WEB エッセイ/レポート

25 研究会:可能性としての「日本」 鷲田 清一

 選択された可能性、朧に芽を吹くも開花せずに終わった可能性、統制をすり抜けつつもやがて制止され、封殺されていった可能性……。それら諸可能性が蝟集し、折り重なり、せめぎあう場として歴史はある。

 東日本大震災からほぼ一年、私たちはこれからの日本社会のあり方を構想するにあたってのリソースがどこにあるかを探るべく、共同研究《可能性としての「日本」》を立ち上げた。2012年4月のことである。メンバーは、詩人の佐々木幹郎さん、法政思想史家の山室信一さん、音楽学者の渡辺裕さん、そして私、哲学研究の鷲田清一である。

 私たちが共有しようとした問題意識とは、日本の社会史のなかで未発のままに終わり、すでに忘却の淵に沈んでいる諸可能性を探り、それらを現代社会が直面する諸課題に応える可能性としてどう鍛えなおすことができるかを考えるということだった。

 まず、この問題意識をどういう次元、どういう方向で展開してゆくかの議論を続けた。日本社会をアジア史、世界史的な地勢図のなかに置いて見ること。日本の社会・文化史を、思想史・政治史の文脈で語られるものに限定せずに、「思想」として語られることはないが民衆の身体に深く根づいてきた価値観、たとえば農業思想や民衆思想、地域社会の諸制度・行事にしみ込んだエートスなど、いってみれば「民の声」を掘り起こす作業に力点を置くこと。

 議論を重ねるなかで、諸可能性がもっともダイナミックにせめぎあうその場として浮き立ってきたのが《大正期》というエポックであり、歴史社会であった。それはまさしく「大衆社会」「消費社会」といった現代生活の祖型が陰に陽に出現した時代であった。いうまでもなく、それは社会全体を震撼させたあの関東大震災(1923年)が起こった時代でもある。

 以後4年間、いくつかの視軸を設定し、議論を進めた。「北方」や移民、第一次世界大戦といった世界史的歴史状況との関連、民衆をつなぐさまざまのメディア(ジャーナリズム、演劇運動、映画、邦楽・民謡・流行歌、美術展など)、新しく模索された言論と生業の場(結社、商店街、鎮守の森など)。徳丸吉彦(音楽学者)や佐佐木幸綱(歌人)といった「重鎮」から若手研究者・外国人研究者まで、研究会にお招きした多くのゲストの奥深い知見に学び、さらに続く2年間は、コア・メンバーが頭をつきあわせて議論をくり返した。あいだに被災地での「遺構」保存についての議論に参加させてもいただいた。

 そこであらためて驚かされたのは、《大正期》と現在の日本社会の相同性であった。関東大震災という未曾有の被災を機に起こった社会の大変貌を合わせ鏡に、東日本大震災が突きつけたわれわれの時代の課題を見るという思いも少なからずあったが、それ以上にわれわれが《大正期》に議論の焦点を絞り込んだのは、大衆文化、消費社会、メディア社会、そして「ポピュリズム」の雛形、あるいは「現代」芸術とエンタテーメントの初期形態、さらには集住のかたちの劇的な変容や「群衆」の出現、「地方」への関心など、要するに「現代」社会の原型がこの時代に集中して現われていると見たからである。これらが、私たちが現代社会を見る眼を大いに揺さぶった。

 いま少し具体的に申せば、たとえば「サラリーマン」という俸給生活者の急増、「女性の自立」をめざす婦人運動、窮民救済のための「方面委員」(のちの民生委員)の制度など、現代の労働状況の、フェミニズムの、そしてボランティアのはしり・・・となる現象がまず注目された。ラジオ・レコード・電話・雑誌など新しい情報・娯楽媒体の登場、関東大震災時の「流言蜚語」、「地方(ぢかた)学」の提唱なども、現代社会の議論と共振する。「チョイ悪おやじ」(不良老年)にあたる「モダン・ヂイ」が流行語になったことなども含め、まさに大正期に現代生活のさまざまな祖型が出現していた。

 なかでも「給料取り」という就労形態の広がりは、勤労者と専業主婦という性役割分担を固定してゆくとともに、現代の地域コミュニティの崩れにつながる職住不一致の生活様式を急速に進行させていった点で重要だ。

 それに、これらの現象はいずれも双面をもっていた。大衆の華やかな消費ブームの陰には、貧困にあえぐ「細民」の増加、つまりは「格差」社会の進行があったし、大正デモクラシーの象徴となる普通選挙法案が可決された5日後には治安維持法案が可決された。思想レベルでの文化主義の提唱の対極には、文化庖丁・文化風呂・文化住宅のような、新式の便利な・・・・・・モノという意味での「文化」の流行があり、その中間に「文化生活」をめざす生活改善の運動や「文化学院」の創設、「文化アパートメント」の建設などがあった。

 時代はこのあと満州事変、太平洋戦争へとなだれ込んでいったが、その過程で抑止され、後退し、封殺されていったもろもろの可能性を、一つの文脈へと糾合せずに、いわば散乱状態にある《踊り場》として取り出すこと。私たちがめざしたのはそれだった。権勢史や思想史といった上空からのまなざしで時代を語るのではなく、地べたの「民の声」を掘り起こしてゆく作業だった。そして2018年5月、その中間報告を『大正=歴史の踊り場とは何か』として上梓した。

 本書のあとがきでも書いたことだが、われわれの議論が最終段階をむかえようとしていたとき、佐々木さんがしみじみとこう口にした。「ぼくにとってもっとも新鮮だったのは、当時の日本人がいかに第一次世界大戦の現状を知らなかったかということです」、と。あるいは、山室さんは研究会を終えたいま、「第四人称」などという特異な言葉もそうだが、大正期のキーワードでもあった「民・声」「公・衆」「生・存」など、諸「可能性」の挑文(あやとり)を思想史研究の方法へと鍛え上げるべく「思詞学」というプロジェクトを立ち上げようとしている。メンバーみないい歳をしながら、まだ始点に立ったばかりといった思いを禁じえないでいる。

大正=歴史の踊り場とは何か 現代の起点を探る

著者 鷲田清一、佐々木幹郎、山室信一、渡辺裕
  新雅史、堀まどか、五十殿利治、畔上直樹、やなぎみわ、佐佐木幸綱、徳丸吉彦、鶴見太郎
発行 講談社
発行日 2018年5月10日(木)

目次

序――踊り場の時代に可能性を問う

第一部 現代の起点としての「大正」
学区――コモンセンスの成り立つ場所
民生――生存権・生活権への出発
震災――言葉の崩壊から新しい意識へ
趣味・娯楽――民衆文化再編成への胎動
第二部 踊り場としての「大正」
サラリーマン・職業婦人・専業主婦の登場
校歌――替え歌の文化が結ぶ共同体
民衆と詩――文語詩から口語詩への移行
地方学――「地方(ぢかた)」と「地方(ちほう)」そして「郷土」への眼差し

鷲田 清一(わしだ きよかず)

京都市立芸術大学学長
可能性としての「日本」研究会代表



過去のWebエッセイ/レポート