冒頭を読む

 

歴史の中の多様な「性」

三橋順子

(性社会・文化史研究者)

はじめに─「日本社会の伝統」って何?

今年(2015年)の4月、東京都渋谷区が同性パートナーに「証明書」を発行することを条例で定めた。7月には世田谷区も区長の判断で、パートナーであることを宣誓した書類に区が押印し受領証書を交付する形で同性パートナーを公認することが明らかになった。いずれも実際の交付はまだ行われていないが、順調にいけば年内には自治体(国ではない)が公認した同性パートナーが日本でも誕生するだろう。

こうした同性パートナーを公認していく動きについては、ツイッターなどのSNSでは賛成や祝福の意見が多いものの、一部には反対の動きもみられる。その理由として、単純なホモフォビア(Homophobia:同性愛嫌悪)を除けば、①少子化が加速する、②日本社会の伝統にそぐわない、の二パターンに整理できるように思う。

①については、同性パートナーが公認されようが否認されようが、先天的要素が強い同性愛者の数には変わりはなく、また同性愛者は性愛の対象が異性に向いていないので、一般的な形で子を作ることが少ないことにも変わりはない。そもそも同性愛者は全人口の2-3%しかいないので、少子化の加速にはほとんど影響しない。それを心配するなら、97-98%いるはずの異性愛者の出生率を少しでも上げる方策を考えた方がずっと有効性が高い。むしろ、同性パートナーシップを公認すれば、レズビアン(女性同性愛者)カップルが第三者の精子を使って妊娠・出産することが増えて、出生率の向上にわずかながらも寄与するかもしれない。

ということで、①の反対理由は簡単に論破できるのだが、②はどうだろうか。ここで問題になるのは「日本社会の伝統」とは、いったい何なのか?ということだ。

私は、2013年に「性と愛のはざま―近代的ジェンダー・セクシュアリティ観を疑う―」という論文を『岩波講座 日本の思想 第5巻 身と心』に執筆した。内容をごく大雑把に要約すると、私たちが「常識」としてもっているジェンダー・セクシュアリティ観は近代(明治期以降)に形成されたもので、前近代(江戸時代以前)のジェンダー・セクシュアリティ観はそれとはかなり大きく異なるのではないか、という話だ。

どう異なるかは、また後で述べるとして、前近代と近代の間にジェンダー・セクシュアリティ観の大きな変容があったとするならば、「日本社会の伝統」とは、そのどちらを指すのか?ということになる。前近代のそれをイメージするのか、近代以降のことなのかで、「伝統」の内実は大きく異なってくる。

この論考では、ジェンダー・セクシュアリティにおける「日本社会の伝統」とは何か?ということを意識しつつ、歴史の中に多様な「性」の形を探ってみたい。


三橋順子 Junko Mitsuhashi(性社会・文化史研究者)

1955年生まれ。
専門はジェンダー/セクシュアリティの歴史。中央大学文学部講師、お茶の水女子大学講師などを歴任。現在、明治大学、都留文科大学、東京経済大学、関東学院大学、群馬大学医学部、早稲田大学理工学院などの非常勤講師を務める。著書に『女装と日本人』(講談社)、編著に『性欲の研究 東京のエロ地理編』(平凡社)など。

 

郊外の多文化主義
― 「同胞」とは誰か

谷口功一

(首都大学東京法学系准教授)

北関東のルゾフォニア

上毛カルタに「つる舞う形の群馬県」とある通り、地図上、南東に向かって羽根をひろげて滑空する鶴の形をした群馬県の右下、頸部のあたりに邑楽郡大泉町は位置している。この町への鉄路での玄関口は、東武小泉線の西小泉駅である。単線の電車に乗り、終点の西小泉駅で降りると、そこには「ルゾフォニア(Lusofonia)」がひろがっているのを目にすることになるだろう。

ルゾフォニアとはローマ帝国時代のポルトガル一帯を指す「ルシタニア」に由来する言葉で「ポルトガル語を話す世界」を意味する。「東京から2時間、片道1,000円で行けるブラジル」とも言われる大泉町は、日系ブラジル人をはじめとする外国人居住比率が日本一の町である。そこではポルトガル語を耳にすることができ、また、駅前にすぐ見える「CANTA GALO 宮城商店」をはじめ、ブラジル人相手のポルトガル語の看板を掲げた様々な商店やレストランなどを目にすることができる。

筆者は数年前、たまたま仕事でこの町を訪れた家人から「これ、どこの国の言葉?」とポルトガル語の掲示物の写真が添付されたメールをスマホに送られ、その存在を初めて知った。これまで都合三度、足を運んでいるが、わたしの知らなかった日本がそこにはあった。

実際に足を運べば実感できるが、はるか彼方まで囲い塀が続くパナソニック(元三洋電機)の工場が、町域の広大な面積を占めている。町内には、この他にも富士重工業や工業団地なども立地しているため、大泉町は2011年まで35年間にわたって地方交付税不交付団体として豊かな財政状態にあった。このような一大工業地域の労働力の多くを支えてきたのが日系ブラジル人をはじめとする外国人労働者たちである。2014年12月末時点での町内の外国人は6,377人にのぼり、町の総人口の実に15.58%を占めている。

このような状況は、1990年のいわゆる改正出入国管理法に端を発するものであり、日系二世・三世とその家族に就労制限のないビザが発給されることによって、ブラジルからの「デカセギ」が急増したのだった。当初、彼らは数年で帰国する「一時滞在者」と思われていたが、その予測は大きく外れた。91年のバブル崩壊までに国内労働市場の逼迫はピークに達し、日本に在住するブラジル人は2000年末には約25万4,000人と、外国人全体の15%を占めるまでになったのである。

2007年末に31万7,000人にまで増加したブラジル人は、しかし、2008年秋のリーマン・ショックによる派遣労働者の雇い止めが始まると一挙に減少を始め、日本政府が本国への帰国を支援する「帰国支援制度」などとも相まって、2014年末には17万5,000人にまで落ち込むこととなった(法務省入国管理局「登録/在留外国人統計」)。

この間、大泉町をはじめとする日系ブラジル人などの外国人居住比率の高い自治体は、「移民」政策に正面から向き合おうとしない「政府の失敗」を補う形で、エスニシティとコミュニティをめぐるさまざまな摩擦への対応を行って来ており、後述するように、現在も多くの問題を抱えている。

このような外国人居住比率の高い自治体は、実は日本中に少なからず存在しており、南米日系人を中心とする多数の外国人住民を抱える都市は「外国人集住都市会議」を開催している。東京、群馬、長野、岐阜、静岡、愛知、三重、滋賀、岡山県の1都8県26都市からなる同会議の会員都市は、そのほとんどがいずれも観光などで訪れることはあまりない場所であり、大都市圏で暮らす多くの日本人にとって、それらの場所が抱える問題は「目に見えないもの」となってしまっているといっても過言ではないだろう。

2014年、政府は来るべき「人口縮減」への対策として、今後毎年20万人の移民を受け入れることを本格的に検討すると宣言したが、本稿では、この大泉町をはじめとして、既に日本国内に現に存在するものの「目に見えないもの」となってしまっている様々なエスニシティとコミュニティをめぐる問題について、筆者の専門である法哲学の観点からの検討も加えつつ、今後のわが国の「移民政策」に正面から向き合うための端緒をひらくことを試みるものである。

以下では先ず、移民政策に関してはわが国の遙か先をゆくヨーロッパ諸国の現状と、それらの国々が抱える問題に関して、概観することから始めたい。


谷口功一 Koichi Taniguchi(首都大学東京法学系准教授)

1973年生まれ。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て現職。専門は法哲学。著書に『公共性の法哲学』(共著、ナカニシヤ出版)、『ショッピングモールの法哲学』(白水社)など。

 

排除と包摂のせめぎあい
― LGBTをめぐる近年の動向

東優子

(大阪府立大学地域保健学域教育福祉学類教授)

現代社会のキーワードは、多様性を意味するダイバーシティ(Diversity)と包摂を意味するインクルージョン(Inclusion)である。D&I推進はグローバル化と経済成長の重要課題として、主に米国企業などが展開してきた。同一化・同調化の圧力が極めて高い日本社会でも、団塊世代が定年を迎えたことを主な背景として、多様な人材の雇用促進が始まろうとしている。世界3位の経済大国でありながら2014年に発表されたジェンダー・ギャップ(男女格差)指数で142カ国中104位(World Economic Forum, 2014)という不名誉な位置にある日本社会の最優先課題は、組織内マイノリティである女性の活躍推進である。しかし、ダイバーシティの射程には外見で判断しうる性別、障がいの有無、年齢、国籍といった属性の他、外見にあらわれてこない宗教や文化、健康状態なども入り、様々な特性には性的マイノリティ(LGBT)のありようも含まれる。

LGBTは新たな市場としても注目されており、経済誌による特集記事も急増している。国際労働者意識調査の「勤務先には、オープンで多様性を受け入れる企業文化がある」で日本は34カ国中最下位だったが、82.5%が「職場の多様性は大切である」に同意しているという(Randstad Holding N.V. 2015)。

多様性とLGBT

性的マイノリティとは、人間の性(セクシュアリティ)に関する四つの次元(生物学的・解剖学的特徴、ジェンダー・アイデンティティ、ジェンダー表現、性的指向)において、社会の多数派のありようとは異なる人々を指す。LGBTは、女性同性愛者(Lesbian)、男性同性愛者(Gay)、両性愛者(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の頭文字を組み合わせたもので、これにインターセックス(Intersexual)やクェスチョニング(Questioning)あるいはエイセクシュアル(Asexual)などを加えて、LGBTIQあるいはLGBTIQAといった使われ方がされる。ジャーナリストの池上彰が「今年(2015年)の流行語大賞の候補になると思う」と発言し、それをスポーツ紙(サンケイスポーツ、2015年5月24日付)が取り上げるなど、LGBTは性的マイノリティに代わる時流キーワードであると言える。

「性的マイノリティ」があまり使用されなくなっている理由の一つは、国際社会では宗教的価値観の違いをもっぱらの理由として「誰の、どのような権利」をめぐる議論が紛糾することがあり、字義からすれば性犯罪者を含む「多数派とは異なる」あらゆる人々がそこに含まれてしまう(またそのことが、争点を曖昧にする戦略に利用されてしまう)ことがある。マイノリティとは一般に少数者、社会的弱者、被差別者の意で用いられる用語であり、マジョリティ側の「名づけ」である(一方の当事者運動から生まれたLGBTは自己のアイデンティティの表明であり、自身やコミュニティに対するプライドが含意されている)。また、セクシュアリティに関して正確な統計は存在せず、「LGBT人口は数?10%」という統計が反映しているのは自己を「そうである」と明確に認識している人々の数に過ぎない(実態の把握が曖昧なところで数が少ないということを強調することの有意味性は限られる)。さらには、「性的」という言葉に対する忌避感が根強い社会を相手にする際の戦略として「性的マイノリティ」を回避したほうが功を奏する場合もある(Calvo and Trujillo, 2011)。

一方、LGBTという頭文字の羅列は名乗りをあげる人口層が増えるほどに長くなるが、実際の運用においては「LGBTなど」という意味で使用されることが多い。すべての頭文字を追加していくにしても、可視化された共同体に限られることから、マイノリティ内マイノリティを生み出し、No one gets left behind(誰も見捨てない)の精神に反するという批判もあれば、既存のラベルに自分を同一視できない(したくない)人々もいる、といった問題もある。日本においてはとくに、1990年代半ば以降に登場した「性同一性障害者」という呼称が(もっぱら諸外国ではスティグマ化する医学用語として捉えられるところ)当事者の間で定着しており、これを自称する人たちの間ではトランスジェンダー(T)や性的マイノリティという概念に取り込まれることに対する反発の声もある。


東優子 Yuko Higashi
(大阪府立大学地域保健学域教育福祉学類教授)

1966年生まれ。
ハワイ大学大学院修了、お茶の水女子大学大学院修了(人文科学博士)。エイズ予防財団リサーチレジデントおよび日本性教育協会特別研究員、岡山・ノートルダム清心女子大学などを経て、現職。専門は性科学・ジェンダー研究。女性学研究センター副主任、世界性の健康学会(WAS)「性の権利委員会」委員長を務める。著書に『子どもの医療と生命倫理 第2版』(共著、法政大学出版局)、『よくわかるスクール・ソーシャルワーク』(共著、ミネルヴァ書房)など。

 

エスニック・ビジネスから考える

樋口直人

(徳島大学准教授)

コスモポリタン都市の「縁の下の力持ち」

原宿駅から竹下通りを抜け、青山に向かって坂を上っていくと、黄色い壁が印象的なスペイン風の建物が現れる。ドアを開けると板張りの床に鮮やかなタイルのモザイクが目に飛び込み、邸宅に招待されたような錯覚を抱かせる。これはペルーのコロニアル風建築で、入っているのは2年前に開店したベポカというペルーレストラン。ペルー料理と聞いてもなじみがない方が多いだろうが、寿司と同様に近年になって世界的に注目されるようになった。リマは南北アメリカの美食の都と言われ、国を挙げて食文化をプロモーションするようになった。フシオン(融合)と呼ばれ各国料理の味を取り入れた現代ペルー料理を出すレストランは、世界のレストランランキング上位に複数が入るほどに評価されている。

そんな流れに乗ったペルーレストランを始めたのは誰か。――日系三世でペルーから17歳で来日し、日本語学校で学んで日本語検定一級の資格を取り、IT企業で働いていたブルーノ・ナカンダカリ氏だった。ペルー日系人はレストランを営む者が多く、彼の家も例にもれず小さいころから家業を手伝っていた。ペルーのトレンドに敏感で、日本社会にも通じたセンスがあればこそ、ハイエンドのペルーレストランという新たなビジネスチャンスをものにしたというわけである。

このように民族的なマイノリティが営む仕事をエスニック・ビジネスというが、ベポカのように都市をきらびやかに彩るような事例は少数である。米国に行ってモーテルに泊まればインド系移民が、フランスで小さな食品店に行けば北アフリカ系移民が多いという具合に、縁の下の力持ちのような仕事が多い。では日本ではどうなのか。以下ではエスニック・ビジネスを切り口として、日本が多様性を包摂する社会になるうえで必要な条件を考えてみたい。

日本のエスニック・ビジネス

エスニック・ビジネスは、移民にとって労働者から経営者への上昇移動を可能にするが、そうしたチャンスをものにできる者はそれほど多くない。日本の現実をまずみてみよう。図1は、2000年国勢調査結果からエスニック・ビジネスの従事比率を示したものである。少し古いが多くの国籍をカバーする唯一のデータであり、集団ごとの違いが明確に浮かび上がる。

現在の人口規模でいえば中国、韓国・朝鮮、フィリピン、ブラジルの順になるが、そのなかでビジネス進出が著しいのは韓国・朝鮮籍のみである。韓国・朝鮮籍の営むエスニック・ビジネスは、韓国で財閥にまで成長したロッテなど知名度が高い企業も多く、感覚的にも理解しやすい。他方で、パキスタンやナイジェリアなど、存在もほとんど認知されていない国籍集団で、四分の一程度がビジネスに進出している。さらに、日系人がほとんどを占めるブラジル人など南米国籍が下位に集中しているのも目につく。

上は韓国・朝鮮籍の4割弱から下はインドネシア籍の1%まで、なぜこれほどの差がつくのか。言葉の問題や就職差別などで「良い仕事」につけないことは、確かに自前のビジネスを志向する一因になる。だが、ここで掲げた集団のほとんどは就職面でのハンディキャップを負っており、排除によって差を説明することはできない。良い仕事につけないからビジネスを始める、というほど独立自営への道は簡単ではないということだろう。それゆえ、ビジネスに向かわせる積極的な要因に目を向ける必要がある。


樋口直人 Naoto Higuchi(徳島大学准教授)

1969年生まれ。
一橋大学大学院社会学研究科博士課程中退。専門は社会学。著書に『日本型排外主義』(名古屋大学出版会)、『日本のエスニック・ビジネス』(編著、世界思想社)、『再帰的近代の政治社会学』(共編著、ミネルヴァ書房)、『国境を越える』(共著、青弓社)、『顔の見えない定住化』(共著、名古屋大学出版会)など。

 

「ハーフ」という幻想

サンドラ・ヘフェリン

(著述業)

筆者は父親がドイツ人、母親が日本人のいわゆる「ハーフ」です。初対面の時など「ハーフ、うらやましい!」「ハーフ、いいなあ?」「私もハーフに生まれたかった!」というお言葉をいただくことがあります。

もちろんこれらが挨拶代わりであることや社交辞令的な要素も含まれることは重々理解しておりますが、「私もハーフの子を産みたい!」という声も聞かれるなど「ハーフ」に対してある種の憧れを抱き続ける層がいることもまた事実です。

最近はこういった発言を以前より上手にかわすことを覚えましたが、それにしても「ハーフの子を産みたい!」という発言を聞くたびに「ハーフの苦労を全然知らないのに……」と複雑な気持ちになるものです。

ハーフとして生きること。日本においてそれは日常生活が限りなく不便になることを意味します。

駅の構内で駅員さんに「すみません、ちょっとお聞きしたいのですけど、●●書店があるほうの出口って何番出口ですか」と聞けば、返ってくる返事は「ブックストアー? あー、えー……ストレート・ゴー!レフト。Aスリー!」。……教えてくださるのは大変ありがたいのですが、普通に日本語で「本屋さんは真っすぐ歩いて左側のA3出口を出たところにあります」と言えばいいのに、と思ってしまいます。でも駅員さんは私のような外国人顔を見ると条件反射的に英語になってしまうようなのです。

レストランではメニューを眺めながら「何を食べようかな。どれにしようかな」と迷っていると、背後からサッと店員さんの手が伸びてきて、メニューを取り上げられ、英語のメニューを渡されることもあります。ハタから見るときっと「日本語がわからない外国人が日本語のメニューを読むのに苦労している」とうつったのでしょう。そんな時はすかさず「すみません、日本語大丈夫なので、メニューを返してください」と日本語のメニューを奪い返します。

就職活動の場では、事前に提出した履歴書に「小学校、中学校、高校、大学は全部日本」と書いても、面接会場で担当者に「漢字は読めますか?」と聞かれてしまうのがハーフなのです。容姿が外国人風だと、面接官は色々と確認したくなるようです。さらに酷なのは「小中高、大学とずっと日本ですので、漢字は問題ございません」と答えてクリアかと思いきや、今度は「英語はもちろんペラペラなんだよね?」という展開になること。履歴書に英語がペラペラなんてどこにも書いていなくても、「できて当たり前」とされてしまうのが「顔面暴露系ハーフ」のつらいところです。

このようにハーフの人達は思わぬところで大変な思いをします。なお大変とまではいかなくても、日常生活において他の人は体験しない「小さな不便」を日々体験しているわけですが、なぜか周りの人々の「ハーフうらやましい」「ハーフになりたい」という声は止むことがありません。


サンドラ・ヘフェリン Sandra Haefelin(著述業)

1975年生まれ。
ドイツ・ミュンヘン出身。自身が日独ハーフであることから、「ハーフ」をテーマとした執筆活動や、学校教育、「多文化共生」についての講演を行っている。ホームページ「ハーフを考えよう」http://half-sandra.com/ を運営。著書に『浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ』(光文社)、『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』(中央公論新社)、『満員電車は観光地!?』(共著、KKベストセラーズ)、『日本人、ここがステキで、ここがちょっとヘン。』(共著、大和出版)などがある。

 

在日ムスリム社会のダイナミクス

工藤正子

(京都女子大学現代社会学部教授)

はじめに

日本に住むイスラーム教徒(以下、「ムスリム」)の数は、1980年代後期以降イスラーム圏からの出稼ぎ労働者の流入を機に急増した。その後、1990年代に新規入国数は減少するが、既に入国していた人々の滞日が長期化した。ある推計によれば、現在のムスリム人口は、日本人ムスリム約1万人も含めて11万人程度とされている。在日ムスリム人口の8割から9割を外国人ムスリムが占め、さらに2004年時点ではその7割がインドネシア、パキスタン、バングラデシュ、イラン国籍であった。これら4つの国の出身者数の特徴の一つに性比の不均衡があり、2013年末の外国人登録者数ではその総数の約7割を男性が占める。

1990年代後半には、これら外国人ムスリム男性の姿が日本の多元化の一つの象徴として注目されるようになり、新設されたモスクで彼らが集団礼拝をする姿がメディアで報道されるようになった。一方で、首都圏の下町や郊外の町工場で働いていた外国人ムスリム男性たちが、日本人女性と出会って家族関係を結び、そこからムスリムの子どもたちも育っていることに目が向けられることは少ない。外国人ムスリムのうち、インドネシア国籍者には技能実習生として単身および期限付きで滞在する者も多いが、パキスタンやイラン国籍者は、日本人と結婚し、定着している者の割合が少なくない。国際結婚の場合、相手国の法律にもよるが、例えば、本稿でとりあげるパキスタン人ムスリムと結婚した日本人女性の殆どは、結婚を機にイスラームに入信し、その子どもたちも日本国籍をもつムスリムである。夫たちのなかには永住者としての資格を取得後、日本に帰化する者もでてきた。こうして外国人ムスリムと日本人との家族形成が進むなかで、ムスリムを「外国人」として想定することはいっそう難しくなりつつあるといえる。

外国人ムスリムとの結婚の増加はまた、日本では、ムスリム社会の次世代のかなりの部分がそうした国際結婚をつうじて再生産されていることを意味する。これは、日本の多元化における差異や、その深化のプロセスを考えるうえで何を意味するのだろうか。本稿ではこうした視点から、パキスタン人男性と日本人女性との結婚の事例をとおして、イスラームが家族形成を媒介にいかに日本社会に接続され、それがこれら夫婦のおかれた社会的経済的な状況といかに関わってきたのかを考えたい。

本稿は次のように構成されている。まず、来日したムスリム外国人労働者らが日本の入国管理政策のもとで周縁化されていく過程をみたうえで、彼らと日本人女性との国際結婚が国家内部でいかに位置づけられたのかをみる。つぎに、結婚によりイスラームに入信した日本人女性たちがムスリムとしての自己をいかに形成し、そこに私的領域やグローバル化する社会空間でのジェンダーや国籍の差異がいかに介在したのかを考える。最後に、これら国際結婚の子どもたちの教育をめぐる状況に目を向け、それが日本社会の多文化的状況の展開にどのような示唆をもたらすのかを検討する。

本稿の議論のもととするのは、筆者が1990年代末期以降、これらの夫婦の主な居住地である関東圏および海外の移住先で行ってきた聞き取りと参与観察のデータである。2001年までは、主としてモスクに集まる日本人の妻たち40名に対して聞き取りおよび参与観察を行い、その後もこれらの女性たちを中心に聞き取り調査を継続してきた。このため、調査対象者はパキスタン人の日本人配偶者のなかでも相対的に宗教意識の強い人々であるといえるかもしれない。しかし、後述するように、モスクに集まる女性たちの宗教的志向には共通項とともに多様性もみられ、その後、変化もしている。本稿の目的は、これらの人々の多様かつ変貌する宗教性のありように、ジェンダーや国家、宗教といった複数の差異や力関係がいかに交差してきたかを示すことである。それをとおして、1980年代以降の日本の多元化における差異の力学を照射したい。

また、本稿では紙幅の許す範囲で、筆者が2006年以降調査を行ってきた英国(主にバーミンガム市)の状況とも比較しつつ、議論を進めたい。とくに参考文献等が挙げられていない限り、英国に関する記述も筆者による聞き取りと参与観察にもとづくものである。


工藤正子 Masako Kudo(京都女子大学現代社会学部教授)

1963年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科単位取得満期退学。博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科助教、京都女子大学現代社会学部准教授を経て現職。専門は文化人類学。著書に『越境の人類学』(東京大学出版会)など。

 

「日本」はどのようにして生まれたのか

川田順造

(神奈川大学特別招聘教授・日本常民文化研究所客員研究員)

いわゆるグローバリゼーションの潮流のなかで、日本以外の土地の出身者が日本の生活文化と接触する機会のみならず、住民として占める割合も急増している。難民の受け入れに関して日本は厳しい一方で、相撲のように古くから「国技」とされてきた領域では、外国人に進んで門戸を開き、結果として競技実績をみると外国出身者がむしろ上回っている例もある。

だが、日本列島の住民とその文化が多様であることは、今にはじまったことではない。それどころか、起源の多様な住民と多様な文化が、そもそも「日本」というものをつくってきたのである。

細部では研究者の意見が一致しないにせよ、氷河時代に海水面が低下し、日本列島が東南アジアとも東アジアとも陸続きの「スンダランド」とよばれる広大な地域をつくっていたこと、遺物として重要な資料となる歯の研究から、原初の日本列島の住民が、このスンダランドと大陸系の混交から生まれたことは、ほぼ一致した見方になっているといってよい。

狩猟採集を生業の基本としながら、土器制作、とくに土偶作りに傑出し、ウルシ利用などの洗練された技術をもち、広い範囲での交流があったことが明らかにされている縄文文化の形成は、大陸西北部と共通するナラ林文化圏を基盤としている。日本列島の西南部に始まった弥生文化は、朝鮮半島南部や中国中南部と共通する、照葉樹林文化の一部をなすものだ。

イネだけが穀物ではない

稲作そのものは、縄文時代晩期にさかのぼるにせよ、弥生文化とともに始まった灌漑をともなう稲作が、青森県の弥生時代前期の砂沢遺跡(およそ今から2300年前)や、中期の垂柳遺跡が示すように、たちまち本州北限にまで普及したのは驚くべきことである。灌漑によって作られるイネは、同じ土地で何年でも連作できる、唯一の穀物だ。日本のように山が多く、農耕可能な土地の面積がきわめて限られているところでは、灌漑水田稲作が向いている。というより、稲作とともに人口増加のスピードをあげていった住民が、それ以外には生きのびる道はなかったといってもよい。

これに対して、連作には不向きなコムギを主食とするヨーロッパ人は、家畜と結合した西アジアの農牧文化の流れをくんで、初期の冬雨型地中海性気候に適した2年周期の二圃制、つまり冬作のコムギと休耕=放牧を組み合わせた農法を考案した。だが、やがてアルプス以北までこの農法が拡大されたヨーロッパでは、3年周期の三圃制が生まれた。三圃制では、ヒトの主食となる冬作のコムギにあてられるのは1年だけで、あとの2年は主に家畜を養う夏作のオオムギやエンバクの栽培と3年目の放牧という、日本人から見ると随分ケモノ臭い土地利用が、生活の根幹になっている。

一方、西アフリカ・サバンナ地帯で典型的に発達した、耕地自体の移動性が大きい焼畑によるトウジンビエ、モロコシなどの高稈性穀物中心の農耕文化もある。この農法では、人口に対して利用可能な土地が十分に広いことが第一の条件になる。とはいえ、西アフリカ内陸のサバンナでは、都市の形成とその周辺への定住人口の増加にともなって、無施肥の移動性焼畑が困難になりつつある。

こうした二圃制、三圃制や、移動を前提とした焼畑農法と対比してみれば、日本の灌漑水田稲作の特殊性が一層明らかになる。つまり水田への灌漑のためには、水利の共同管理という地域的連帯が重要になるのだ。徳川時代に強化された五人組のような、地域の相互監視・連帯責任の組織は、水田稲作社会を反映したものといえるだろう。土地生産性を上げるために、労働生産性は無視して骨身惜しまず働く、ある時代以後の日本的価値意識を醸成する基盤にもなったのである。

日本では表向きの制度として、コメを基本にした世界でも稀な給与体系ができあがった。だが、イネ、ムギといった低稈性穀物が中心になって以来「雑穀」という不適切な呼び名をかぶせられ一括されてきた、ヒエ、キビ、アワをはじめとする高稈性穀物(世界大で見れば、アメリカ大陸原産のトウモロコシも含めて、高稈性穀物を主穀として栽培・消費している人口の方が多いだろう)が、東北ではアイヌとも連続する独特の耕耘具を使い、焼畑農法とも連携し、西南日本の弥生文化先進地帯も含めた、日本列島の少なからぬ地方で、人間を養ってきた事実を忘れてはならない。


川田順造 Junzo Kawada
(神奈川大学特別招聘教授・日本常民文化研究所客員研究員)

1934年生まれ。
東京大学教養学科文化人類学分科卒業、同大学院博士課程修了、パリ第五大学民族学博士。埼玉大学助教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授、国立民族学博物館併任教授、広島市立大学国際学部教授などを経て、現職。アフリカ・フランス・日本の現地調査に基づく「文化の三角測量」で多くの著書。『曠野から』(筑摩書房、日本エッセイスト・クラブ賞)、『聲』(筑摩書房、藤村記念歴程賞)、『口頭伝承論』(河出書房新社、毎日出版文化賞)、『江戸=東京の下町から』(岩波書店)、『日本を問い直す』(青土社)など。訳書、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(中央公論新社)など。

 

漢字を飼い慣らす知性
― 日本的知識人の誕生

上野誠

(奈良大学文学部教授)

A2
  子供らを思う歌一首〔と序〕

B2
釈迦如来が、正しく金口にて説きたまうことには、「衆生を平等に思うことは、わが子羅睺羅を思うのと変わるところがない」と。また、お説きになることには、「愛欲の迷いについていえば、子に優るものはない―」と。釈迦のうな究極の大聖人でさえ、やはり子に愛着する心があったのである。まして、人の人たるもの、よるべなき草のごとき民においては、誰が、子を愛さずにいられようか。

C2
瓜を食べるとね
子らのことが思い出されてしまう
栗を食べるとね
なおさら偲ばれる
どこからやって来たのか
眼の前に
むやみやたらにちらついてね
私を眠らせないのは―

D2
 反歌

E2
銀も
金も玉も
それがいったい何になるというのか―
子に勝る宝など
あろうはずも無し!
(山上憶良 巻五の八〇二、八〇三)

はじめに

私に課せられたのは、「日本語とはどういう言語か」「日本語の特性とは何か」という課題である。編集部から、この依頼を受けた時、私は正直いって、お断りしようかと思った。というのは、この下問に答えるためには、日本語学や言語学、ことに比較言語学の知識が必要だからだ。したがって、到底私などには、無理だと思ったのである。私の専門領域は、国文学、なかでも『万葉集』の解釈である。もちろん、万葉文化論を標榜し、当時の日本人の生活や日本文化との関わりを追究しようとはしているけれど、やはりその任ではなかろう。だから、お断りしようと思ったのである。が、しかし。しばらくして、翻意した。いやしくも、七、八世紀にできた〈うた〉、それも日本語の〈うた〉を研究の対象とし、四半世紀に渡り禄を食んできた私が、依頼を断るのは卑怯ではないか、とも思ったからだ。責務といえば思い上がりだが、逃げてしまえば、卑怯ではないか。とすれば、私にできることは何か。『万葉集』は、日本語の〈うた〉をどのように書き留めているか。そこから、日本語と漢字文化、ひいては日本語と外来文化の交渉の一側面を考究し、これを読者に供するほかはない。さて―。


上野誠 Makoto Ueno(奈良大学文学部教授)

1960年生まれ。
国学院大学大学院修了。博士(文学)。万葉文化論を専攻。現在、国際日本文化研究センター客員教授を兼任。日本民俗学会研究奨励賞、上代文学会賞、角川財団学芸賞、各受賞。近刊に『日本人にとって聖なるものとは何か』(中央公論新社)などがあるほか、著書多数。近時執筆した小説『天平グレート・ジャーニー』(講談社)、オペラ『遣唐使~阿倍仲麻呂』も好評。

 

これからの科学像を求めて

野澤聡

(獨協大学国際教養学部准教授)

「科学と社会研究会」

現在の科学は専門化・高度化の度合いをますます高めている。宇宙や物質の起源についての深遠な理論や、生命の設計図とされるDNAの仕組みや働きの解明など、われわれの世界観・人生観の改変を迫るような驚くべき成果が日々生み出されているという事態は、現代という時代を人類の歴史の中でもきわめて特異なものにしていると考えられる。

その一方で、科学の急速な進展が社会に与える影響について深刻な懸念を抱かざるを得ない事態が頻発するようになっている。たとえば、ゲノム編集という技術がある。これは「生命の設計図」といわれるDNAの塩基配列を改変する技術であるが、その精度が急速に高まっている。今年その技術をヒトの受精卵に適用しようとする実験がおこなわれた。ヒトのDNAに対してゲノム編集を適用する研究については、難病治療などの成果が期待されている。だが、ヒトの受精卵にゲノム編集をおこなうべきかどうかについての議論は始まったばかりである。

研究自体の公正性を疑わせるような事件も相次いでいる。高血圧症治療薬の開発過程で、臨床研究論文のデータ操作が問題となったディオバン事件や、iPS細胞と同様な多能性をもつと期待されたSTAP細胞を巡る騒動を記憶している方は少なくないだろう。真理の探究者であるはずの科学者が、研究結果を不正に操作したり、他人の論文の記述を剽窃したりしているのだ。いまやわれわれは、科学研究の成果だけでなく、科学研究という行為そのものにも不安を抱かざるを得ない状況に置かれているのである。

2011年3月に発生した東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から4年以上経過したが、巨大科学技術の制御不可能性や、専門家に対する不信、あるいはまた、個々の専門家の間におけるコミュニケーションの不在や困難など、科学と社会との間に存在している諸問題は未だに解決には至っていない。

科学が社会に与える影響が大きくなっているだけでなく、科学が社会から受ける影響もこれまでになく大きくなっている。1995年の科学技術基本法制定以来、科学研究には多額の国家予算が支出されるようになった。多額の国家予算支出に対する説明として、近年では、イノベーション政策に見られるように、科学の有用性や成果が強調されるようになっている。科学研究を推進する際に有用性や成果を強調し過ぎることに対しては、科学のあり方に様々な歪みを生じさせるという懸念が表明されている。そのような歪みの中には、上で見たような研究不正、若手研究者の非正規雇用、短期的な成果を目指す研究が増えたことによるシーズの枯渇などがある。

科学と社会との界面で生じている様々な問題は、いずれも深刻であり、解決の糸口すら見えないものばかりである。こうした問題を目の当たりにすると、冒頭で述べたような科学への希望や、未知への憧れなど忘れ去られてしまうように思われる。このような時代にあって、われわれは21世紀の科学をどのようにイメージすれば良いのだろうか。

「アステイオン」第78号の特集「科学を試す」はそのような問題意識に基づいて組まれたと理解している。私(野澤)も寄稿者の一人に加えていただき、「「二つの文化」を超えて―科学史の視点から」というタイトルで、歴史的観点から新たな科学像構築のための試論を展開させていただいた。

「アステイオン」の特集を契機として、21世紀の科学像を探求するために、サントリー文化財団で新たな調査研究が実施されることになった。上で見たように、科学の社会に対する影響と社会の科学に対する影響はかつてなく増大しており、今後ますますその傾向が強まるのは確実である。そこで、「社会のための科学」「社会の中の科学」という理念の解明と、それに基づく新たな科学像の構想を目指す調査研究活動をおこなう場として、「科学と社会研究会」が発足することになった。研究会は、東京工業大学・中島秀人氏を代表とし、東京大学・埴岡健一氏、大阪大学・平川秀幸氏、京都大学・宮野公樹氏、サントリー文化財団特別顧問の山崎正和氏がメンバーとして参加されることになった。私も研究会の幹事としてメンバーの一員に加えていただいている。


野澤聡 Satoshi Nozawa(獨協大学国際教養学部准教授)

1967年生まれ。
京都大学理学部および文学部卒業。東京工業大学大学院社会理工学研究科で博士(学術)取得。東京工業大学世界文明センター・フェローを経て、現職。専門は科学史、科学技術社会論(STS)。著書に『学校で習った「理科」をおもしろく読む本――最新のテクノロジーもシンプルな原理から』(共著、JIPMソリューション)、『驀進する世界のグリーン革命』(共著、ポット出版)など。

 

日中美意識の比較
― 方正・円順・自己相似の視点から

加藤徹

(明治大学法学部教授)

文明の縮小模型としての舞台空間

シェークスピアは『お気に召すまま』の台詞の中で「人間世界は悉く舞台です、/さうしてすべての男女が俳優です」(坪内逍遥訳)と述べた。中国の伝統演劇の役者たちが代々、語りついできた格言「梨園諺訣」の中にも、「天地は大舞台なり。舞台は小天地なり」(天地大舞台、舞台小天地)という同様の意味のことわざがある。

古来、演劇は、宇宙や人間社会の縮図を舞台空間上に動態展示的に再現する、特殊な総合芸術であった。

日本人の伝統的な死生観や世界観を知りたければ、能楽や歌舞伎の舞台を見るとよい。能舞台と歌舞伎の舞台は、一見すると全然違う。が、橋懸かりや花道などをしつらえ、舞台空間の左右相称性をわざと破壊するという日本的美意識が貫徹している。舞台は平らで、基本的には角張っている。また、同じ伝統演劇でありながら、能楽と歌舞伎は衣装も舞台建築も違う。一般に、能役者が歌舞伎の舞台に立って歌舞伎を演ずることはないし、逆もまた同様である。われわれ日本人にとって、それは当たり前である。なぜなら、これらの「左右非相称の美意識」や「棲み分けの黙契」は、日本の歴史や社会と通底するものだからである。

だが、外国の舞台演劇は、そうではない。

世界遺産「エピダウロスの考古遺跡」の中に現存する古代ギリシアの劇場を見れば、一目瞭然である。1万5,000人の観客を収容できる巨大さ、円状に広がる左右対称の美しさ。古代ギリシア人は、遅くとも紀元前5世紀のピュタゴラス派の時代までには、地球が丸いことを知っていた。地球も惑星の運行も丸いのだから、当然、宇宙の縮図である舞台空間も丸く作ったのである。また古代ギリシア演劇は本質的に「演説劇」であり「対話劇」であった。演劇の技術なくして演説はなく、演説なくして民主政はない。マイクなしで肉声を1万5,000人の客席のすみずみまで届けるという俳優術と舞台建築の音響上の工夫は、西洋の歴史や社会と密接に結びついている。

日本人は舞台の床は平らにするのが普通だと思っているが、外国では、傾斜した床板をもつ舞台もある。客席から見て、舞台の奥が高く、手前が低いほうが、奥に立つ俳優まではっきり見えるからだ。

では、中国はどうか。

歴史が古く、国土も広い中国の「本質的なかたち」を捉えるのは、大変な作業のように思える。が、中国人もまた、自分たちの宇宙観や人間関係を、舞台空間というミニチュア模型に凝縮してきた。中国の伝統的な舞台建築「戯台」(「戯」は「しばい」の意)や、客席も含めた劇場建築「戯楼」(「楼」は、ここでは「立派な建物」くらいの意)の設計思想は、意外とシンプルである。つまり、戯楼に着目すれば、中国の「文明の形」や、彼らの「宇宙観」「世界観」は、簡単にわかる。

次に掲げるのは、清朝時代(1644-1912)の中国の「戯楼」の内部の様子を描いた絵である。作者不明だが、有名な作品である。

この一枚の絵には、中国人の美意識、世界観、中国社会の暗黙知的な基本構造など、さまざまなことを読み取るヒントが隠されている。

この絵図からだけでも、中国人の思考様式の特性のうち「視覚的多様性の乏しさ」「方正と左右相称を尊ぶ美意識」「個性の軽視と『古性』の重視」「椅子の向きからわかる感応の導線の設計思想」など、重要な要素を読み取ることができる。本稿では紙数の都合上、そのうちの一部について論ずることとする。


加藤徹 Toru Kato(明治大学法学部教授)

1963年生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。広島大学総合科学部助教授などを経て、現職。専門は京劇(中国の伝統演劇)。著書に『京劇』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『漢文力』(中央公論新社)、『梅蘭芳』(ビジネス社)など。加藤徹のHP http://www.geocities.jp/cato1963/



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