WEB エッセイ/レポート

39 緩やかな共同体の可能性 黒川 博文

 いつの時代も、不確実な将来に対して漠然とした不安を抱きながら、人間は生きている。これからの時代、ICTやAIなどの技術進歩によって、仕事や働き方が変わっていくのだろうが、どのように適応していけばよいのだろうか。頻発する自然災害に対する備えや、発生したときの対処はどうすればよいのだろうか。様々な問題や変化があることはわかっているものの、「これからの時代をどう生きるか」と漠然と聞かれても、なかなか答えを出すことは難しい。
 そんな中、「これからの時代をどう生きるか―宗教×労働×その日暮らし」というテーマで学芸ライヴが開催された。ファシリテーターを務めた経済学者の大竹文雄氏は、宗教社会学者の稲場圭信氏、労働法学者の大内伸哉氏、文化人類学者の小川さやか氏という専門がばらばらな3名のゲストを招いた。副題はそれぞれのゲストの研究テーマを表しており、これからの時代の生き方を考えていく上では重要なキーワードであると大竹氏は考え、この3名のゲストを呼ばれたそうだ。いったい、この3名の話がどのようにつながっていくのであろうか。

 「宗教」というのは1つの共同体で、大竹氏はこれからの時代、共同体を通じた取引が重要になってくるのではないかと考えている。そこで、共同体や利他主義をテーマに、現場に足を運び、宗教施設を通じて防災ネットワークの構築を目指している稲場氏をゲストとして迎えた。東日本大震災前は無縁社会と言われるように、地縁や血縁の弱体化により共助がない社会になっていたと指摘した。ところが、東日本大震災という大きな自然災害に対して助かったという経験から、家族の結びつきや生きていることのありがたみを考えるようになり、共感縁が誕生した。
 東日本大震災のとき緊急避難所として役割を果たしたのが、お寺や神社といった宗教施設であった。旅人のユースホステルとして役割を果たしていた宗教施設がいつしか、そのような役割を果たさなくなっていた。宗教というと排他的なイメージがあるが、かつて旅人を受け入れていたように、人々を寛容に受け入れる遺伝子が日本の宗教施設にはあったため、緊急避難所としての機能したのであろう。宗教施設はコンビニよりも多くの数が各地域に存在している。古くからある宗教資源に新しい防災科学技術を活用することで、災害へ備る可能性を稲場氏は探っている。

 生きていくためには「労働」をしなければならないが、これからの時代はAIやICTの技術によって仕事が変わってくる中で、AI時代の労働を考えることが重要だと大竹氏は考え、AI時代の労働を研究テーマにしている大内氏をもう一人のゲストとして迎えた。そもそも労働とは、人間が社会共同体を作り上げた当初、共同体の中で生き延びるために、それぞれができることをやるというものであったことから話を始めた。得意なものは自分でやるけれど、不得意なものは他人にやってもらい、お互いに持ちつ持たれつの互恵的な無償労働であった。時代が経るにつれて、労働は奴隷や農奴が行うものとなり、次第に労働というモノを取引する契約へと変化していった。そうした中で、従属的労働者を守るために労働法が誕生した。
 しかし、これからの時代は技術革新の影響で、企業に支配されながら働くという従属的な働き方に変化が生じて、自己決定のための労働へと変化し、経済的自立のための協力が重要になっていく。同時に、従属労働者を保護する労働法はなくなり、新しい働き方に対応した労働法の制定が必要となってくる。さらに時代は進むと、生きていく上で必要なものはAIやロボットがやってくれて、人間が働く必要がなくなる時代がやってくるかもしれない。そういう風になっていくと、お金を得るために働くということはなくなり、生きていくために必要な共同体の中で生活していくうえで、互恵的な無償労働のような労働に戻っていくのかもしれないと大内氏は考える。

 「その日暮らし」は、緩い信頼関係の中で生きているタンザニア人を研究している小川氏の代表作に由来するものである。ICTをうまく活用している零細独立自営業者を対象に研究していることから、これからの時代の生き方にヒントが得られるだろうと、大竹氏は小川氏を3人目のゲストとして迎えた。タンザニア人は生計手段を多様化しており、同時に複数の仕事をしながらつねに新たな機会を模索している。新たな仕事に失敗したら撤退し、またチャレンジしてと、そういった繰り返しの中でも何とか生きていける社会になっているそうだ。
 路上商人をしているタンザニア人を観察していると、余裕のありそうな人には原価よりも高く売り、余裕がないものには原価よりも安く売るなどして、本人たちは意識せずに相互扶助の関係が市場の取引の中に組み込まれていることがわかったそうだ。そこでは、だまされたかもしれないけど、それはもしかしたら誰かを助けたことになるかもしれないというある種の信念をうみだす仕組みなのかもしれない。一方で、一儲けを目指して香港に渡ったタンザニア人を観察すると、シェアリング経済や地下経済を通じてセーフティーネットを作っていることを発見した。彼らは独自の組合を作っているが、メンバー同士の信頼ときちんとした応答を期待する市民社会組織とは異なり、何かあったときに応答できる人が応答するといったプラットフォーム型の組合活動をしている。プラットフォーム型の組織は、私がある人を助けてもその人は私を助けないかもしれないけど、その人は別の誰かを助けるだろうし、他の誰かが私を助けてくれるという関係が築き上げられている。その組織の中の人々は、このような信念を持つことで、非常に緩い関係の中でも多様な人々を受け入れることができ、一つの共同体の中で様々な知恵や知識を得ることができる。直接互恵的な関係ではなく、ある種の間接互恵的な関係である。どちらかの関係性が優れているというわけではなく、状況に応じた関係性を構築していくことが重要になるのではないかと小川氏は考えている。

 3つの副題からどのような話に辿りつくかは想像がつかなかったが、3名とも共通するのは、共同体とAIやICTといった科学技術の活用が今後の生き方に重要な役割を果たすということだ。人は様々な共同体の中で生きており、インターネット上での共同体にも所属している人もいるだろう。共同体というとボンディング型の社会資本に基づく強い結びつきが求められるように感じるが、ある共同体の中で強く結びついてしまうと、身内びいきするという偏狭な利他性を生み出してしまう。強く結びついた共同体の中では協力や信頼などの利他的行動をとることはできるが、別の共同体に対しては利他的行動をとらなくなって排他的になってしまうかもしれない。ブリッジング型の社会資本に基づく緩やかな関係の共同体では、偏狭な利他性は生み出されず、非常に多様な人が集まる共同体となる可能性がある。困ったときにある人が助けてくれなかったとしても、別の誰かが助けてくれるし、助けてくれなかったある人は他の人や別の共同体で人助けをしているかもしれないと思えると、他人に対して寛容になれる。自分がある人を助けられなかったとしても、他の誰かを助けていることに気付いてくれていれば、負い目を感じない。いつでも、だれでも、どこでもつながることができるICTはブリッジング型の共同体の形成と相性がいいように感じられる。ボンディング型の共同体にICTを組み込むことは、排他的になりがちなボンディング型の負の側面を緩和することができるかもしれない。
 人間は不確実性を回避する傾向にあるが、将来というのは、いつも不確実なものだ。確実であればどうなるかがわかってしまうが、不確実であるからこそ、どのようにでもできる可能性もある。多様な人材が集まる緩やかな共同体の中で生きていくことは、その不確実性を最大限にいかすことができる可能性を秘めているのではないだろうか。

黒川 博文(くろかわ ひろふみ)

兵庫県立大学国際商経学部講師
2015年度 鳥井フェロー



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