冒頭を読む

 
ASTEION vol.079 Current Issue vol.079 論考

逃亡の近代 ー大阪「ディープサウス」形成史から

酒井隆史

(大阪府立大学人間社会学部准教授)

旧長町スラムの実態

大阪の「ディープサウス」ーとりあえず、大阪市街の二つの焦点「キタ」と「ミナミ」の「ミナミ」のさらに南、新世界、釡ヶ崎、飛田を中心としたエリアとしておくーについてあれこれ調べていると、あらためて眼につくことがある。「逃亡」という現象である。この町の歴史は逃亡、あるいは離脱という運動によってつらぬかれていることをいくども確認させられるのである。

「ディープサウス」の特異な地理の直接の起源にあたるのが、江戸期から明治初期まで「貧民窟」として知られていた長町である。おおざっぱにいって現在の日本橋筋の東西両側にあたる。旧長町/日本橋スラムは、近代化とともに大阪の市街が膨張していく過程で、あの手この手のスラムクリアランスにあって、それが長町の南、かつては町はずれであった「釡ヶ崎」の形成と並行する、あるいは帰着する、というのが一般的な見方である。

その経過にはいくつかの段階があるのだが、それを追尾していくと、ある時期、日露戦争(大阪史的にいえば1903〔明治36〕年の第五回内国勧業博覧会)前後においてのみ、新聞記事をさわがす場所の名称が浮上してくる。「蜂の巣( 窩す )」である。明治の終わりあたりには、「魔窟中の魔窟」「南地の梁山泊」などと形容され、ほとんど旧長町スラムの代名詞のように言われているのである。そこはたびたびのクリアランスによってあたらしい地図をえがいていた旧長町スラムに大挙住みつく「犯罪者」たちの巣窟中の巣窟とみなされ、扇情的な報道の恰好のネタにされていた。いまでいうと、JR環状線北側日本橋筋の西、およそ今宮戎のあたりに位置している。


酒井隆史(大阪府立大学人間社会学部准教授)

1965年生まれ。
早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪女子大学人文社会学部専任講師などを経て、現職。専門は社会思想、社会学。
著書に『自由論』(青土社)、『暴力の哲学』(河出書房新社)、『通天閣』(青土社、サントリー学芸賞)など

購入のご案内

お近くの大型書店・ネット書店などでお求めください。
下記の出版社サイトからもご購入いただけます。

アステイオン
(CCCメディアハウスのサイトへ)

株式会社CCCメディアハウス
〒153-8541 東京都目黒区目黒1丁目24番12号
TEL:03-5436-5721