となった事案─を受けて生まれたものとされているが、それ以降も次々発生した類似の事案により社会的な広がりを見せていた。そしてフロイド事件の結果として、全米で400以上の抗議活動が行なわれ、その幾分かは暴動へと発展し、シアトルでは都市中心部が占拠され一時的ではあれ自治的な体制下に置かれるまでの状況が生じた。しかし社会調査によれば人種を問わずアメリカ市民の多数はBLM運動を支持しているという。警察官に首元を踏みつけられ、「息ができない」と訴えながら息絶えたフロイドの死の光景がそれだけ衝撃的なものだったということかもしれない。

しかしその一方で、我々からするとやや理解しがたいとか、行きすぎだと思われる事案も生じている。すでに2016年の段階から、「すべての命は大切だ」(All Lives Matter)という表現はBLMに敵対的であり人種差別にあたると批判されるようになっており、民主党支持者として知られる女優ジェニファー・ロペス(彼女自身がプエルトリコ出身の両親のあいだに生まれたラティーノである)でさえ、この表現をハッシュタグとして付したツイートの削除と撤回に追い込まれている。2020年7月には、「すべての命は大切だ」だけでなく警察官(しばしば青い制服を着ている)の生命保護を訴える「青い命も大切だ」(Blue Lives Matter)や、やはりマイノリティグループと目されている「アイルランド系の命は大切だ」(Irish Lives Matter)といったスローガンを付した商品の販売を取り止めることを、アメリカ最大の(そして世界最大の)スーパーマーケット・チェーンであるウォルマートが表明するに至っている。

銅像・記念像の破壊も相次いだ。白人によるアメリカ大陸侵略の尖兵であり人種差別を持ち込んだといった理由でコロンブス、あるいは南北戦争で奴隷制を維持しようとした南軍の指揮官であったロバート・E・リーが標的となったことには一定の正当性があるだろう。しかし当時は合法的・一般的だった奴隷所有を理由としてアメリカ独立の英雄であるトマス・ジェファーソン(第3代アメリカ大統領)や北軍側の指揮官ユリシーズ・グラント、さらには人種差別的なエピソードがあるという理由でマハトマ・ガンジー像が破壊されるとなると理解しがたいものがある。アメリカ社会において支配的地位にある白人に対する抵抗としてはBLM運動を理解できるとしても、同様にマイノリティであるアジア系からの違和感を表明し、新型コロナウィルス流行の際に黒人たちから示された敵意を指摘した韓国系モデル、ニッキー・パクの問題提起にも共感するところがある(もちろんこの発言も炎上した)。

6月初頭、ニューヨーク・タイムズ(NYT)紙がトム・コットン上院議員(共和党)の主張─BLM運動が暴力的な争乱へと発展した場合には連邦軍を導入して鎮圧すべきだという内容─を論説欄に掲載したことも強い批判の対象となった。反対の立場とともに、いわば賛否両論の形を取っていたにもかかわらず、結果的に論説欄の編集トップを務めていたジェームズ・ベネットが辞任に追い込まれることになった(ただし彼自身、掲載前に同議員の原稿を読んでいなかったことは認めている)。

この事件の直接の影響かはともかく、同月中旬には同紙の論説欄の記者であったバリ・ワイスが同僚たちからの批判や攻撃といった「敵対的な労働環境」を理由として辞任している。自らのサイトに公表した公開書簡においてワイスは、同紙の姿勢が「関心を抱いている市民に世界の物事について知らせ彼ら自身の結論を引き出すことを可能にするよりも、ごく狭い範囲の読者を満足させる」ことを重視していると主張している。彼女によればそれは、「イデオロギー上の多様性を欠く」「非リベラルな環境」なのだ。

保守派のシンクタンクであるケイトー研究所による調査ではあるが、アメリカ市民の62%が「他人に攻撃的だと思われるかもしれないので信念を口にしにくい政治的雰囲気がある」ことを肯定しているという。共和党支持層の方がこの見解に肯定的だが(77%)、支持なし層(59%)でも民主党支持層(52%)でも過半数が同様の空気を感じているとは言えそうだ。「自由に政治的見解を述べることができる」と自信を持って主張しているのは「強度のリベラル」だけだとも、同調査は指摘している。3年前の調査と比較すると、もともと「信念を口にしにくい」と強く感じていた「強度の保守」を除き、「保守」「中間」「リベラル」すべてのセクションが7%、強度のリベラルは12%も肯定方向へシフトしている。人種で分けても男女のあいだでも、所得階層を問わず宗教心の有無にも無関係に、人々は自己検閲へのプレッシャーを感じるようになっているというのだ。2

室町時代中期、守護・公家から庶民に至るまで苛烈な処断を加えた6代将軍足利義教の治世について、伏見宮貞成さだふさ親王が日記のなかで「薄氷を踏むの時節」と評し、次のように記したことが想起される─「万人恐怖、言ふなかれ言ふ莫れ」。


1この訳語について議論があることは踏まえておこう。matterには問題・論点であり軽んじられるべきではないという意義もあるし、命が・命は・命ものどれが適切なのかも、元の英語表現だけから決められるわけではない。本稿ではそのような問題があることを踏まえつつ、後述するようにAll Lives Matter(すべての命が大切だ)という表現とBLM運動が対立的にとらえられていることから、「黒人の命が」という排除的な訳し方を採用した。以下では「BLM」という表記を基本的に用いる

2 Emily Ekins, "New Poll: 62% Say the Political Climate Prevents Them from Sharing Political Views", Cato Institute, July 22, 2020, https://www.cato.org/blog/poll-62-americans-say-they-have-political-views-theyre-afraid-share


大屋雄裕
Takehiro Ohya
(慶應義塾大学法学部教授)

1974年生まれ。東京大学法学部卒。同大学院法学政治学研究科助手、名古屋大学大学院法学研究科助教授などを経て現職。専門は法哲学。主な著書に『裁判の原点─社会を動かす法学入門』(河出書房新社)、『法哲学と法哲学の対話』(共著、有斐閣)、『自由か、さもなくば幸福か?』(筑摩書房)などがある。

 

「アメリカの世紀」と人種問題の蹉跌

清水さゆり

(ライス大学歴史学部教授)

はじめに

1941年2月、タイム社の共同創業者でアメリカ言論界に大きな影響力を持つジャーナリストであったヘンリー・ルースは、自社が発行する写真報道雑誌「ライフ」に『アメリカの世紀』と題する論考を掲載した。その文中においてルースは、20世紀は「アメリカの世紀」であると唱えるとともに、当時アメリカ外交を拘束していた孤立主義の呪縛から自らを解放し、ヨーロッパを舞台に繰り広げられているファシズムとの戦いに、自由と民主主義の守護者として加わることをアメリカ国民に向けてよびかけたのだった。

ルースの宣明を待つまでもなく、20世紀が「アメリカの世紀」と称されるのに値することは、アメリカ史の軌跡からも既に明らかであったと言える。1898年に米西戦争に勝利したアメリカ合衆国は、新世紀に入るまでには海外植民地を領有する多民族帝国へと変容を遂げ、19世紀の世界秩序を規定した大英帝国にも匹敵し得る大国として、新世紀の国際政治の舞台に躍り出ていたからである。第一次世界大戦の戦勝国として自ら主唱した国際連盟には参加せず、大恐慌という未曾有の経済的混乱に長く疲弊したものの、20世紀前半に戦われた2つの世界大戦での勝利を経てアメリカは、覇権的超大国としての地位を不動のものとしていった。

第二次世界大戦の終結とともに始まった冷戦期には、対峙する超大国であるソ連と共産主義圏のみならず、西側自由主義世界の同盟諸国からも多様な挑戦を受け、同盟関係の調整に追われることになった。20世紀後半に脱植民地主義のうねりがたかまると、アメリカは国際社会の構造的な変革を希求する第三世界・経済発展途上国からの圧力にも対応を迫られ続けた。しかしそのような波乱と挑戦に満ちた歴史過程においてでさえ、20世紀世界がアメリカの圧倒的な影響力によって形作られていたという評価に変更を迫るものではない。そしてその影響力とは、単に軍事・政治経済領域や科学技術におけるアメリカの圧倒的な優位だけでなく、アメリカが発する社会文化・理念上の求心力に世界中の多くの人々が惹きつけられていたことによって初めて実態を持つ力となったのである。このいわゆるソフト・パワーこそが、「アメリカの世紀」を長期にわたり下支えし続けた礎だったと言えるのではないだろうか。

しかしそのソフト・パワー大国・アメリカは、「原罪」ともいうべき、ある重い負荷を背負いながら「アメリカの世紀」を迎え、「アメリカの世紀」を経て現在に至るまで、その「原罪」を超克することに苦悶を続ける国家であることも忘れてはならない。大英帝国の北米植民地であった時代から、アメリカは黒人奴隷制度を内包する社会経済体制を擁していた。アメリカ合衆国として建国し北米大陸に版図を拡大する過程で、北米先住民の収奪的支配と空間的排斥、米墨戦争後の南西部の非白人住民の強制的包摂、19世紀末から急増した非白人移民のアメリカ社会への階層的統合、旧移民法下での人種による帰化可能・不可能の線引きなど、人種を軸とするさまざまな抑圧・排斥・差別の構造、そしてそれに具現される建国理念との乖離をさらし出してきた。第一次世界大戦終結後、植民地支配を否定する民族自決の原則を唱えたウィルソン主義においてでさえ、非白人民族集団を下位に位置づける白人優越主義思想の欺瞞と限界が見え隠れしていた。自国内に厳然と存在し続ける人種をめぐる差別と抑圧にもかかわらずアメリカは、国際場裡においては民主主義の旗手として自己を位置づけ、自由と平等、物質的豊かさに基づく「アメリカ的生活様式」を世界に向けて布教・伝播することに努めながら20世紀の国際関係を主導して行ったのである。この矛盾と欺瞞も紛れもなく、「アメリカの世紀」の一側面なのである。

本稿では、アメリカの「原罪」―アメリカ民主主義の崇高な理念と人種差別の醜悪な現実との齟齬―が「アメリカの世紀」を通じて如何にソフト・パワー大国アメリカ自身よって理解され、国内外に向けて時に正当化されながら集合的に記憶化されてきたのかを、第二次世界大戦後も人種を軸とする差別構造が、公共政策として長く温存され続けた地域―アメリカ南部―に光を当てながら考えてみたい。具体的には、アメリカ南部の各地で近年多発している、南北戦争の「英雄」将兵の銅像や南北戦争中に連邦政府に反旗を翻した南部連合(軍)を祀る記念碑の建設・撤去をめぐる草の根レベルの衝突と紛争に焦点を絞り、論考を進めたい。

アメリカ南部は、日本では東西両海岸沿岸部に比べて注目されることの少ない地域である。日本人にとっては馴染みの薄いこの地域―筆者にとっては生活の拠点であるが―において「アメリカの世紀」中も連綿と続いた人種問題とアメリカ民主主義の理想のせめぎ合いの轍を追う意義は、決して少なくないと思われる。何故なら、それによって「アメリカの世紀」のあんきよ、アメリカが世界に向けて放つソフト・パワーを損減させる人種問題という「原罪」の持つ今日的な意味が、より鮮明な形で描出されると考えられるからである。そしてそれは、南軍旗や南部連合関係の歴史記念碑・銅像を声高に擁護し、それらの撤去を求める人々を非愛国的かつ危険な過激分子として糾弾するトランプ大統領の現下の言説の、アメリカ史の軌跡の中での位相をも明らかにするであろう。21世紀が「新しいアメリカの世紀」となることを目指すのであれば、アメリカ社会が如何に自らの「原罪」と向き合っていくべきかという大きな問いにも、そこから1つの答えが見えてくるのではないだろうか。


清水さゆり
Sayuri Guthrie-Shimizu
(ライス大学歴史学部教授)

コーネル大学大学院歴史学部にて修士号および博士号取得。専門はアメリカ政治外交史、環太平洋国際関係史。東洋英和女学院大学国際社会学部専任講師、ミシガン州立大学歴史学部助教授などを経て、現職。主な著書に『日米関係キーワード』(共著、有斐閣)、“Transpacific Field of Dreams: How Baseball Linked the United States and Japan in Peace and War ”(University of North Carolina Press, 2012)などがある。

 

コロナをめぐる科学と政治

平川秀幸

(大阪大学COデザインセンター教授)

新型コロナウイルス感染症が世界的に猛威をふるい、人びとの健康や生活、経済に深刻な打撃を与えるようになって既に半年。この間、日本では新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(以下、専門家会議)に注目が集まり、とくに政府との関係について度々問題点が指摘されてきた。とくに重要なのは、専門家会議が行う科学的助言と政府が行う政策決定との間の役割や責任の区別があいまいになっている問題である。専門家会議の構成員らが6月24日に記者会見を開き、公表した提言書「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」でも、今後の課題として「科学と政治の役割分担の明確化」が求められている。しかし、同日に、会議の構成員には寝耳に水のかたちで同会議が廃止され、新型インフルエンザ等対策有識者会議(以下、有識者会議)の下に新型コロナウイルス感染症対策分科会(以下、分科会)が設置されて以降も、状況はそれほど大きく変わっていない。むしろより難しくなったともいえる。いったい何がどう問題なのか、政府と専門家との関係は本来どうあるべきなのか。事態は進行中で、本稿が出版される時点でどうなっているかは予想がつかないが、現時点での「中間評価」として、この半年間の専門家会議ならびに分科会と政府の関係において現れてきた科学と政治の問題や課題について論じておきたい。

科学と政治─過去を振り返る

はじめに歴史の話をしよう。

今から15年前、2005年5月31日、内閣府食品安全委員会プリオン専門調査会の第25回会合では、当時輸入禁止だった米国産牛肉のBSE(牛海綿状脳症)リスク評価を始めるにあたって、通常とは趣の異なる議論が交わされていた。調査会の本務は科学的な見地からリスク評価を行うことだが、この日は、リスク評価(科学)とリスク管理(政策決定)の「責任の区別」に関するメタ的な議論が行われていたのだった。

リスク評価、リスク管理、リスクコミュニケーションの三要素からなる「リスク分析(risk analysis)」の枠組みでは、リスク評価とリスク管理は、効果的に相互作用しつつも機能的に分離されていることが求められている1。リスク評価は、専門の科学者たちによって行われるものであり、食品安全の分野であれば、食品中に含まれるハザードを摂取することによって、どの位の確率でどの程度の健康への悪影響が起きるかを科学的に評価する。リスクの低減措置(リスク管理措置)の方法について、複数の選択肢(オプション)をそれらの効果の推定とともに提案したり、措置を講じる担当行政機関(リスク管理機関)が提案する措置の有効性を評価したりすることもリスク評価の役割である。これに対しリスク管理は、リスク評価の結果を踏まえるとともに、措置の費用対効果、経済的影響、人権など倫理的問題、人々のリスク認知に及ぼす影響や反応などを総合的に判断し、具体的な措置を決定する。決定の責任と、総合判断としての根拠を市民に説明する責任は、政府が負う。また総合判断であるため、場合によっては、政府は専門家の助言内容に反する決定を下すこともある。その場合にも政府は、なぜ決定が助言に反しているかを丁寧に説明する責任がある。

リスク分析において、このようにリスク評価とリスク管理の分離が求められるのは、リスク管理で考慮される関係者の利害や価値判断によって、リスク評価の科学的判断が歪められることを防ぐためである。日本では、2001年9月以降、国内でBSE感染が多発した際に、これを予防することができなかった既存の食品安全行政において、科学と政策決定の関係が不透明で、行政が専門家の意見を適切に反映しないなどの問題点が指摘された。これを受けて、2003年7月1日に設置されたのが、リスク評価機関としての食品安全委員会であり、評価と管理の機能的分離を制度的に担保するために、リスク管理機関である農林水産省と厚生労働省ではなく、内閣府に設置された。

プリオン専門調査会の議論の要点は、このようなリスク評価とリスク管理の機能的分離に関するもので、リスク評価者(科学者)とリスク管理者(政策決定者)の役割と責任を区別し、とくに決定や説明の責任は後者(所管省庁の大臣等や最終的には内閣総理大臣)にあることを確認することだった2。食品安全委員会にリスク評価を求める諮問を通じて管理側(農林水産省・厚生労働省)は、「20ヶ月齢以下で特定危険部位を除去した牛肉のみ検査なしで輸入」という輸入再開条件を輸出者が遵守することを前提にしてリスク評価を行うように求めていたが、この前提の導入は明らかに科学外的な考慮に基づくものであった。これに関する責任(条件遵守の確認を行う責任や国民への説明責任)は管理側にあることを明確化し、評価側に転嫁することがないようにすることを科学者たちは求めたのである。


リスク分析におけるリスク評価とリスク管理の相互作用と機能的分離という原則が最初に明確に打ち出されたのは、全米研究評議会(NRC)1983年の報告書『連邦政府におけるリスク評価』である。National Research Council. Risk Assessment in the Federal Government: Managing the Process, National Academy Press, 1983.

2 食品安全委員会「食品安全委員会プリオン専門調査会 第25回会合議事録」、2005年5月31日 https://www.fsc.go.jp/fsciis/meetingMaterial/show/kai20050531pr1 (最終確認:2020年8月28日)。


平川秀幸
Hideyuki Hirakawa
(大阪大学COデザインセンター教授)

1964年生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程博士候補資格取得後退学。博士(学術)。専門は、科学技術社会論(科学技術ガバナンス論、市民参加論)。政策科学研究所客員研究員、京都女子大学現代社会学部助教授などを経て現職。著書に『科学は誰のものか』(日本放送出版協会)、『ポスト3・11の科学と政治』(共著、ナカニシヤ出版)など。

 

国際海峡に関する不都合な真実
― 中国版「航行の自由作戦」と日本のジレンマ

真山全

(大阪大学大学院国際公共政策研究科教授)

中国の外洋海軍建設と海洋法解釈

中国は、急速な外洋海軍建設を行っている。これに伴い、外洋展開時の法的障害を除去しようとして軍艦の航行、及び航空機の上空飛行に関する海洋法規則の解釈も大海軍国米国のそれに近づきつつある。特に注目されるのは、米国と同じ海洋法解釈に基づき、無害通航(innocent passage)よりも自由な通過通航(transit passage)として航行・上空飛行ができる国際海峡(international strait)の範囲を広く捉えようとし始めていることである。

中国の解釈が米国のそれに接近するのは、米国が日本の「同盟国」であるから、日本には好ましいことのように思える。ところが、実はそれによって日本にとり触れたくない問題が表面化することになる。即ち、日本領海に国際海峡が存在するかどうかという問題である。中国海軍は、太平洋展開のため、国際海峡の範囲を米国のように広く解し、特に南西諸島沿いの海峡には国際海峡があるとして、そこでの通過通航権行使を主張してくるであろう。かくして国際海峡存在問題が顕在化する。

中国海軍が日本領海覆域海峡において国際海峡に適用される通過通航権を援用しないと説明できない航行・上空飛行を行ったことはまだない。しかし、いつでもそれを実施できるというシグナルは何度も発している。

無害通航権と通過通航権

領海を外国の軍艦その他の艦船が通過するのは、無害通航の範囲においてでなくてはならない。沿岸国の平和・秩序・安全を害しない限りで外国艦船は他国の領海を通航でき、これを無害通航という。無害通航制度の下では航空機の上空飛行は許されず、潜水艦は無害であることに加えて浮上することが求められる。しかし、1982年に採択された海洋法条約(「海洋法に関する国際連合条約」、1994年発効)は、公海(又は排他的経済水域〔EEZ〕)と公海(又はEEZ)を結び、「国際航行に使用されている」海峡には、無害通航より自由な通過通航の制度が適用される旨定めた。その通過通航とは、継続的で迅速な通過であればよく、沿岸国に対し無害か否かは問われない。また、航空機の上空通過も明文で認められ、潜水艦潜没航行もできると解される。

通過通航権は、海洋法条約を作成した第三次国連海洋法会議(1973〜1982年)で二大海軍国米ソが中心となって条文化したもので、海軍の世界的展開に不可欠である。同会議で領海幅員は12海里迄なら許容されることになったが、そうなれば世界の主要海峡が領海内に取り込まれ、無害通航しかできなくなり、特に潜水艦と軍用機の展開が阻害される。このため、領海12海里と抱き合わせで通過通航権を規定するという妥協が成立したのである。

しかし、国際海峡の沿岸国にとっては、無害通航では認められない形態の通過を他国の軍艦や軍用機に認めねばならない。潜水艦は通告無しに潜って通り、軍用機も領海基線である低潮線(干潮時の波打際)直上を航過できることになる。このため、どの海峡が国際海峡とされるのかが問題となる。つまり、海洋法条約がいう「公海(EEZ)と公海(EEZ)を結ぶ」との地理的基準と、「国際航行に使用されている」という使用基準の2つの基準をともに満たす国際海峡はどれかが争われてきたのである。

国際海峡というとそれが国の領海外にあるように感じるが、それは原則として領海で覆われた海峡である。領海であればこそ、沿岸国の領域主権と外国艦船の航行利益の調整の必要が生じ、それが無害通航権や通過通航権というかたちで法的議論になってきた。公海やEEZであれば、領域主権と航行利益の調整問題は発生しようがない。そこでは、航行・上空飛行の自由が認められているからである。自国の領土に挟まれた海峡でも、そこに領海外の回廊があれば、法的には日本とハワイ諸島の間の太平洋と変わらず、わざわざ国際海峡という必要はない。


真山全
Akira Mayama
(大阪大学大学院国際公共政策研究科教授)

1957年生まれ。京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。甲南大学法学部助教授、防衛大学校国際関係学科教授を経て現職。専門は国際法。主著に『武力紛争の国際法』(共編、東信堂)、「侵略犯罪に関する国際刑事裁判所規程カンパラ改正─平和及び安全の維持制度の不完全性とselective justice」(『国際法外交雑誌』第114巻2号)など。



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