WEB エッセイ/レポート

23 Society 5.0におけるデザイン力 黒川 博文

 Society 5.0。狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く、新しい社会、超スマート社会が、内閣府の第5期科学技術基本計画で定義されたSociety 5.0である。AIによって多くの物が自動化され、ロボットの活躍によって生産性が向上するというイメージがある。AIによる自動化によって、定型業務を中心とした職業の半分近くがAIに置き換えられるという議論がある。人間がAIと共存していくためには、どのような能力が必要であろうか?また、そうした能力はどのような形で教育をしていけばよいのであろうか?
 AIを正しく理解して使用するというAIリテラシーの向上や、社会システムをデザインする能力が重要になってくる。そのデザイン力は、体系的知識、問題発見能力、実践的スキルの3つの習得が必要で、学校と民間でどのようなバランスで学んでいくかを考える必要がある。また、人生100年時代といわれる今後は、技術再教育も大事になってくる。今回行われた堂島サロンは、栄藤稔教授による「Society 5.0時代の人材教育」というテーマで報告が行われ、そのような主張がなされた。
 報告の最初に、Society 5.0の中心キーワードであるAIについて説明が行われた。栄藤氏によれば、現在のAIは、意訳はできないが、非常に優れた直訳を行うことができ、TOIECで900点以上を取るレベルまで来ているそうだ。このような能力のある今のAIは、爬虫類以上げっ歯類・鳥類未満の脳の大きさであるそうだ。人間のような霊長類とこれらとの大きな違いは、大脳皮質の有無である。大脳皮質があることで人間は構造を認識し、空間認知ができるのだ。AIに意訳ができないのは、文の構造、文脈を理解することができないからだ。この大脳皮質を有するかどうかの壁は非常に大きく、AI研究者はこの壁を今後もAIが超えることはないと考えている。この壁を越えてシンギュラリティが来ると期待する人がいるが、AI研究者はシンギュラリティは来ないと否定的である。また、人型ロボットのようなものもがAIと理解する人が多いが、AIは、あくまでもプログラムであって、パターンマッチをしているに過ぎないと正しく理解することが大事だと栄藤氏は指摘する。現在のAIは、そのパターンマッチが高度化してきているのだ。
 こうしたAIとIoTを組み合わせたのが、Society 5.0である。一般にIoTはInternet of Thingsと理解されているが、栄藤氏は通信を伴うデジタル化(ICT)にドメイン技術(OT: Operational Technology)が結合したものがIoTであると理解している。ドメイン技術とは、各産業特有の技術のことである。AIとIoTの結合により、これまでコンピューターとは無縁だった非ICT産業の自動化・自立最適化が進むことがSociety 5.0の本質だ。しかし、日本においては、ICTは外注するものという産業構造になっているため、同一企業内でICTとOTを全体として設計できる人材がいないことが課題だということだ。また、IoTの技術を入れて自動化していくときに、自動化のデザイン、投資対効果(ROI)の仮説検証、実装というプロセスを行う必要があるが、投資対効果の仮説検証も行えるエンジニアの存在が稀有であることも課題になっているとのことである。
 現在、AIによる定型業務の自動化に加えて、AIによるプラットフォーム革命(サイバー空間と実空間の統合最適化)が起きようとしているとしている。ネット上(サイバー空間)で注文をし、ロボットが商品を梱包し、ドローンによる配送(実空間)を行おうとしている企業がある。注文以後、一切、人が介在しないといというところまで現実は進みつつある。
 将来、AIによる社会システムの変革が起きるのではないかとAI研究者たちは議論している。シェアリングエコノミーが進み、モノの所有から共有へとなり、資本主義そのものが変化するのではないか。雇用のフリーランス化が進むのではないか。交通や物流の新たなシステムが出てくるのではないか。社会意思決定システムが変わり、代議士が要らなくなるのではないか――と。
 このようなときに、社会システムをデザインする能力が大事になってくる。自動走行の車をどうやって設計していくかではなく、都市の中に自動走行車をどのようにして組み込んでいくかという社会システム全体を設計するという議論が重要であり、そのような能力が大事になってくる。ここでのデザインとは、ある制約条件のもとで最適なシステムを設計することを指す。AIと人間の関係性を所与としたうえで、それらを満足した社会システムの組み合わせを考える能力が大事なのだ。
 社会システムをデザインする能力は、体系的知識、問題発見能力、実践的スキルの3つを習得することが重要となる。体系的知識は学校で学ぶことができる。問題発見能力や実践的能力は学校と民間どちらでも学ぶことが大事であるが、そのバランスをどうするかを考えていく必要があると主張する。スタンフォード大学や東京大学では、d.schoolやi.schoolと呼ばれる単位には認められないが、大学の外で学生が集まって問題発見能力や実践的スキルを身に着ける教育が行われている。一方、京都大学は大学の中にデザインスクールを作って、これらの能力やスキルを教育している。実践的スキルや発見能力の教育を学校で行うとしても、それを学校の中で行うか、外で行うかという形も議論していく必要がある。
 また、技能再教育(Reskilling)の重要性も指摘する。これまでの時代は、学生のときに教育を受け、一つの仕事をし、60歳ぐらいで退職して余生を楽しむというライフプランであった。Society 5.0時代では、学生のときに教育を受けるのは同じであるが、ぐるぐると複数の仕事を転職しながら、技能を再教育していき、90歳ぐらいになって初めて余生を楽しむというライフプランになるのではないかと主張する。

 報告後の質疑応答では、様々な議論が行われた。職を変えながら技術再教育をしていくことが大事だとしても、職を変えるという最初の一歩が踏み出しにくい人が多いであろうから、最初の一歩の踏み出しを軽くするために、国内の大学間で交換留学するのはどうかという提案があった。半年から1年程度、自分が所属する大学とは異なる大学に行って経験を積むことで、乗り換え費用を下げることが狙いだ。社会に出たとき、こうした経験が場所や仕事を変えることの心理的費用を下げるのではないかという主張だ。こうした提案に対して、実際にこのような制度がある大学があり、この制度を利用した人は職や場所を移ることに抵抗がないと感じると、フロアから実例が上がった。
 IoTの技術を取り入れて自動化する際、設計から投資対効果の仮説検証、実装のすべてをエンジニアができるような教育が必要であるという主張に対して、スタンフォード大学でもそのようなデザインも含めて実践できるデータサイエンティストの育成を試みているが、スタンフォード大学ですらそのような人材の育成に成功していないという意見が紹介された。その上で、アメリカのテック系の企業では、仮説検証を行えるデータ分析の専門家を採用して、各部署に配置して、仮説検証をエンジニアとデータ分析の専門家の協業によってこの穴を埋める動きがあるという事例が紹介された。
 また、小さな企業でOJTしながら、原材料の仕入れから販売までを行うことを学んで発明に至った科学者の話が紹介された。小さな企業ではこのようにOJTしながら、非常に広い視野を持つことができるが、大企業では分業化、専門化が進むため、幅広い視野を持つことが難しいという意見があった。それに対して、栄藤氏は、大企業では「いつ」「どのように」プロジェクトを進めるかということに対して責任を負うProject managerの育成に傾倒しがちで、「何を」「どうして」作るのかということに対して責任を負うProduct managerが育ちにくいと指摘した。
 質疑応答での話題は途絶えなかった。大学の中の教育と実務教育のつなげ方として、大学院修了者を雇う企業に対して補助金を出すのはどうか。工学部の情報経営において、社会実装の必要性を説いても、基礎をしなくてよいのかと批判されてしまう。サイバーセキュリティーの問題はどうするか。人とAIが組み合わさったときに、人はどう変化するのか。機械に対してはゼロリスク志向を求めがちだが、機械に対してもリスクや費用と便益を見比べたうえで、議論していく必要があるのではないか――など。

 産業革命のときに、馬車が蒸気機関車にとって代わられ馬が技術的失業した。今回は、人間がAIに取って代わられ人間が失業するのではないかと心配する人がいる。産業革命のときと同様に、職がなくなると同時に、より複雑な新たな職が生まれる。人間は馬とは違い、新しく複雑な職に対する比較優位があるため、失業しないという見方がある。こうしたまだ見ぬ新たな職を生み出し、適応するには、常に、様々な技術を身に着けていく努力をする必要があるだろう。また、機械による自動化とこれまで付き合ってきたように、AIと共生し、AIを活用した社会システムをデザインする力を身に着けていく必要がある。そのデザイン力に必要な知識は、サイエンスやエンジニアリングの知識だけでなく、実装したときに社会経済へどのようなインパクトがあるかという社会に対する洞察も必要である。経済、法律、倫理などの様々な人文社会科学的な知識がこうした洞察には活かされるであろう。今まで以上に幅広い知識を習得することが求められる。
 Society 5.0ではAIや機械との競争ではなく共創がカギとなるのではないだろうかと感じられるサロンであった。

黒川 博文(くろかわ ひろふみ)

日本学術振興会・同志社大学政策学部 特別研究員
2015年度 鳥井フェロー

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