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民意がデモクラシーを脅かすとき
― ヨーロッパのポピュリズムと国民投票

水島治郎

(千葉大学法政経学部教授)

二つの国民投票

2000年代後半からユーロ危機、ウクライナ危機、相次ぐテロ事件、そして難民危機と折り重なるように危機に襲われてきたヨーロッパ。この「複合危機」(詳しくは遠藤乾『欧州複合危機』(中公新書)を参照)に見舞われたヨーロッパが迎えた2016年は、特に政治面を見れば、歴史に残る受難の年でもあった。

まず6月には、イギリスのEU離脱を問う国民投票で離脱派が勝利を収め、ヨーロッパはもとより世界に強い衝撃を与えた。またオーストリアの大統領選挙では右派ポピュリズム政党・自由党の候補者が敗北したものの当選まであと一歩に迫り、「EU初の極右系元首の誕生」の可能性が真剣に語られた。ドイツでは各州の選挙で、やはり右派ポピュリズム政党の「ドイツのための選択肢(AfD)」が大幅に議席を伸ばしている。

そして2016年の最後を締めくくるかのように、12月には、イタリアで憲法改正を問う国民投票で政府案が大差で否決され、レンツィ首相は辞任した。大西洋の向こう側のアメリカ合衆国におけるトランプ当選とあわせ、「民意」の噴出によって既成政治の正統性、EUをめぐる信頼性が大きく揺らいだ1年だった。後から振り返れば、2016年はヨーロッパの歴史の転換点として記憶されるのかもしれない。

しかもそこで特徴的だったのは、EUの中核をなすイギリス、イタリアの二国において、2016年の国民投票でいずれも政府側の提案が否決されたこと、しかもそれが、両国で内閣の退陣を招いたことである。選挙ではなく「国民投票が内閣を倒す」現象が、1年のうちに二つの大国で相次いだのである。

これは単なる偶然だろうか。この背景には、両国にとどまらない、現代ヨーロッパ政治の構造的な変容があるのではないか。本稿ではこの問題意識に基づき、近年の各国におけるポピュリズム政党の躍進に注目しつつ、ヨーロッパにおける「民意の発露」としての国民投票の問題について考えてみたい。

特に注目するのは、イタリアのほか、スイスとオランダである。スイスはいわずと知れた国民投票の母国であり、他方オランダは、2世紀にわたって国民投票と縁のなかった国である。しかしこの対極に見えるスイスとオランダの両国で、いずれもポピュリズム政党が国民投票を跳躍台として勢力を拡大し、「民意」をエリート層に突きつけることで自らの主張を正統化するという、共通の現象が起きていることがわかるだろう。

なお本誌では、すでにイギリスの国民投票について池本大輔氏をはじめとする論者の方々の優れた論稿が掲載されていることから(『アステイオン』85号所収「EU離脱を決めたイギリス」他)、2016年の国民投票の事例としては、イタリアの国民投票のみを扱うこととしたい。

イタリアにおける国民投票の否決

まず、イタリアの国民投票についてみてみよう。

2016年12月4日、イタリアでは上院の権限を大幅に縮小することなどを柱とする憲法改正が国民投票に付され、賛成41%、反対59%という大差で否決された。民主党の若き期待の星とされてきた、レンツィ首相の政治的命運はここに尽き、彼は辞任を表明する。

なぜ憲法改正が提起されたのか。特にそこで上院の権限が争点とされた理由は何か。

そもそも第二次世界大戦後に成立したイタリア共和国では、国民代表としての下院と、地方代表としての上院が対等の機関として位置づけられていた。予算や法案審議、内閣の信任・不信任などの重要な決定事項について、両院が同等の権限を有していたのである。その背景には、ファシズム政権期における権力の集中と濫用という苦い経験があった。可能な限り権限を分散させることで、権力を一手に握る独裁政権の出現を防ぐことが企図されたのである。

しかし、対等な両院の存在は、実際には戦後のイタリア政治における法案審議の遅滞、政権の不安定を招いたと評されることが多く、むしろ混乱の元凶としてしばしば批判の的とされてきた。イタリア政治研究者の伊藤武が述べるように、たとえば法案の審議では、多数の修正が両院間を行き来する「シャトル便」と呼ばれる慣行が存在しており、時間がかかるばかりか、改革志向の法案が通りにくい状況があったと指摘されている。

この「決められない政治」を打破することをめざしたのが、今回の憲法改正案である。改正案では、上院の定数は315から100に削減される。また下院と対等だった上院の権限が大幅に縮小され、内閣の信任・不信任、予算や法案審議における下院の優越が規定されていた。政府が下院に対し、優先事項について70日以内の決定を求めることのできる「優先レーン」の設定など、政府の主導権を確保するための仕組みの導入が予定された。また上院議員は地方の代表として州議会議員や市長などから選出され、議員歳費が不要となることから、定数削減と合わせて国庫支出の大幅な削減が見込めるとされていた。

改正案を主導したのはレンツィ首相である。2014年、史上最年少の39歳で首相に就任した民主党のレンツィは、その若さと快活さでメディア受けもよく、国民にアピールできる「改革派」としての強みを活かし、さまざまな改革に着手していた。労働市場の柔軟化や学校改革など、左派支持層の反発を買いやすい争点にも取り組み、改革者としての姿勢を鮮明にした。すでに2015年には、下院選挙で得票率40%を超えた最高得票政党に54%の議席を与える選挙法の改正を実現していた。そして今回の上院改革は、この下院改革と併せ、効率的で強力な政権運営を可能にする、イタリア政治のシステム・チェンジの一環として提起されたのである。

しかし国民投票に向けてのキャンペーンでは、憲法改正案への賛否が政権の信任と結びつけられ、国民投票がレンツィ政権への信任投票と化したため、改正憲法案についての議論は深まらなかった。そして改正に反対する側には、五つ星運動、北部同盟などのポピュリズム系野党はもちろん、中道右派や中道勢力、レンツィ首相おひざ元の民主党の一部なども加わった。結果的に若年層・中年層を始めとするほとんどの年齢層・階層で憲法改正への反対票が上回り、大差で否決された。賛成が上回ったのは65歳以上の高齢者、年金生活者などほんの一部にとどまったのである。この決定的な敗北を受けて、レンツィ首相は辞意を表明した。

それではこの国民投票における改正案の否決を、どう見たらよいのだろうか。


水島治郎 Jiro Mizushima
(千葉大学法政経学部教授)

1967年生まれ。
東京大学教養学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。甲南大学助教授、千葉大学法経学部教授などを経て、現職。専攻はオランダ政治史、ヨーロッパ政治史、比較政治。著書に『戦後オランダの政治構造』(東京大学出版会)、『反転する福祉国家』(岩波書店、第15回損保ジャパン記念財団賞受賞)、『保守の比較政治学』(編書、岩波書店)、『ポピュリズムとは何か』(中公新書)など。

 

アメリカ二大政党政治の中の「トランプ革命」

岡山裕

(慶應義塾大学教授)

「トランプ現象」の射程を考える

昨年のアメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプの勝利から、約半年が経った。彼は選挙に際して、マスメディアやツイッター等のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて様々な主体に罵声を浴びせ、明らかな事実誤認や嘘を含むような発言も頻繁に行った。この穏当とは言いがたい、しばしばポピュリスト的と形容される手法で、白人ブルーカラーを中心とした「忘れられた」中間層の心をつかんだのが、大方の予想を覆しての当選につながったとされる。今年1月に大統領に就任した後もその姿勢は変わらないばかりか、本稿を執筆している2月前半の時点でも、論争的な内容の命令を乱発する等して物議を醸している。

この「トランプ現象」については、イギリスのEU離脱に至る過程等との共通性が指摘され、世界的に民主政治がポピュリズムや「ポスト真実」の時代を迎えつつあるのではないかと危惧されている。筆者もこうした動きには懸念を持っており、トランプや政権に刺激されて社会的な不寛容や対立が深まる危険性もあると考える。しかし、トランプの政治手法やそれによって動員された「忘れられた人々」が注目されるあまり、選挙以降の政治対立が、あたかも全てトランプに主導された、熱狂的な支持者と強硬な反対派の対決であるかのように捉えられがちなのは問題と感じている。

それは、代議制民主主義における民意の表出には、選挙等を司る政治制度や、政党・政治指導者による動員といった媒介項の働きが重要な役割を果たすからである。とくに、アメリカの政治は選挙と統治のいずれでも、大統領(候補)だけでなく政府内外の様々な主体が影響力を行使できるような構造を持つ。そのため、トランプの考え方や行動がどんなに異例でも、多かれ少なかれ従来からの政治的構造の枠内で政治過程が展開する結果、政治が彼をめぐる単純な二項対立になったり、彼の思惑通り進むとは考えにくい。

そこで本稿では、大統領選挙以降の動きを、今日の二大政党政治の枠組みに位置付けて検討する。それによってトランプが進めようとする政治変化、いわば「トランプ革命」がアメリカの民主政治を変えうるのかに暫定的見通しを示したい。

まず前半部では大統領選挙について、トランプの本選挙での勝利が、イデオロギー的に分極化した二大政党の全国的な拮抗という今日の政治構造から恩恵を受けた一方で、その前の予備選挙段階での戦い方こそ革新的だったことを明らかにする。後半では、そこでの知見を踏まえて、「ポスト真実」的な政治言説や大胆な大統領令の相次ぐ発令といった、トランプ政権をめぐる政治の諸特徴がどの程度新しく、また政権の成否をどのように左右しうるのかを考える。とくに、政権の浮沈の鍵を握るとみられる、共和党の指導者や主流の支持者の動向にいかなる影響を与えうるかに注目する。

一連の分析を通じて、一見極めて独特にみえる選挙以降の様々な動きの多くが、ある程度まで現代アメリカの政治的流れの延長上で説明できることが強調される。少なくともこれまでのところ、「トランプ革命」は既存の二大政党政治の構造を利用しつつ、その枠内で生じている、というのが本稿の基本的な立場である。

分析を拒否する選挙戦

2016年大統領選挙は、(筆者を含む)アメリカ内外の大半の政治学者、ジャーナリスト、そして世論調査会社の予想に反する結果となった。ミシガン、ペンシルヴェニア、ウィスコンシンの3州でそれぞれ一般投票の1%未満、合計4万票弱の僅差でトランプが民主党のヒラリー・クリントンを破ったのが勝利を決定づけたのもあるが、事前の世論調査でトランプ支持者が態度を明らかにしなかったり、そもそも調査に応じなかったりして、実態よりもクリントン優勢の調査結果が出ていたことが原因として指摘されてきた。

しかし、この選挙の予想を難しくした最大の要因は、トランプによるあまりにも異例の選挙の戦い方だったと思われる。今日のアメリカでは、選挙戦の定跡がかなりの程度確立している。候補者の選挙対策組織は、世論調査や選挙コンサルタントを活用して、獲得したい支持層の組み合わせによって政策的主張の内容を詰める。そのうえで、テレビ広告やボランティアによる戸別訪問等を通じて有権者を動員しようとする。この一連の活動には莫大な費用がかかり、とくに本選挙では所属政党の組織との連携も重要となる。

ところが、トランプは「メキシコ国境に壁を作る」等、直感的な主張を展開し、選挙戦の初期には専門的な選挙技術もそれほど活用しなかったとみられる。主に自己資金で選挙を戦ったのもあって、使った選挙資金の総額はクリントンの半分程にすぎない。様々な問題発言によって、ポール・ライアン連邦議会下院議長を始めとする全国的な共和党指導者の多くを敵に回した結果、党組織との不和も目立った。そのうえ、トランプはヒスパニックを始めとするマイノリティや女性という、元々共和党が動員に課題を抱える有権者層を始め、多岐にわたる人々を激しく攻撃した。それらの暴言は、従来であれば単独でも選挙戦からの撤退に追い込まれておかしくない程のものだったのである。

デイヴィッド・メイヒューはその連邦議会研究の古典で、選挙の候補者達は皆プロの政治家であり、誰もわざと負けるような行動をとらないので、実際にそうしたらどれほどの影響が生じるかは知りようがない、と述べる(メイヒュー『アメリカ連邦議会――選挙とのつながりで』勁草書房、2013年刊)。ここでは、普通なら選挙戦に留まれないような暴言を吐く候補者が、定跡を大きく逸脱した戦い方をしたことが分析を著しく困難にしたのである。こうした異例さが、トランプをめぐる政治過程が特殊なものだという人々の印象を強めるように働いたのは間違いないであろう。では、選挙結果を事前に予測するのが困難だったとして、その帰結はどのように理解できるだろうか。


岡山裕 Hiroshi Okayama
(慶應義塾大学教授)

1972年生まれ。
東京大学法学部卒業。博士(法学)。東京大学助手、助教授等を経て現職。専門はアメリカ政治・政治史。主な著書に『アメリカ二大政党制の確立』(東京大学出版会)、論文“The Interstate Commerce Commission and the Genesis of America's Judicialized Administrative State”(Journal of the Gilded Age and Progressive Era, 2016)など。

 

フィリピン・ドゥテルテ政権の政治
― 民主化後の政治発展とエドサ連合

高木佑輔

(政策研究大学院大学助教授)

はじめに

2016年6月にフィリピン共和国第16代大統領に就任したロドリゴ・ドゥテルテはその過激な言動から国内外で関心を集めている。ドゥテルテ大統領の過激な言動や、繰り返される前言撤回について、フィリピン国内の識者の中にも「ポスト真実」の枠組みで考えようとする人は少なくない。そうした議論の是非はともかく、ドゥテルテ大統領は人気である。また、彼の言葉は明らかに過激で、人権や法の支配を軽視していることは間違いないであろう。さらに、1951年以来の防衛協定に基づく同盟国米国に対しても否定的な発言が絶えない。

以上のことから、ドゥテルテを反エスタブリッシュメントのポピュリストとラベル付けすることが手っ取り早いかもしれない。しかしながら、後述のようにドゥテルテに出馬を促したのは主流派を形成する長老政治家の一部であった。さらに、過去の大統領と比較してみても、大統領就任から1年程度はいわゆるハネムーン期間であることが明らかである。また、外交に関していえば、明確な親米路線を選択したといわれるアキノ政権ですら、方向性を定めるまでに半年以上かかったことは忘れるべきではないだろう(詳細については、拙稿「ドゥテルテ発言に翻弄されず日比関係の充実を」『ウェッジ』2016年12月を参照されたい)。

そこで本稿では、ドゥテルテ大統領個人の言動やスタイルという属人的な特徴からは一歩引いて、選挙戦の経緯、政権発足、そして政権を支える政治連合の特徴を整理する。

これらに注目するのは、大統領個人のスタイルを過度に強調するとフィリピン政治の実態を見誤ると考えるためである。フィリピンの政党システムが流動的であることを強調しつつ、政党に頼らない非組織的な政治動員をポピュリズムととらえるなら、民主化後のいずれの政権もポピュリズムに区分されてしまう。しかし、政党システムが流動的であったとしても、フィリピン政治を中長期の文脈、あるいは政治発展の文脈の中で議論することは可能である。そもそも流動的な政党システムがフィリピン政治の特徴であるとすれば、フィリピン政治においてエスタブリッシュメントの存在を想定することもできず、ドゥテルテが反エスタブリッシュメントという見方すら成り立つはずがない。ドゥテルテを例外とする見方は、フィリピン政治の本流がどこかにあることを前提としている。それでは、政党システムが流動的なフィリピンにおいて、どこに政治の本流なるものを見いだせるのであろうか。

そこで本稿が注目するのが、フィリピンの民主化を実現したエドサ連合の政治である。1986年の民主化は、フェルディナンド・マルコス大統領(1965-1986年)に反旗を翻した伝統的政治家、マルコス家とその取り巻き(クローニー)に愛想をつかした財界、クーデタを企画した軍部、深刻な人権侵害を懸念したカトリック教会、そして実際に反乱軍を取り囲み、大統領側の軍隊による発砲を思いとどまらせた民衆などがそれぞれの役割を果たすことで実現した。政変後、エドサ大通りにおける民衆蜂起の記憶が定着するなかで、政変そのものをエドサと呼ぶ識者が増加していった。他方で、連合を構成した主要なグループは、反マルコス政権以外に共通の政治目標を持たず、民主化実現後には様々な離合集散を繰り返してきた。ドゥテルテ政権の発足も、このようなエドサ連合を中心とするフィリピンの政治発展の中に位置づけることができる。

本稿では、選挙、組閣や予算編成といったこれまでの政治過程を整理しながら、ドゥテルテ政権を取り巻く政治連合の動態を明らかにしていきたい。まず、2016年5月の総選挙を振り返りながら、ドゥテルテを支持した人々の特徴や、支持の中身について考える。次に、閣僚人事を整理しながら、政権の特徴を浮かび上がらせたい。そして、予算案などを中心に政権がこれまでに行ってきたことを整理し、今後の政治指導を考えるための補助線としたい。以上の考察を踏まえ、政権を支えるグループ間の力関係について考えてみたい。最後に、ドゥテルテ政権の今後を理解するために必要なフィリピン政治の文脈というものについて考える。


高木佑輔 Yusuke Takagi
(政策研究大学院大学助教授)

1981年生まれ。
慶應義塾大学大学院で博士号(法学)取得。在フィリピン日本大使館専門調査員、フィリピン大学第三世界研究所客員研究員、デラサール大学教養学部国際研究科助教授などを経て、現職。専門は東南アジア政治。主な著書に“Central Banking as State Building: Policymakers and Their Nationalism in the Philippines, 1933-1964”(National University of Singapore Press)がある。

 

インターネット時代の中国ポピュリズム

阿古智子

(東京大学総合文化研究科准教授)

はじめに

一般に、中国は民主国家として分類されることはなく、昨今、主に欧米諸国に関して展開されているポピュリズム論争の中でも、取り上げられることはほとんどない。しかし、「人民民主」を掲げる中国政治には、ポピュリズムの要素が強く表れており、インターネットが登場してからは、その傾向がますます顕著になっている。インターネット時代の中国政治とポピュリズムには、どのような特徴があるのか。変化しつつある国際情勢の中で、私たちは中国のポピュリズムをどのように捉えることができるだろうか。

ポピュリズムと人民民主独裁

英国がEUから離脱し、米大統領選でトランプが勝利するなど、予想を覆す選挙の結果を受けて、先進諸国でポピュリズムの嵐が吹き荒れていると言われている。

ポピュリズムについては、大きく分けて2種類の定義が使われてきた(水島 2017)。一つは、固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイルである。もう一つは、「人民」の立場から既成の政治やエリートを批判する政治運動である。つまり、ポピュリズムとは、政治変革を目指す勢力が既成の権力構造やエリート層を批判し、「人民」に訴えてその主張を目指す運動である。ポピュリズムは、民意を反映していない民主政治への失望や疑念から生まれる。

中国は共産党以外の政党による執政を認めておらず、国民が選挙などを通して政治に参加する機会も大幅に制限しているため、民主政治の機能不全といった説明は成り立たない。しかし、共産党政権も民意を反映する努力を怠るわけにはいかず、常に「人民」が中国の主人公であることを強調してきた。

「為人民服務」(人民に奉仕する)という言葉は、毛沢東が1944年9月8日に演説で使い、文化大革命期には毛沢東思想と共に大々的に広められた。党規約や憲法に明示されており、スローガンとして中国社会に定着し、現在に至るまで官製メディアに度々登場する。軍事パレードで、軍事委員会主席が中国人民解放軍の兵士を閲兵する際には、「同志たちよ、ご苦労さん!」と主席が兵士に声をかけ、兵士は「人民に奉仕します!」と応じる。鄧小平から習近平に至るまで、歴代指導者はこの慣例を繰り返してきた。

では、この「人民」とは、一体誰を指しているのか。

水島治郎はマーガレット・カノヴァンの三つの分類を引用し、ポピュリズムにおける「人民」を次のように説明する。(1)「普通の人々」(「特権層」に無視されてきたサイレント・マジョリティ)、(2)「一体となった人民」(特定の団体や階級ではなく主権者たる国民。民意は多様であるとはみなさない)、(3)「われわれ人民」(同質的な特徴を共有する人々。「国民」や民族集団を「人民」と見なして優先し、外国人や民族的・宗教的マイノリティは「よそ者」として批判の対象となる)。

中国では「国民」「市民」「公民」「人民」などの言葉が、時代の変化に影響を受けて使われてきた。伝統的に「公」の範囲は儒教文化や、皇帝や官(役人)との関わりから規定され、20世紀に欧米の政治思想が流入すると、「公民」や「国民」の概念が発達した。「人民」は社会主義の概念であり、中国の憲法第1条は「人民民主独裁」を規定している。すなわち、支配階級である「人民」(労働者階級と農民の労農同盟)が敵対階級(資本家階級)に対して独裁を加え、支配階級内部においては民主を実行するという考えである。

改革開放政策によって市場経済が進展すると、「先進的生産力の発展の要請」「先進文化の前進方向」「最も広範な人民の根本的利益」を代表するという「三つの代表」思想が導入され、「先進的生産力」に含まれる私営企業家の入党が認められるようになった。これにより、支配階級と敵対階級の関係は成立しなくなった。しかし、第1条は依然修正されておらず、中国の「人民」とは基本的に労働者と農民を指す。だが実際には、労働者と農民は社会の主人公であるどころか、最底辺に追いやられている。


阿古智子 Tomoko Ako
(東京大学総合文化研究科准教授)

1971年大阪府生まれ。
大阪外国語大学外国語学部中国語学科卒、名古屋大学国際開発研究科修士課程修了、香港大学教育学系Ph.D.(博士)取得。在中国日本大使館専門調査員、早稲田大学国際学術院准教授などを経て、現職。専門は社会学、中国研究。主な著書に『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告』(新潮社)などがある。

 

小池都政における都民と“民意”

金井利之

(東京大学大学院法学政治学研究科教授)

はじめに

2016年7月31日の選挙で圧勝により当選した小池百合子・東京都知事は、「高い」支持率を維持して都政運営を進めてきた。就任後4カ月を振り返って、2016年12月1日の都議会第4回定例会では、以下のような所信表明を行った。

「東京大改革」という旗を掲げ、知事に就任いたしまして、早4か月となります。東京大改革とは、都政を透明化し、常に情報を公開し、都民と共に進める都政、「都民ファースト」の都政を実現することであります。全ての施策、お金の使い道が、真に都民の利益にかなうものなのか。それを常に念頭に置き、行動をしてまいりました。そのため、就任直後からの100日間は、まず都政の様々な課題を掘り起こすことに邁進をしてまいりました。

連日メディアでも都政が主題に採り上げられ、都議会の様子もかつてないほどに注目を集めました。より多くの都民の皆様に、都政を、都議会を注視していただくことは、非常に重要なことであると考えております。一番身近な政治の場で、何が語られ、何が討議され、何が議論されなかったのか。自分たちの税金が、どのように活かされていくのか。それを一人でも多くの都民の皆様に見て、知っていただきたいとこのように思います。

この100日間の間、最も注目を集めました課題は、言うまでもなく「東京2020オリンピック・パラリンピック」、この経費の問題、そして「築地市場」の移転問題であります。東京2020大会を最高の大会とするために、膨張し続ける大会経費に歯止めをかける必要と責任が、都民の代表であります私にはあります。市場の移転に関しましても、移転ありきの結論の優先ではなく、都民の、そして食を預かる市場関係者の最大の関心事であります安全・安心の確認が重要と考えました。誤った情報や手続きを糺す必要と責任が、私にはありました。(以下省略)

「都民の代表」である都知事が「都民ファースト」の都政を目指すのは、至極当然のことのように思える。しかし、小池知事は、“民意”という言葉は、所信表明では用いていない。むしろ、「注目を集め」「注視していただく」ことで、「都民の皆様に見て、知っていただ」くことを重視している。他方、近年日本では、“民意”と言う表現が、実務的にも、研究的にも、採用される傾向が生じている。そこで、本論文では、都政における都民と、あえて使われない“民意”について、自治体の一般論と、都政の個体論を踏まえつつ、検討してみたい。

二元代表制論と“民意”

(1)二元代表制論

現代日本の自治制度は、二元代表制論で語られている。憲法第93条第2項によれば、首長および議会議員は住民から直接選挙されるとある。これは、戦前の府県知事官選制を否定するとともに、市制・町村制で見られた市町村会が市町村長を選任する間接公選制をも否定する。戦後当初の単純な比喩では、(アメリカ型)大統領制として表現された。しかし、その後、住民が首長と議会という2種類の代表機関を別個に直接選挙することから、二元代表制と呼ばれるようになった。

二元代表制論の政治的意図は、議会側が主張する「住民代表=議会」論を打ち消すことである。戦後当初、自治体運営においては、議会側が「我々は住民の代表だ、我々(のみ)の意見を聞け」と首長に迫る。憲法上も地方自治法上も、自治体議員が「代表」だとは明示していないが、慣例的に議員が民衆を代表するのは当然と考えられてきたので、これ自体は受容されてきた。

これに対する首長側の対抗言説は、当初は首長制論であった。例えば、議会の権限は限定列挙であるが、包括的な権限が首長に推定されている。予算・人事を握る首長が、政治資源の面からも優位である。行政国家化に伴い、議会に対する行政の優位は時代の趨勢である。行政は個別利益の代弁である議員・党派からは自立し、全住民のために公平中立性でなければならず、首長は行政のトップとして自治体を統轄代表する。さらに、機関委任事務体制では首長は主務大臣など国等の機関であって、法律上も公益上も、議会に対して優位に立つ、などというものである。しかし、いずれも、首長の正統性を民主主義によって弁証するものではない。

議会側の「住民代表である議員の声を聞け」という民主主義的な「正論」に対して、首長側が正面から挑戦したのが、住民参加論と二元代表制論である。前者は、住民の声を行政が直接に聞く住民参加をすれば、議会に遠慮することはないとする。後者は、議員も首長も住民から直接選挙される住民代表であることに差異はないので、首長は議員に遠慮することはないとする。

代表という観点からは優劣のない首長と議会の関係は、機関対立主義論・機関競争主義論で処理される。前者は権力分立的な抑制均衡論である。後者は、真の住民代表はどちらであるかは、代表機関である議会と首長が競争し、最後は住民に判断してもらう、ものである。もっとも、機関対立主義に基いて本当に両機関が衝突すれば、自治体運営は停滞する。機関競争主義で住民が決着を付けるといっても、異なる選挙で対立する勢力がそれぞれ選出され得る。従って、実は住民による決着は機関競争主義論では想定されていない。むしろ、実態の権力関係では首長制論の言うように首長優位であり、反首長勢力が議会選挙で多数選出されても運営が滞ることは少ない。いわば、民主主義以外の根拠で首長優位を謳う首長制論は、民主主義によって議会優位を否定する二元代表制論によって、規範的に支えられる。


金井利之 Toshiyuki Kanai
(東京大学大学院法学政治学研究科教授)

1967年生まれ。
東京大学法学部卒業。東京大学法学部助手、東京都立大学法学部助教授、東京大学大学院法学政治学研究科助教授を経て、現職。専門は自治制度、自治体行政など。主な著書に『財政調整の一般理論』『自治制度』(ともに東京大学出版会)、『実践自治体行政学』(第一法規)など。

 

噓の明治史
― 五/七/五で噓を切る

五百旗頭薫

(東京大学大学院法学政治学研究科教授)

権力者の噓/挑戦者の噓

日本政治の現況に触発されて、私は「噓の明治史」を書き始めた。年2回刊行の本誌の前々号と前号とに寄稿させて頂いているうちに、イギリスではEU離脱を可とする国民投票があり、アメリカではトランプ大統領が誕生した。あからさまな噓を政治家が平然と語り――私が「横着な噓」と呼ぶ行為――、その噓によって大きな打撃を受けないという事態が、メインストリームとなったのである。世界中で、噓についての論評が溢れかえるようになった。先見の明を誇る気分にはなれないのだが。

もっとも、日本国内の噓と海外の噓には違いがある。前々号で、日本での横着な噓の背景をこう説明した。

無党派層のよく変わる審判は政治家にとって不気味であり、自民党も民主党も投票のスウィングに翻弄された。

今の政党は、得票の確実な周辺部へと避難しているように見える。ナショナリズム、平和主義、連合、創価学会、共産党などがこれらの城塞にあたる。いずれも、自らが多数派になるという期待を持っていない。したがって、無党派層が占めるうつろいやすい中原にはリップサーヴィスを行うが、リップサーヴィスしかしない。

これが噓の増えた背景であろう。

中原に向けてリップサーヴィスを行う必要がより大きいのは統治する側である。したがって、もっぱら政権の噓が際立つのであった。

日本以外の先進諸国においては、状況は異なる。これらの国々においては、グローバリゼーションの最大の敗者は、白人労働者である。賃金の低い非白人の労働者が流入し、それとの競争を強いられるからである。ならば周辺部の城塞には目もくれずに、怒れる中原に訴えれば、勝利できてしまうことがある。だからエスタブリッシュメントに挑戦する側が噓をつき、それが激震を起こすのである。

特にアメリカでは、ソーシャルメディアや圧力団体・NPOの発達によって、マイノリティにきめ細かく利益を配分する仕組みが出来上がっており、民主党が特にこれに長けていた。これら配分の束を体系的な政策と称する虚構が、ポリティカルコレクトネスや良識と呼ばれるものと異体同心に見えてしまったのが、この度の敗因であろう。

日本では移民や難民が限られているので、こうしたリスクにはさらされていない。だからこそ、民主主義と国際協調の本筋を示し続ける義務があるであろうし、それができたならば、世界が我に返った暁には、日本外交の大きなアセットとなっているであろう。

ついでに噓に抗する装備を自らの歴史から発掘しておければ、アセットの小さなおまけぐらいにはなるであろう。このおまけを目指すのが「噓の明治史」である。

対立を乗りこなす

対立がヒートアップすると、噓が増える。政治家は必死となり、それこそ必死の噓――露見すると政治生命にかかわる噓――をつくことがあるであろう。必死の噓はいけないが、まだしも人々の判断に影響を与えようとする努力の帰結である。このような努力すらしなくなると、横着な噓である。その時に発生するであろう絶望やニヒリズムへの懸念から、この考察は始まった。

横着に対してはやはり努力で対抗すべきであって、言葉の可能性を動員した説得のことをレトリックと呼んだ。

1年前には半ば直感であったものが、現在は理由を説明しやすい。横着な噓をつく者は、横着であればあるほど、事実や論理や良識や権力をものともしない、力の内在を一部の聴衆に感じさせることが分かった。これにただ反論しても、今列挙した外在的な何かによりかかっているような弱さを感じさせてしまう。反論する側も力を必要とするが、およそ力の源泉になりそうなものは外在化されてしまっているので、言葉そのものの力しか頼めない。この力ある言葉をレトリックと呼んだのである。

横着な噓の製造は、これまた横着であればあるほど容易そうである。対抗してレトリックを生産し続けるのは、職業政治家の手に余るかもしれない。政治評論がレトリックを提供したり、文芸が、意識的かどうかはさておき、レトリックの祖型を提供したりするかもしれない。明治時代には政治家がしばしば記者でもあり、政治と文芸の距離が小さいので、考察の対象とした。

対立する陣営の指導者が、なれ合いや欺瞞に陥らずに妥協するよう誘う言説を、前々号にて福地櫻痴の歌舞伎を題材にして考えた。対立が増幅し、悪循環になることの恐ろしさと、それを克服する方途について、政治小説が語ったことを前号で紹介した。

つまりもっぱら対立をどう抑制するかを論じて来たのであるが、対立のない世界を目指していたわけではない。横着な噓を減らすには、政治家同士が牽制しあうのが第一歩だからである。噓との戦いは、対立を乗りこなす試行錯誤の連続である。

対立する陣営のうち、より弱く小さい側が成立し、存続することは自明ではなく、大切なことである。そこで本稿では、野党を支える言説について考えたい。


五百旗頭薫 Kaoru Iokibe
(東京大学大学院法学政治学研究科教授)

1974年生まれ。
東京大学法学部卒。博士(法学・東京大学)。東京都立大学法学部助教授、首都大学東京准教授、東京大学社会科学研究所准教授などを経て現職。専門は日本政治外交史。著書に『大隈重信と政党政治』(東京大学出版会)、『条約改正史』(有斐閣)など。

 

よりよき公文書管理制度のために
― イギリスとの比較に基づいて

奈良岡聰智

(京都大学大学院法学研究科教授)

はじめに

情報公開法(2001年)、公文書管理法(2011年)の施行によって、わが国でもようやく公文書管理制度が整ってきた。二つの法律に基づく枠組みのもとで、近年膨大な量の公文書の保存・公開が進められている。最近では、行政機関への公文書の開示請求は、日常化している。また、過去の政策の検証も容易になってきており、戦後の外交文書を用いた歴史研究などは着実に進展している。公文書管理制度の整備は、地味ながら民主政治や学術文化の発展を担保するものとして重要である。近年の政府による努力は、高く評価したい。

もっとも、わが国の公文書管理制度は、他の先進諸国に比べればまだ「周回遅れ」という感が否めない。端的に言えば、日本の公文書館の規模は、諸外国に比べて著しく見劣りしている。職員数だけを見ても、日本の国立公文書館(47人)は、アメリカ(2720人)、ドイツ(790人)、イギリス(600人)などの欧米先進諸国は言うまでもなく、韓国(340人)など東アジア諸国にも大きく水を開けられている(2008年の国立公文書館の調査による)。また、2014年に内閣府が実施した調査によれば、協力した地方公共団体914中、公文書管理の条例化を行っている団体は88(4都道府県、84市町村)、公文書館を設置している団体は80(28都道府県、52市町村)にとどまっている。

体制の整備に関しても、課題は山積している。公文書管理法では、国立公文書館が行政文書(行政府の保有する文書)の「統一的管理」を行うことを規定しているが、実際には独立行政法人たる同館の権限は非常に弱く、各省庁がそれぞれの「中間書庫」を設置し、文書の管理・選別を行っているのが現状である。当然、国立公文書館への行政文書の移管も不十分である。公文書行政を担うアーキビストも、日本ではまだ専門職として十分に認知されておらず、養成体制も整っているとは言えない。

また、日本では「30年ルール(作成後30年を経た公文書を公開する原則)」の定着に向けた努力がなされているが、それすらもまだ十分に根付いていない。これに対して欧米では、作成後30年に満たない公文書であっても、可能なものはできるだけ公開するという風潮が強くなってきている。例えばイギリスでは、情報自由法(Freedom of Information Act, 2000年制定、2005年全面施行)によって既に「30年ルール」は廃止され、2013年には20年を経ただけの文書も公開され始めている(2023年に「20年ルール」を全面実施予定)。

こうした状況を改善し、国立公文書館の機能を拡充する必要性がつとに指摘されてきたが、書庫の収容スペースがまもなく限界に達することから、昨今にわかに新館建設の機運が高まってきた。しかし、規模の拡充は歓迎すべきことであるが、今のところ、立地など「ハコ」に関する議論が先行しがちで、新館の機能に関する議論は十分に詰められているとは言い難い。そこで本稿では、日本の公文書管理体制の改善策を探るため、イギリスのそれとの比較を試みる。近年筆者は、イギリス各地の文書館(アーカイブズ)で史料調査を行い、その充実ぶりに感銘を受けてきた。イギリスでは、文書館が政治・社会の透明性を担保する重要な存在として認められており、各種公文書の作成から保存・公開に至る「ライフサイクル」を一貫した枠組みの中で管理するシステムが確立している。イギリスの事例と比較することによって、わが国の公文書管理体制に何が欠けているのか、今後どこを改善すべきなのかを浮かび上がらせるのが、本稿の目的である。

公文書館新館建設をめぐる論点

2014年5月、内閣府特命担当大臣によって、「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」(座長、老川祥一・読売新聞グループ本社最高顧問。以下、検討会議)が設置された。同会議は、翌年3月に「提言」を発表し、国立公文書館の新館建設のための基本的な方向性を示した。これに先立って、2014年2月に「世界に誇る国民本位の新たな国立公文書館の建設を実現する議員連盟」(会長・谷垣禎一自民党幹事長)が設立されていたが、同議員連盟も2015年3月に、首相・衆参両院議長に新館建設を要請した。検討会議は、こうした政治的後押しのもとで議論を重ねて、2016年3月に「国立公文書館の機能・施設の在り方に関する基本構想」を発表し、その後さらなる検討を進めている。

「提言」では、「新たな国立公文書館に関する基本的論点」として、以下の3点が掲げられていた。

 (1)憲法など国の重要歴史公文書を展示・学習する機能
 (2)立法・行政・司法の三権の重要歴史公文書の保存・利用
 (3)国会周辺に立地する公文書の重要性を象徴する施設

このうち(1)(3)については、大方の賛同が得られるように思う。各国の国立公文書館は、首都またはその近郊に置かれ、充実した展示スペースを備えているケースが多い。これに対して、わが国の国立公文書館は、本館は東京(千代田区北の丸公園)に置かれているものの、狭隘で、相当数の資料が分館(つくば市)に収蔵されているため、お世辞にも使い勝手が良いとは言えない。また、近年話題になった「JFK―その生涯と遺産展」(2015年)など、意欲的展示も行われているが、他国の公文書館に比べ、展示機能が充実しているとは言い難い。新館建設を機に、これらが是正されるのであれば望ましいと考える。ただし、歴史的展示を行う場としては、既に衆議院憲政記念館、国立博物館昭和館、国立歴史民俗博物館といった施設が存在しており、これら既存の施設との役割分担について、十分に検討する必要があるだろう。とりわけ、2016年5月に衆議院議院運営委員会の小委員会で、新館が国会前庭に建設することが決定されているので、隣接する衆議院憲政記念館との関係をよく整理すべきである。

筆者が特に注目しているのは、(2)である。この提言は、従来明確なルールがなかった立法府・司法府の保有する文書(立法文書、司法文書)の保存・利用を求めているという点で、画期的なものである。ところが、その後示された「基本構想」では、司法文書への言及がほとんどなされておらず、関心が失われたように見える。他方で、立法文書については、「移管が可能な文書については、公文書管理法に基づく立法府から国立公文書館への文書の移管について積極的に検討されるべき」とされ、引き続き関心が示された。しかし、検討会議の議事録を見る限り、こちらについてもその後具体的な検討は進んでいないようである。


奈良岡聰智 Sochi Naraoka
(京都大学大学院法学研究科教授)

1975年生まれ。
京都大学大学院法学研究科博士後期課程修了(政治学)。博士(法学)。京都大学大学院法学研究科准教授を経て、現職。専門は日本政治外交史。著書に『加藤高明と政党政治』(山川出版社)、『「八月の砲声」を聞いた日本人』(千倉書房)、『対華二十一ヵ条要求とは何だったのか』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)など。

 

安保法制は何を後世に残したのか
― もうひとつの安倍政権論

河野勝

(早稲田大学政治経済学術院教授)

はじめに

戦後続いてきた日本の安全保障の枠組みは、安倍晋三政権によって大きく変更された。この重要な政策転換を、日本の有権者はどのように受け止めたのだろうか。

歴代の内閣は、現行憲法のもとで集団的自衛権の行使はいかなる場合にも憲法違反にあたり、たとえ親密な同盟国であってもその国の防衛のために日本の自衛隊が反撃することは認められないという解釈を、一貫して踏襲してきた。これに対し、安倍首相は、日本と密接な関係にある国が攻撃され、日本の存立が脅かされる「存立危機」事態が想定される場合には、集団的自衛権を行使することが憲法上認められるとする解釈を打ち出した。そして、2015年9月、そのような解釈に基づき、新しい平和安全保障法制がついに成立した。

一般に、成熟した民主主義のもとでは、政権の交代などにともない経済政策や社会保障制度が変更されることはしばしばあるが、安全保障に関する国家の方針が大きく変わるということはそう頻繁には起こらない。この意味からも、安倍首相が解釈改憲を断行し、限定的ではありながら集団的自衛権の容認へと舵を切ったことは、日本の政治史上、疑いなく画期的な事件であった。

しかし、ことの重大性にもかかわらず、安倍政権のもとでの安保転換を主権者である国民がどのように認識し評価したのか、またそうした認識や評価が時を経るにつれてどのように変わっていった(変わらなかった)のか、といったことについては、よくわかっていない。

新しい安保法制が提案され成立するまでの政治過程では、国会の内外で賛否両方の立場から議論が巻き起こり、「国論が二分された」などと評された。実際、法案成立前後の一時期、安倍内閣に対する支持率は低下し、各地で大規模な抗議デモが繰り広げられた。しかし、法案が成立すると、内閣支持率はしだいに回復し、抗議デモは収束に向かった。翌(2016)年夏に行われた参議院議員選挙においても、新安保法制に対する批判が政権与党に政治的打撃を与えた証跡はほとんどみられない。はたして、この安保法制をめぐる人々の態度や意見は、本当に「国論が二分された」といえるような形で分断されていたのだろうか。そうだとすると、いったいそれはどのようにして縫い繕われていったのだろうか。それとも「国論が二分された」状態は、それ以後も(今も)続いているのだろうか。

本稿は、日米共同研究の一環として実施された学術的な世論調査(および調査に組み込んで行うサーベイ実験)の結果をもとに、日本の安全保障をめぐる人々の選好が新しい法制の成立を機にどのように変容したかを明らかにする。分析に用いるデータはすべて、2015年から2016年にかけて、筆者がスタンフォード大学のマイケル・トムズ教授とともに継続的に行った数波の調査から得られたものである。より具体的には、本稿のテーマに直接関わる2回の調査は、安保法案がまだ閣議決定を経ておらず未確定であった時点(2015年3月)と、新しい安保法制が成立してしばらく経過してからの時点(2016年7月)とに、それぞれ実施したものである(以下「事前調査」「事後調査」と略記する)。どちらの調査も(株)日経リサーチ社の協力を得てウェブを通して実施され、この種の調査としては異例な規模である8000人以上の日本人(20-69歳までの男女)を対象にして行った(そのうち約5000人は両方の調査に回答した)。事前と事後の調査結果を比較分析することを通して、人々の認識や評価がどのように変化したか、そしてその背景にどのような要因が働いていたかを考察することが可能となる。

筆者らの調査は、以下で順次紹介していくように、日本の安全保障問題に特化し、集団的自衛権の行使とそれに課されるべき制約条件について人々がもつ選好を体系的に把握することを目的に、いわば特別仕立てで設計されたものである。したがって、この調査データからは、メディア機関などの定期的ないし一般的な世論調査で尋ねられる質問への回答を集計しただけでは浮かび上がらない態度や意見の分布を、より正確に捉えることが可能となる。分析結果を先取りしてまとめれば、次の三つが注目に値する重要なポイントであろうと思われる。

第一には、いかなる場合においても集団的自衛権を認めるべきでないとする立場は、たしかに当初は強い支持を集めたが、安保法制の成立した後ではその立場は大きく後退した、ということである。わかりやすい言葉を使えば、集団的自衛権に対して人々がもっていた「アレルギー」ないし「拒否反応」とでもいうべきものは、わずか1年半たらずの短いあいだにかなり小さくなった、ということができる。

第二に、集団的自衛権に対する人々の許容度が増大した背景には、存立危機事態という概念が導入されたことが要因として働いているという点である。少なくとも人々の認識の上では、存立危機事態という概念が集団的自衛権の行使を制約する条件として、有効に機能しているのである。この第二のポイントは、意外な結果のように感じられるかもしれない。なぜなら、存立危機事態という概念については、安倍政権が国会審議のなかで最後までそれを明確に説明せず、曖昧であるとの批判が尽きないからである。

しかし、われわれの調査結果が明らかにする第三の点は、人々はこの存立危機事態なる概念がさまざまに解釈されうる可能性を自覚しつつも、だからといってそれを理解不能で無意味な概念であるとはけっして捉えていない、ということである。どのような状況が存立危機事態であるかを定義できなくても、複数の状況が提示された場合にどちらがよりそれに近いかということについて一定の同意が成立するくらいには、人々はこの概念についての理解を共有しているのである。

こうした調査結果の分析とそこから得られる知見をふまえ、本稿では、安倍政権が安全保障の新しい枠組みを構築したことの意義を、これまで議論されたことのない観点からあらためて考えてみたい。はたして、安倍首相はこの政策転換により、後世にその名を残すことになるのだろうか。政治家の功績やリーダーシップについての評価は、在任中に下されるべきでなく、歴史が決めるものというのが世間一般の常識である。しかし、安倍首相に対する評価が、ともすると党派的立場を反映した一方的な称賛もしくは批判に終始しがちであるからこそ、本稿では価値中立的な学術的検証を貫くことにこだわり、安保転換が何を遺産として残すことになるのかを、客観的データを拠り所にして考え直してみたいのである。


河野勝 Masaru Kohno
(早稲田大学政治経済学術院教授)

1962年生まれ。
エール大学M.A.(国際関係論)、スタンフォード大学Ph.D.(政治学)。ブリティッシュ・コロンビア大学助教授などを経て、現職。専門は、日本政治論、国際関係論。著書に“Japan's Postwar Party Politics” (Princeton University Press)、『制度』(東京大学出版会)など。

 

「木」と「森」の区別ができる日韓関係とは
― 異なる「歴史物語」に基づく論争を乗り越える

李承赫

(ヘブライ大学トルーマン平和研究所ポスドク・リサーチ・フェロー)

政府レベルの政策合意は継ぎ当てでしかない

大韓民国(韓国)と日本の両政府が2015年12月、政治化し、懸案となっていた慰安婦問題についてようやく合意に達したことは広く知られている。このところの韓国の政治的な混乱、そして次期大統領選挙に出馬する構えの候補者数人がこの問題を取り上げていることから、合意の先行きにいささか疑問符が付くような状況になってはいるが、両国政府が慰安婦問題の解決を、安全保障分野も含めた両国間の広範な協力に不可欠な前提条件として理性的に認識した結果であることは否定しがたい。この合意が第二次世界大戦後の韓国と日本の二国間関係における最も重要な出来事の一つであることは間違いなく、両国のすべての人を満足させるのは不可能であるということを考えれば、この問題を過去の歴史として片付けて前進するためのグランド・ディール(大きな取引)は、確かに論争は呼んだが勇敢な一歩だった。

しかしながら、現在の韓国の政治的な混乱がなかったとしても、この合意を受けて両国関係が根本的に安定していたとは思えない。私が思うに、遅かれ早かれ、韓国社会の中で合意の無効化もしくは再交渉を求める市民の声が上がっていたはずである。この点に関しては、そもそも合意に署名した朴槿恵大統領の政権の崩壊と、合意に批判的である韓国政治における「進歩的」な左派陣営の復活が、避けられない結果の到来をひとえに早まらせたに過ぎないと言うことができる。

両国政府の政策レベルでの関係改善はあっても、このような合意は目に見える症状に対する単なる「継ぎ当て」に過ぎず、歴史に関する、社会・市民レベルでのあらゆる見解の相違に通底するより深い構造的な原因に対処していないからである。合意の有無にかかわらず、慰安婦問題の真実をめぐり――特に日本政府の直接的な関与の度合い、巻き込まれた女性たちの意図、慰安婦募集の性格などに関して――両国民のかなりの部分に相変わらず深刻な見解の相違が存在する。そして、このような見解の相違は、協定によって根本的に乗り越えられるものではない。つまるところ、それは、より深く根を下ろした一般的な傾向の一症状である。その一般的傾向とは、穏健な一般市民に受け入れられている自国の「歴史物語」(historical narratives)に関して、深刻な隔たりがあることである――それぞれの国の一般市民と政府の間で、そして韓国の一般市民と日本の一般市民の間で。

木村幹(神戸大学教授)、ジェニファー・リンド(米ダートマス大学准教授)、アレクシス・ダデン(米コネチカット大学教授)、テッサ・モーリス=スズキ(オーストラリア国立大学教授)、玉置拓(英ラフバラー大学准教授)など、日韓関係の専門家によるこれまでの研究が示唆しているように、社会レベルで二つの国家的な歴史物語の内容の齟齬が拡大しており、両国関係における相互のネガティブなイメージがさらに強まることによって政策にも深い影響を及ぼしている。慰安婦問題のような特定の事案に関する症状を管理することは、私たちに前進の幻想を一時的にもたらしうるが、その根本的原因に対処しなければ長期に及ぶ悪影響が生じ、将来的に同様の症状に対処するコストを重くすることにもなる。

過去の出来事に関して、韓国と日本の見解の不一致が増しているのは事実だが、ここで論じたいのは、双方の社会で特定の歴史物語が広がる基本的なパターンは似通っているという点である。本稿では、慰安婦問題であれ、独島/竹島の領有権論争、あるいは他のどのような歴史問題であれ、個々の相反する主張の妥当性については触れない。それらの細部に関しては、韓国と日本の公式的な主張、両国のナショナリスト勢力が広めている解釈、多数に及ぶ学術的研究がすでに定型化している。代わりに、二つの社会とその見解の不一致の根底にあるものとして、見過ごされている二つの観念上のパターンおよび背景を探ってみたい。

その一つめは、「一般市民の間に定着した自国の例外論に対する信念」である。これは、外部の勢力によってもたらされた困難や悲劇にもかかわらず、自国が世界史というより広い文脈の中で固有の集団的達成を果たしたという誇りの意識だ。

これと関係する二つめの流れは、「そのような固有の歴史的達成が今、隣国による中傷的な歪曲を受けているという社会的な信念」である。これを双方の市民が、放置すれば国際社会からの信認の低下、あるいは不当な判断に行き着くことになる潜在的な脅威と見なしている。それゆえにどちらの社会も現在、誇りとする固有の「物語」を守り、それを国境の向こうへ発信しようとする防衛本能に突き動かされている。したがって、現在の韓国と日本における相異なる歴史物語の台頭は、両国が互いに相手側による自国の描かれ方の誤りを正そうとする動きであり、その動きは「向こう側」の不正義と不公正に対抗するという意識から生まれている。決定的に重要な点として、双方の大半の市民が、「誇り/例外論と防衛本能/被害者意識という二つの同じ観念上のパターン」が相手側でも同じように作用している可能性に気づいていない。

両国の一般市民の間で、日韓関係の特定の時期において自国をより肯定的に描く物語に支持が集まっている根底には、この二つの観念上のパターンがある。たとえ双方の主流派の市民が日常生活において必ずしも民族主義的ではなくても、である。どちらの市民も、相手側が自分たちの「物語」――国家の歴史物語――に耳を傾けようとすることは部分的にでもないはずだと確信しているために、表面的な政策上の進展によって社会に定着したいら立ち、あるいは真の和解の見通しに対する冷笑主義を和らげることはできない。

双方の一般市民の間において、異なる歴史物語を押し出している共通の観念上のパターンが放置されたままであるなら、政策合意が真の和解への本当に持続可能なステップになると見込むのは希望的観測である。この二つの観念上の潮流は、両国間の歴史に関係するすべての交流の背景に潜んでいるため、私たちは政府レベルだけでなく、政策立案者たちが国内の雰囲気にさらされていることに目を向けなければならない。端的に言えば、政府レベルの交流に主として注目する多くの政策専門家やジャーナリストが信じていることとは裏腹に、現在の日韓間の論争の主因は必ずしも日本の政界における「修正主義」の高まりでも、韓国政府が日本たたきを内政上の目的に使っていることでもない。


李承赫 Seung Hyok Lee
(ヘブライ大学トルーマン平和研究所ポスドク・リサーチ・フェロー)

1975年ソウル生まれ。
延世大学校政治外交学科卒業。早稲田大学大学院政治学研究科で修士号取得。カナダ・トロント大学大学院政治学研究科で博士号取得(国際政治学)。カナダ・ウォータールー大学・バルシリー国際関係大学のJapan Futures Initiativeプロジェクト研究員、ウォータールー大学付属レニソン大学東アジア学部専任講師、北海道大学大学院法学研究科講師を経て、現職。

 

二十一世紀の「大きな話」、あるいは歴史を動かす蛮勇

池内恵

(東京大学先端科学技術研究センター准教授)

「大ざっぱ」の効用

文芸評論家の篠田一士(1927-1989)が1988年に著した『二十世紀の十大小説』(新潮社)は、この著者らしく、大きな風体の本である。「大ざっぱ」と言ってもいい。当時まだ終わってもいなかった「二十世紀」をひとまとめにするというだけでも大づかみだが、その「十大小説」というのである。一体何事かと思って本を開くと、プルースト『失われた時を求めて』やジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』といった、「長い」という意味で文字通り「大きな」小説が、「大きい」ということ以外に何ら共通項が示されることなく、並べて論じられているのである。

今から振り返ると、無自覚に勢いの良かったその時代の日本を表す格好の著作と見えなくもないが、刊行当時は、純文学の文壇ムラ社会の空気を読みすぎて疲れ果てたかのような繊細で小心な作家たちの紡ぐ胃の痛くなるような作品と、それをさらに詳細にネチネチと読み込む批評に慣れていた読者の目には、違和感を感じさせるものだったかもしれない。しかし、あえて「大きい」小説を「十」並べるという、分析枠組みとも言えないような手法で二十世紀の文学を振り返る蛮勇は、改めて評価されていい営為である。

そして、定期的に蛮勇を振るって「大きな話」をしてみることは、実はかなり重要なことなのではないか。文学だけでなく、国際政治を見るためにも、我々が今どのような時代を生きているのか、今後何が起こるのかを、単純な道具立てで、巨視的な視点で論じてみることは、意外にも、身近な細々としたものを含む様々な問題に、見通しを立ててくれるものなのではないか。

ミード『神と黄金』という難問

このようなことを考えるようになったのは、ウォルター・ラッセル・ミード『神と黄金』を読み込んで書評を書かなければならなかったからである。日本国際政治学会の学会誌『国際政治』の書評委員の方から、この本を取り上げて書評するようご依頼を受けた。じっくりと読み込んでみたい本ではあったので、お引き受けしたのであるが、いざ取り組むと、大いに難渋した。

この本は、学会誌の書評で通常なら検証・評価の対象にすることがさりげなく避けられるような、「大きな話」を扱っている。現在の世界秩序を成り立たせる原理は何か。その秩序を生み出し、広げてきた主体とその原動力は何か。その秩序は今後も長期にわたって健在なのか、あるいは何か別のものによって置き換えられるのか。もし置き換えられるのであれば何が新しい秩序の原動力となるのだろうか? こういった大きな問いかけに対して、著者は独自の視点からの、ある意味では体系だった解答を示す。

一般読者の目には、この問いかけとそれへの答え方は、至極まっとうな、国際政治学者であれば誰でも取り組まなければならないもののように見えるかもしれない。しかし専門研究者というものは、普通はこういった大きすぎる問いを発して答えようなどとはしないものである。大きすぎる問いと、独自すぎる答え方は、議論の検証可能性を乏しくする。もっと小さな範囲に対象を限定して、精緻な仮説を提示し、巧みに概念枠組みを設定し、限定された範囲での因果関係を緻密に検証することで、専門研究者は評価を得て、地位を築く。もしかすると学問の道に踏み入った時は大きな問いを胸に抱いていたのかもしれないが、いつしかそのような、結果が出ない、評価を得られないことはしなくなるものである。

ところが、ミード『神と黄金』は、蛮勇をふるって「大きな話」をする。自覚的、あるいは露悪的なまでに価値判断を剝き出しにし、その価値観こそが国際政治を動かす原動力であると断定して退かない。通常の国際政治学者がこのような議論をすれば、実証性に欠ける、独断を主張する、洗練度の低い著作として低い評価を受けるか、あるいは黙殺されて終わるだろう。

しかしミード『神と黄金』は黙殺することが難しい作品である。それはミードの著作が、たとえ一部で凋落が囁かれていたとしても、依然として厳然たる覇権国である米国の、覇権国としての行動を支える行動様式や価値規範を、一般市民に広がる信念の次元で論じているからである。この行動様式と価値規範と、その根源にある信念が、米国の覇権国としての力の源となっているのであれば、それを無視すれば、現在と将来の世界秩序のあり方を見誤るだろう。米国が民主主義の国であればこそ、政策を究極的には決定づける、多数の一般市民の行動と思考を左右する「魂」のような部分を、言語化してくれる本書のような著作は貴重である。

国際政治学があまり扱わなくなった「大きな話」を、ある国の一般市民の信念のような実証的に検討し難い対象を、どうやって再び議論の俎上に載せるか、その意義をどう評価するかという問題を、限られた紙幅で十分に論じるにはどうすればいいのか、頭を悩ませて、気づけば何号も掲載を先延ばしにし、規定の字数を大幅に超えた下書きを抱えて右往左往した。結局は学会誌の方には、字数の厳しい規定の範囲内に納めるために、テーマを本そのものの紹介に限定し、分量を大幅に圧縮したものを提出して、どうやら掲載にこぎつけたのだが、字数とテーマ設定の制約を取り払った拡大バージョンを『アステイオン』に掲載させてもらうことになったのが本稿である。


池内恵 Satoshi Ikeuchi
(東京大学先端科学技術研究センター准教授)

1973年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。日本貿易振興会アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授、アレクサンドリア大学(エジプト)客員教授を経て、現職。専門はアラブ研究。著書に、『現代アラブの社会思想』(講談社)、『アラブ政治の今を読む』(中央公論新社)、『書物の運命』(文藝春秋)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、サントリー学芸賞)など。



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