WEB エッセイ/レポート

27 科学ノムコウとコチラノ未来 早丸 一真

 今回の「堂島サロン」は大阪大学のSSI(社会ソリューションイニシアティブ)の「SSIサロン」との共催であった。SSIは「命を大切にし、一人一人が耀く社会」という理念のもと、「まもる」「はぐくむ」「つなぐ」という3つの視点から命と向き合い、社会課題の解決に取り組むシンクタンクである。リーダーを務めておられる堂目卓生教授によると、SSIは、課題の発見・整理、課題ごとのプロジェクトチームによる研究活動、プロジェクト横断的なシンポジウムを通じた新たな社会・経済システムの構想と提言という3つのステップから成るらせん的な循環を30年続けるという長期的ヴィジョンを掲げている。
 「堂島サロン」のホストも務めておられる堂目教授は、「SSIサロン」と「堂島サロン」は問題意識を共有しており、それは、私たちはどのような未来社会を描くべきか、その中で大学の果たすべき役割は何なのか、特に人文学、社会科学が果たすべき役割は何かということであると今回の「サロン」の趣旨を述べられた。こうして、2018年11月1日、大阪大学豊中キャンパス・大阪大学会館において、「科学技術と人間―未来社会に向けた文理融合のあり方」をテーマとする「サロン」の幕が開いた。

 冒頭の基調報告は、ある碩学の言葉を借りれば「非常にprovocative」な内容で、先陣を切るにふさわしいものであった。報告を担当されたのは、NPO法人ミラツク代表、理化学研究所未来戦略室イノベーションデザイナーの西村勇哉氏であり、報告のタイトルは「科学・技術の進化と未来社会のデザイン」であった。西村氏の仕事には、NPOの運営、理化学研究所での研究、大学での教育という複数の側面がある。
 創立から10年を迎えたNPOでは「すでにある未来の可能性」に着目し、一部の天才や先見の明がある個人だけが未来を考えるのではなく、一人一人、もしくは、多くの人々がともに未来を立ち上げていくことを目指し、北海道から沖縄まで3万人ほどの様々な業種の人々をネットワーク化し、彼らが実現したい未来をデータ化して社会の基盤となる情報ツールとして蓄積・活用している。
 理化学研究所では、どうすれば100年後をロジカルに考えられるのかという課題に取り組み、基礎研究を行う研究者に対して研究によって突破しようとしているものと突破した先に何があるのかについてインタビューを行い、そうして得られた見通しを積み上げることによって未来社会を描く方法論を構築しようとしている。
 西村氏は「未来というのは基本的に不確実なものなので、それが完全に見通せるといったことは全く考えていない」という。ただ一方で、何らかの見通しをつけていくということは、限定された分野において、あるいは狭いカテゴリーの中ではできるのではないか、そのためにそれを将来の課題に対処する際に活用可能なツールに加工していくことは可能だと考えている。100年後の未来社会のデザインを具体化してゆく基本的な考え方は、未来の見通しのようなものをつくることによって、その構想をもとに今あるものを組み合わせて新しいイノベーションを起こすという発想である。
 テクノロジーの進化の予測を重視する西村氏は、また、未来の技術と社会テーマを組み合わせることによって新たなトピックを見出していくことの重要性を提起する。西村氏の目指す方法論は、社会テーマと未来の技術をもとにアイデアを生み出し、それをデータベース化して、データベースのアイデアもさらに統合し、また、アイデアを募る循環を連鎖させ、集積を進め、そして、100年後のテクノロジーとそのアイデアを結びつけていくことによって科学を基盤とする未来社会のシナリオをつくるというところに行き着くようである。

 基調講演が終わると「議論百出」のディスカッションに突入した。「無限にあるアイデアを誰もが共有可能な情報基盤として整理できるか。」「100年後の政治と民主主義の状況はどの程度わかるか。」「現在に近い時代ほど取り組むべきトピックが多かったという理解は妥当か。」「何を語るかというよりも、いかにという問いの方が重要になってきているのではないか。」「テクノロジーの未来と社会の未来を掛け合わせて様々なアイデアを出していくというのは、企業にとってはネタの宝庫だ。」「我々は生活の中で、30年、40年後のことを見据えて判断しているのではなく、昨日今日のことをふまえて30年、40年後を予測しているのではないか。」「テクノロジーの発展を所与の前提と考えてもよいか。」「未来のガイダンスが欲しいという社会のニーズは確かにある。」「論理的、数理的な知識と実践的な技術に関する知識には異なるところがあり、何と何を融合するかという問題があるのではないか。」以上は、出席者から投げかけられたコメントの一部である。
 ディスカッションに耳を傾ける中で、現状を変更するか、あるいは維持するか、未来に対して楽観的な立場を取るか、あるいは悲観的な立場を取るか、テクノロジーの方から人間にアプローチするか、あるいは人間の側からテクノロジーにアプローチするかといったいくつかの分岐が浮かび上がってきた。「絶対これが来るから何かそれを狙おうというよりは、こういう可能性があるという中で、では、今何をやるといいのだろうか、今これを取り組み始めればもしかしたらその可能性はたぐり寄せられるかもしれないということを全く何も考えずにいる社会よりも、比較的一生懸命考えている社会のほうが少しいい方向に行けるのではないか」と西村氏は明確に語った。手元にたぐり寄せる可能性は、常に望ましいものばかりとは限るまい。いや、むしろ望ましくない可能性を先取りすることの方が肝心なことかもしれないと思った。
 会場となったSSI豊中ラウンジは満員の盛況で、研究者、企業や経済団体、マスメディアなどの多方面からの出席者による闊達で率直な意見交換は熱を帯びていった。「未来を考えていく責任をどのように考えたらいいのか」という問題、「100年後に責任を持つ人をつくる」という課題、さらに、「自分の気持ちがわからないという子どもたちがすごく多い」という現場の声が、職業的なベースもバックグラウンドも異なる出席者からそれぞれの話の流れの中で提起され、議論を通して一つのトピックが形作られる瞬間を目撃したような気がした。
 「人は考えたら物事がわかるのか」「科学は100%正しいという認識でよいのか」という人間と科学のあり方に対する根源的な問題についても議論が交わされ、また、「科学技術はどこまでも発展するものなのか」という疑義も呈された。ただ私には、西村氏が「何もなければ多分これで打ちどめという話だと思うが、そうは言っても何回もそれを超えてきているなという感覚もあるので、それが無理だと言われていたものを何とか超える方法をそれぞれが考えている」のではないかと述べた一言が妙に心に残った。「すでにある未来の可能性」に未来を連結してゆくことは、現在の範疇に未来を組み入れることであり、未来のデザインとは、つまり現在の拡張にほかならない。

 最後に挨拶に立たれた猪木武徳名誉教授が、「全体を見渡すという知恵が我々からどんどん奪われていく」状況に警鐘を鳴らされ、また、我々人間には「合理的なものだけで説明されるとばらばらになってしまうという恐怖感」があると指摘された。このお話をうかがいながら、議論の中で文学を専門とされる先生から、仏教は未来を設計しており、未来の設計に従って時が経過するが、きちんとした仏教の設計図とは別に、もう一つ来迎とか浄土とか往生というのがあり、常人がちょっと手元にない未来を考えようとする時に身投げという過激な道を選ぶ者がいたというお話があったことを思い出した。
 昔、南方にある補陀落という観音の浄土を目指して熊野あたりから身投げをした者たちがいた。それは、未来を求めて、未来の幸せを求めて命を捨てて身を投げるという行為であった。こうした身投げの投企(project)性は、現状の変更を未来へ投射してゆくものとして、未来への見通しをつける現代の試みと通底するところがあるかもしれない。だがしかし、投企の投企たる所以は、断絶、飛躍、矛盾にこそあるのではないだろうか。未来がこちら側になく向こう側にしかないと信じて身投げをした中世の人びとの目には、未来学、未来デザイン、未来シナリオなどのアプローチは、はるか彼方の彼岸めがけて投網を打ち、あわよくばそれを捕まえてこちらに引き寄せようとする試みと映るかもしれない。此岸と彼岸が地続きになってしまったら、人間はどこで往生すればよいのだろうか。

早丸 一真(はやまる かずまさ)

日本国際問題研究所 研究員
2017年度 鳥井フェロー

※SSIのWEBサイトにも開催報告が掲載されています。



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