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33 『サントリー学芸賞選評集』刊行記念企画vol.5 サントリー学芸賞と「文系・理系」 安西 祐一郎

 サントリー文化財団が創立40周年を迎え、サントリー学芸賞も40年の歴史を刻んだ。『サントリー学芸賞選評集2009~2018』(サントリー文化財団刊, 2019)に掲載された受賞作のリストや受賞者の文章を読むと、「学芸」の圧巻の蓄積が行間に滲み出てくるのを感じる。
 象牙の塔の干からびた論文とは異なる、人としての研究者、作者が掴んだ「知」を香り高く昇華させた著作群が、未来にわたる持続的な価値を学芸賞にもたらしている。受賞からもれた作品も同様の貢献を果たしてきたと思う。
 サントリー学芸賞のオリジナリティを40年にわたって高め続けてきた関係者、研究者の努力に心からの拍手を送りたい。
 と言いながら、賞の今後については気になることもある。受賞作品にいわゆる「文系」と「理系」の分断を超えた作品が多くないように感じられることだ。
 サントリー学芸賞は、サントリー文化財団のHPによれば、「広く社会と文化を考える独創的で優れた研究、評論活動を、著作を通じて行った個人に対して、「政治・経済」「芸術・文学」「社会・風俗」「思想・歴史」の4部門に分けて、毎年」贈呈されるということである。
 この趣旨は、よく考えられた簡素で優れたもので、さきに記したとおり、人間の「知」の柔軟さと強靭さを表現した多くの著作を世に広めてきた、その原点にふさわしい。ただ、それにしては、「広く社会と文化を考え」て人文学と科学を縦横無尽に行き来するような受賞作が少ないような気がする。
 多少とも「理系」をテーマにした著作での受賞者を数えると、1979年以来40年間の全338人に対して20人あまり(そのいくつかは建築関連)にはなる。数からみればそんなに少ないとは言えないかもしれない。ただ、「文系」「理系」の両方をバランスよく足場にしながらそれらを超えていった著作は、それほど多くはないようにみえる。
 とりわけ、ベルリンの壁が崩壊してから今年で30年になる21世紀世界は、20世紀とはきわめて異なる姿を見せるようになった。1960年代末に始まったデジタル革命から半世紀、政治・外交、経済・社会、科学技術・医療政策などが一体となって為政者の意思決定に直接影響を与える時代が来た。為政者だけでなく一般の人々の生活も大きく変わっている。誰に投票するか、外部からネットワークを通じて意識下の判断を制御される可能性もある時代になった。そんな世界の激変のもとで筆者が期待するのは、世間に流布している「文系」「理系」の分断を超えて人間と社会の現実に深く切り込む研究や評論である。
 こうした内容の著作が、一般的にも国内では少ないように見受けられるのは、もしかしたら、「科学」を西洋からの輸入モノとみなしてきた、明治以来の文化の残滓によるのかもしれない。また、高等学校(特に受験校)が、大学受験のために、高2あたりから「国立理系」、「私立文系」などなどのコース分けをしてしまうことに端を発しているのかもしれない。実際、大学の「理系」に進学すると、たかだか二十歳のころに少し学んだだけのことなのに、その後はまったく違った人生を歩んでも一生「理系」のレッテルを貼られることが多い。こうした「不自由思考」の文化が疑問もなくはびこっていることが、もしかしたら「文系」「理系」の両方を足場にしながら、しかもそれらを超えて時代と切り結ぶ作品にあまりお目にかかれない理由の底にあるのかもしれない。
 サントリー学芸賞の「学芸」とは何を指すのだろうか。英語にはarts and sciencesと並立させることばがあるが、日本語では「学芸」と「科学」はどんな関係にあるのだろうか。あるいは、どういう関係にあると人は感じているのだろうか。「学芸」は民族や言語特有の文化に根ざすものなのか、その意味で西洋からの輸入品たる「科学」とは相容れないものなのか、長い間「文系」と「理系」の両方の場を行き来してきた筆者にも、いまだによくわからない。
 これまでの歴史を振り返ってみれば、サントリー学芸賞は、時代を超えて多くの独創的な成果を世に広めてきた。ここに書いた筆者の思いについても、今までの40年がそうだったように、学芸賞自らが答えを出してくれるだろうと思う。サントリー学芸賞が今後も、世界潮流の大きな変化に「さわやかに」、「しなやかに」向き合いながら、「歴史の踊り場に立って」40年の歴史の先に新たな独創の世界を創り出していってくれることを望みたい。

安西 祐一郎(あんざい ゆういちろう)

日本学術振興会 顧問・学術情報分析センター所長



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