巻頭言

 
ASTEION vol.085 Current Issue vol.086 特集 権力としての民意

 

近代民主主義の歴史は、社会を構成する多数派の意思、すなわち民意をいかに政治に反映させるかという試みと並んで、いかにそれを封じ込めるかという試みの連続かもしれない。

古代ギリシャの都市国家アテネは、民主主義の下で隆盛を極めたが、民意に従った政策の末に衰退し、やがて崩壊した。このことが古典古代の歴史書に記されて以降、民主主義は長らく望ましからざる政治体制だと考えられてきた。

他方で、近代啓蒙思想は個々人が生まれながらにして持つ権利や社会構成員の平等という概念を確立していった。人々が平等なのであれば、それはやがて政治参加と民意に基づいた政治への要求につながることも、当然であったといえよう。その要求は、国民国家形成や二度にわたる世界大戦での総力戦の経験に後押しされて、20世紀には広く受け入れられた。

かくして、民意に基づく政治は、その危うさが認識されながら、高い正統性を得るに至った。政治権力の源泉を民意に求めて正統性を確保すること、しかし危険な民意が政治のあり方に致命的な悪影響を与えないようにすること。これら二つの矛盾した要請は、代議制民主主義の下で、有権者(マス)により公選された政治家(エリート)が相互に競争や牽制の関係を築きつつ、一定の裁量を与えられて自律的に中長期的視点からの政策決定を行うことにより、両立が図られてきたのである。共産主義や権威主義の下においてすら、エリートはマスを完全に無視できるわけではないという意味で、両立が存在していた。

だが今日、その両立は困難に直面している。政治家や官僚といったエリートは信頼を失い、裁量範囲を狭められている。ソーシャルネットワーキングサーヴィス(SNS)をはじめとするインターネットの急激な発達は、エリートの裁量行使を監視しつつ下支えしていたマスメディアへの信頼を揺るがせている。経済のグローバル化は、それまで代議制民主主義の下での繁栄を謳歌してきた先進国の人々に、かつてない危機感を抱かせている。

エリートが信頼と自律性を失うとき、民意はようやく権力者としての貌を顕わにする。各国においてそれがどのような背景と経緯から生じたのか、何を生み出すのかを、考えてみたいと思う。

待鳥聡史



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