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17 大学の心臓を思い起こして――「文脈」の大切さ―― 奈倉 有里

 2017年5月25日(水)大阪にて堂島サロンが行われた。今回のゲストスピーカーは田島正樹先生だ。『文脈を学ぶための出会ひの場としての大学』をテーマに、司会の猪木先生によるご紹介のとおり「ある一定の時間を経て理解が深まる」お話をしてくださった。以下は講義の要約と感想である。

 現在の大学の起源は12世紀のヨーロッパにさかのぼる。『アベラールとエロイーズの往復書簡』で知られる哲学者アベラールがパリのシテ島で弁証法を教えていたとき、まだパリ大学は存在していなかった。しかし彼の講談が評判になり全ヨーロッパから学生が集まったので、当時の法学・神学・医学の専門機関が、彼の授業と一緒になったほうが有利だと考え団体を形成した。それがパリ大学のもとになったといわれている。

 アベラールが教えていたのはアリストテレスの論理学。なかでもオルガノンと呼ばれるテクスト群が「弁証法」として評判になった。なぜ当時の学生たちはそれに熱狂したのか。

 たとえばデモステネスが雄弁に語ったのはアテネの自由を守るためだったが、中世にはその歴史的文脈が失われていた。ポリス的な世界は崩壊し、民主主義はない。アンティポンの裁判テクストにしても、それを読むために必要な裁判制度のコンテクストが失われていた。

 一方、当時の学生というのは、貴族階級の次男三男で親の土地や権威を受け継ぐことができないような青年たちだ。弁証法を学ぶことで、既存の権威的な解釈に反論し、自分たちが本当にすごいと言えるかもしれない。アベラールは学生たちにそういうインパクト――自由のきっかけ――を与えたのだ。

 アベラールは野心家で、神学も勉強した。神学の世界ではテクスト解釈が権力に直接結びつく。ソ連でマルクス主義のテクストをどう読むかが一種の神学だったのと同じように。アベラールは読みの能力を生かし、当時のキリスト教の権力争いに乗り込んだ。そのため晩年は悲惨なことになったが……。

 だが重要なのは大学の出発点において彼らが、権威的なテクストにそれまでとは少し違った解釈をみいだすことに、自由の光を見いだしていたということだ。

 ルネサンス期になるとギリシアのテクストが再び発見された。因果関係は明確ではないが、古代の学問の再考と宗教改革が同時代的に起きていることは注目に値する。プロテスタントは聖書を各国語に翻訳=解釈し、カトリックも独自の解釈で対抗した。若者は選択を迫られ、母語で聖書を読み、解釈をうちたてた。それは「個人的な読書体験」であり「近代小説」を準備した。

 近代小説の出発点といわれるセルバンテスの『ドン・キホーテ』は、「文脈を読めない人」を焦点化することで文脈の大切さを描いている。ドン・キホーテは騎士道物語を信じ込み、テクストと現実との間にある文脈に気づかない。フローベールの『ボヴァリー夫人』も同じで、主人公は恋愛小説を信じ込み、砂をかむような現実に埋没していく。どちらも物語批判を中心テーマにしている。

 バルザックに『モデスト・ミニヨン』という小説がある。主人公は地方の貧しい貴族の娘、モデスト・ミニヨンという文学少女だ。あるときモデストはパリにいるカナリという詩人にファンレターを書くが、彼は見向きもしない。かわりに秘書のラ・ブリエールが彼女の心情溢れる手紙に感銘を受けて返事を代筆し、二人の往復書簡は恋愛に発展する。しかし彼女の父が世界旅行で一旗揚げて大金持ちになって帰ってくると、彼女に求婚者がむらがる。カナリが「俺こそが本物」と名乗りあげ、高貴な身分の候補者も出てくる。三人に求婚されたモデストはどうしたらいいのか――。

 彼女ははじめ「信じた相手は偽物だった、許せない」と考える。ラ・ブリエールは、本当は誠実なのにいちばん分が悪い。ここで「幻滅」という小説的主題が浮かびあがる。しかしモデスト・ミニヨンはそこから学ぶ。社交界を開き三人を比べ、結局はラ・ブリエールこそ自分の相手と気づく。このときの彼女の知恵――これこそ「文脈」を理解することだ。つまり文学部に行けばカナリみたいな男に騙されなくて済む。(会場笑)

 ここで重要なのは、社交界で二体問題から多体問題への複雑化が起きていることだ。第三者が入ることで、「わたしとあなた」という単純な問題ではなくなり、それをテクストとして見るような別の観点が生まれる。モデストは夢をつぶされた体験をもとに、文学的教養を社交界の場で発揮する。これは彼女が新たな段階へと飛躍していることを意味する。

 ここで強調したい――「文脈」と「文学」と「社交性」は、密接な関係にある。

 樽の中で生活していたディオゲネスの前にアレクサンドル大王がきて「願いを叶えてやろう」と言うと、ディオゲネスは「そこをどいてください。日向ぼっこをしていたのに影になってしまったから」と返す。権力者は文脈を決定する権利があり、ここでは「臣下にご褒美をあたえる」という文脈を生じさせている。それを単純に拒否すると反逆になってしまうから、ディオゲネスは「影を作る人、作られた人」という文脈に置き換えたのだ。

 質疑応答ではまず「日本の大学は自由の場になっているのか」「社会科学と人文科学の対話は可能か」という質問に対し、田島先生は「中世の大学もまた不自由で、権威主義で凝り固まっているところが絶えずあった。人文学とほかの諸科学との対話は可能だ。ある理論に帰依している人たちはその理論の盲点や文脈固定性に無自覚であることが比較的多い。そこを常に他からの刺激を受けることによって反省することができるのでは」と答えた。

 ほかにも様々な質問があり、先生は大学における社交性の大切さをベンヤミンのベカントシャフトを例に説明された。彼自身、アーシャ・ラツィスから史的唯物論を、ブレヒトから現代演劇を学んでいた。これは晩年のモナドロジーにつながっていく。複数の観点を一方的に見るだけでなく、多観点、多様な観点としてそれを想像することを重視する立場だ。

 また、レヴィ・ストロースの『パンセ・ソバージュ』については、同書のブリコラージュの手法はベンヤミンに似ているとの回答。テクストを完全なマテリアルには解体せず、別のテクストに組みなおす。文脈の組み換えの自由というのはこれに似ている。

 現代芸術おいてこれをやったのがコラージュだ。芸術が完璧な技術で自然を再現するようになると、それに縛られて芸術家の自由がなくなった。コラージュに代表される現代美術は、偶然性によって画家の自由を復権した――これは現代芸術の知性であり、全体知・全体性というものに対する批判でもあった。

 最後に田島先生は、「全体というものを知のなかに収めるという欲望における暴力性というものを見ないわけにはいかない」と語り、ご講義を終えられた。

 12世紀のパリにおける大学の芽生えから現代美術までの多岐にわたるお話を、「文脈を読む」ことの重要さに焦点をあてて語られた今回の講義。人文学系の学問や芸術のそれぞれの時代の転機がいかに「文脈」に支えられ発展してきたかが鮮やかに切り取られ、目の前に繰り広げられる様には息をのんだ。講義を受けながら、私はモスクワの文学大学時代に受けた哲学の講義の熱狂を思い出していた。アレクサンドル・ジミン先生は、田島先生のおっしゃった「マルクス主義のテクストをどう読むかが一種の神学だった」ソヴィエトにおいて、ソクラテス以前の古代哲学を専門としていた。しかし近現代の哲学にも造詣が深く、私の在学した2000年代、ジミン先生の講義には徹底したテクスト解読に基づく「自由」があふれていた。現在のロシアで復権し権威化した「宗教」についても、現代の権威が提供する解釈を鵜呑みにするのではなく、歴史をふまえた別の文脈におけるテクストとして読めるものであることを、度々学生に示唆してくれた。

 そして家路につきながら、講義の最初に田島先生がおっしゃった「文学部・人文学部・教養学部こそが大学の心臓であり魂である」という言葉が、非常に重く、同時に明るく輝く希望のように心に残っていることに気づいた。そうだ、先生は同時に「いま風当たりの強い分野」ともおっしゃっていた。我々はそれを日々実感しながら生きている。けれどもなにを弱気になっていたのだろう。その現実を前に、かくも鮮烈な講義で、魅せてくれる先生がいるのだ――「文脈」と「文学」と「社交性」が結びつき、それらを読み解くことによって強固な権威から自由になるという「大学の魂」を受け継ぎ、あんな風な生き生きとした講義で学生に熱狂を与え続けることができるとしたら――それは、いまようやく教壇に立ち始めた我々、次の世代の使命なのだと思う。

奈倉 有里(なぐら ゆり)

早稲田大学非常勤講師
2015、2016年度サントリー文化財団鳥井フェロー

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