WEB エッセイ/レポート

05 和食のユネスコ無形文化遺産登録 熊倉功夫

 2013年12月4日、アゼルバイジャンで開かれたユネスコの無形文化遺産の会議において、日本が提案していた「和食・日本人の伝統的な食文化」が代表一覧に記載されることが承認された。それを発表した議長は日本の代表に対して"Congratulations"と呼びかけたので、めでたいことに違いない。もちろん、微力ながら2年半にわたって、登録に向けて協力してきた一員として嬉しい限りであった。しかしその一方で、これは大変なことになったな、というのが偽らざる本音である。

 会議での承認から約一ヶ月、和食の話題はマスコミにもたびたび取上げられ(私も生まれて初めて取材攻めにあった)、ブームになった感がある。結果として経済的波及効果があるかもしれない。それを否定するつもりはないが、和食を提案した本当の理由は、とても経済的な効果が期待されるものではなく、かえって多大の支出を必要とするという、われわれが直面する問題の解決にあることを理解していただきたい。

 今回提案した「和食」は副題として「日本人の伝統的な食文化」とあるように、文化としての和食であることに留意してほしい。和食とはどの範囲までの料理を含むのか、という質問をよく受けるが、個々の料理を和食であるか否かを議論するのは二の次である。基本的には飯・汁・菜・香のものの4つの要素からなる献立であり、ご飯を主食とする食事形態だがヴァリエーションはいくらでもある。もちろん、うどんや蕎麦、餅も包含される。「伝統的な食文化」としているように、食べ方、食器、食材、料理法、しつらい、それによってになわれる社会慣習などを含む幅広い領域にわたる「和食文化」である。

 たとえば提案の中に自然の尊重という日本人の精神についても書きこんだ。日本は温帯モンスーン気候帯に属するのではっきりした四季の変化に恵まれ、豊かな雨量は国土の75%を占める山岳地帯から清冽な水を平野部に供給し、寒流と暖流が交錯する海に囲まれる日本の国土は、まさに自然の食材の宝庫といってよい。こうした自然に生かされる日本人の信条としては、おのずから自然の恵みに対する感謝の念が醸成される。それを「いただきます」「ごちそうさま」「もったいない」という言葉で表現してきた。

 つまり和食とは身のまわりで収穫されたものを食べることである。極端なことをいえば裏の畑でとれた野菜を食べるような環境が和食を支えてきたのである。現状はどうか。食料自給率は40%を割るという事態が、和食の危機である。目のとどく所で得られる食材を使う限り、食の安全は保証される。今、何千キロも離れた所で収穫された氏素性わからぬものを食べているから季節感も失われるし、食べものに対する敬虔な気持もない。「ご飯粒を残したら目がつぶれる」と教えられていたことを、いつの間にか忘れている。

 岩本暢子氏が精力的に資料を集め警鐘を鳴らしてきたように、今、家庭の食は崩壊し、和食は家庭の中では絶滅危惧種になっている。年中行事にともなう食の慣習も消滅の危機にある。今回の提案では、庶民の正月行事に焦点をあて、和食の特質を強く印象づける方向で最終的に整理した。年末になれば近所の人が集まって餅をつく。家族総出でお節料理をつくる。そして元旦を迎えると一同打ち揃って雑煮を食べ、重詰めに箸を付ける様子をDVDに収めて、プレゼンテーション用にユネスコ本部に送った。実はそこに撮影されている実態が今、消えかけていることを訴えた。

 和食は時間もお金もかかる。子供も好きではない、と敬遠されるのが実情である。所詮、食とはその時代の好尚に随うものだから、どちらかの方向へ国民を引張ってゆくのは無理だという議論があることも承知している。しかし困難であってもそれが価値あることであるなら試みる必要はあろう。今、詳しく述べられないが、箸や椀に接する唇の感覚は、日本人の繊細さが表現される。いわば和食は日本人の美意識とも深くつながっている。自給自足という点で、日本の環境を守ることでもある。それを流れにまかせて消し去ってよいものか。

 どうしたら和食文化を取りもどせるか。実に複雑で厄介な課題である。極端にいえば、われわれ自身の「食べる」行為に対する認識の変革が求められる必要もあろう。一方で行政の責任もある。ユネスコの保護条約代表一覧表に記載されたということは、その保護・継承の責任が国に課せられたわけで、まず文化庁は食が文化であり、文化財保護法の範疇に食を加える義務がある。農林水産省は今回の登録の中心的役割を果してきたのだから、保護・継承の運動を継続的に支援する責任がある。子供たち次世代への継承を考えるなら給食や食育は大切な運動の柱であるから、文部科学省や厚生労働省、また内閣府食育推進室はこれに深くかかわる必要がある。海外へ日本の文化力を発信する上で和食の価値を認めるなら外務省も、和食器の生産を考えるなら経済産業省も、積極的な行動が望まれよう。国をあげて和食文化に取組む組織が必要となる。それには相当の経費がかかるが、今を逃しては二度と日本の伝統和食文化の再生のチャンスはない。

静岡文化芸術大学学長



過去のWebエッセイ/レポート